道真公の命日にあたる毎年2月25日に梅花祭(ばいかさい)が執り行われる。
道真公の神威を慰める祭で900年間続き、神前には勿論「梅花」が供えられている。
ところで、北野天満宮の社殿前には何が植栽されているのだろうか。
境内一円に梅苑があり、幾種類もの梅があることは誰もが知っている。
数え切れないくらいに参詣しているが、改めて「社殿前は何か」と尋ねられると不安になる。御所紫宸殿(ししんでん)前は「左近の桜 右近の橘」であるが、まさか同じではあるまい。
楼門の提灯にある神紋が梅であることは言い切る自信がある。しかし、社殿前も道真公の象徴である梅であってほしいと願うが、桜橘か梅橘か、自信を持って答える事ができない。
「百花初見、百花元始」の語句に従い、梅花祭を待たず早速「北野さん」に足を運んだ。
社殿前の左右の植え込みは一体何であるか。逸る気持ちを押さえながら参詣道を歩いた。桜か梅か。
三光門を潜ると、社殿が迫る。その前にすばやく目を遣った。
「左近に松、右近に梅」である。更に木々に近寄り凝視した。北野天満宮の社殿前には松梅が植栽されていることを確認した。これで今後自信を持って答えられるだろう。
橘ではなく松であったことに驚くも、梅であったことに落ち着きを取り戻し、ゆっくりと、境内の白梅、紅梅、一重、八重など咲く花の香りを満喫させて貰った。
「北野さん」では梅苑公開が2月初旬から3月初旬まで行われている。お出掛けされてはいかがか。
梅苑公開に出向けば、「老松の茶店」に立ち寄られることだ。梅味の京菓子が少ない中で、「北野梅苑菓子」がいただける寸法となる。梅苑のみ限定販売の干菓子「春鴬囀(しゅんおうてん)」や、北野梅林の梅に手塩され漬け込まれた「梅酒羹(うめしゅかん)」、「梅ジャム」などが用意されている。
小生は茶店で「香梅煎(こうばいせん)」を買い求め、社殿の東にある四脚門の東門より出て、「有職菓子御調進所 老松」に足を向けた。社殿より上七軒歌舞練場の方へ向かい、歩いて3分とかからない。その訳は、梅苑公開時限定の京菓子、その銘も「東風ふかば」という「棹物」があると聞いていたからである。道真公の詠まれた句の名がつけられた小生にとっては感激の菓子である。
京菓子では、梅衣(川端道喜)・紅梅(鶴屋吉信/こまき)・紅梅餅・白梅(末富)・雪中梅(岬屋)・ねじ梅(鶴屋八幡)・此の花(松屋常盤)などの「梅の花」を形どった生菓子や、「打ち物」「有平糖」で雪華・小梅(塩芳軒)などのように花の意匠を施したものはよく目にする。
しかし、梅の甘酸っぱさを常用している菓子となると少ないように思う。
例えば、小生の味の記憶をたどって思いだされるのに「末富のうすべに」がある。軽やかな薄い麩焼きの間に甘みのある梅肉が挟んであるものだ。京の雅びな色と味を賞味して貰えると思うが、その梅餡の味は「大徳寺納豆」などを好む方に向いていることは間違いない。
「亀屋末富」は京野菜の野菜煎餅でご存知の方も多い老舗である。
さて、菓子も買い求められ、梅菓子談義もそこそこに、梅苑に話を戻そう。
道真公を祀る北野さんの梅苑の梅は、梅見だけに興じられているだけではない。
北野さんに参詣された方なら「大福梅」をご存知だろう。この梅苑の梅だ。
正月元旦の祝膳には欠かせぬものである。新年の縁起物として12月13日の事始めから終い天神の間授与されている。
2/25梅花祭のあと、6月に入ると神職等の手で採取される梅の実は3トンにも及ぶと聞く。
採取後塩漬けされ樽で寝かされ、土用干しに1ヶ月がかけられる。この間の境内はむしろの上に干された梅の香りでいっぱいになる。土用干し後11月まで更に塩漬け貯蔵される。
この「梅干」が「大福梅」である。
神苑の梅の崇敬者は天満信仰とともに多い。
因みに、前述の「老松」さんは、北野梅苑の梅を漬け込み、梅菓子を作られている。
天神さんは梅鉢の神紋にも見られるように、道真公の愛した梅に尽きるものが確かに多い。そのせいか道真公の怨霊伝説に悩まされた朝廷の逸話にも梅に関わる話が後世にも残っている。
京都御所内で桜満開の折、「伊達公殿、国許ではこの花を何と呼んでおられましょうぞ?」とある公家が婉曲に馬鹿げた謎かけをした。
されど伊達正宗公、 「大宮人 梅に懲りずに桜かな」との歌で返したという。
徳川の世のはじまりの時にまで、道真公の「梅」にまつわる逸話は轟いていたということになる。
万葉の頃より都は中国長安をモデルにし、数々の中国宮廷の習わしを取り入れてきた。
とりわけ平安遷都では風水に基づく様式には厳格であった。長安、西安など中国宮廷では神殿前の植え込みは、古くより「梅と橘」である。
ふと脳裏をかすめた。雛飾りにも受け継がれている様に、京都御所紫宸殿(ししんでん)前は「左近の桜 右近の橘」である。
梅の名所 (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/ume/meisho/index.html
北野天満宮
http://www.kitanotenmangu.or.jp/top.html
有職菓子御調進所 老松
http://www.oimatu.co.jp
うすべに / 末富
http://www.kyoto-suetomi.com/basic/usubeni.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
道真公の神威を慰める祭で900年間続き、神前には勿論「梅花」が供えられている。
ところで、北野天満宮の社殿前には何が植栽されているのだろうか。
境内一円に梅苑があり、幾種類もの梅があることは誰もが知っている。
数え切れないくらいに参詣しているが、改めて「社殿前は何か」と尋ねられると不安になる。御所紫宸殿(ししんでん)前は「左近の桜 右近の橘」であるが、まさか同じではあるまい。
楼門の提灯にある神紋が梅であることは言い切る自信がある。しかし、社殿前も道真公の象徴である梅であってほしいと願うが、桜橘か梅橘か、自信を持って答える事ができない。
「百花初見、百花元始」の語句に従い、梅花祭を待たず早速「北野さん」に足を運んだ。
社殿前の左右の植え込みは一体何であるか。逸る気持ちを押さえながら参詣道を歩いた。桜か梅か。
三光門を潜ると、社殿が迫る。その前にすばやく目を遣った。
「左近に松、右近に梅」である。更に木々に近寄り凝視した。北野天満宮の社殿前には松梅が植栽されていることを確認した。これで今後自信を持って答えられるだろう。
橘ではなく松であったことに驚くも、梅であったことに落ち着きを取り戻し、ゆっくりと、境内の白梅、紅梅、一重、八重など咲く花の香りを満喫させて貰った。
「北野さん」では梅苑公開が2月初旬から3月初旬まで行われている。お出掛けされてはいかがか。
梅苑公開に出向けば、「老松の茶店」に立ち寄られることだ。梅味の京菓子が少ない中で、「北野梅苑菓子」がいただける寸法となる。梅苑のみ限定販売の干菓子「春鴬囀(しゅんおうてん)」や、北野梅林の梅に手塩され漬け込まれた「梅酒羹(うめしゅかん)」、「梅ジャム」などが用意されている。
小生は茶店で「香梅煎(こうばいせん)」を買い求め、社殿の東にある四脚門の東門より出て、「有職菓子御調進所 老松」に足を向けた。社殿より上七軒歌舞練場の方へ向かい、歩いて3分とかからない。その訳は、梅苑公開時限定の京菓子、その銘も「東風ふかば」という「棹物」があると聞いていたからである。道真公の詠まれた句の名がつけられた小生にとっては感激の菓子である。
京菓子では、梅衣(川端道喜)・紅梅(鶴屋吉信/こまき)・紅梅餅・白梅(末富)・雪中梅(岬屋)・ねじ梅(鶴屋八幡)・此の花(松屋常盤)などの「梅の花」を形どった生菓子や、「打ち物」「有平糖」で雪華・小梅(塩芳軒)などのように花の意匠を施したものはよく目にする。
しかし、梅の甘酸っぱさを常用している菓子となると少ないように思う。
例えば、小生の味の記憶をたどって思いだされるのに「末富のうすべに」がある。軽やかな薄い麩焼きの間に甘みのある梅肉が挟んであるものだ。京の雅びな色と味を賞味して貰えると思うが、その梅餡の味は「大徳寺納豆」などを好む方に向いていることは間違いない。
「亀屋末富」は京野菜の野菜煎餅でご存知の方も多い老舗である。
さて、菓子も買い求められ、梅菓子談義もそこそこに、梅苑に話を戻そう。
道真公を祀る北野さんの梅苑の梅は、梅見だけに興じられているだけではない。
北野さんに参詣された方なら「大福梅」をご存知だろう。この梅苑の梅だ。
正月元旦の祝膳には欠かせぬものである。新年の縁起物として12月13日の事始めから終い天神の間授与されている。
2/25梅花祭のあと、6月に入ると神職等の手で採取される梅の実は3トンにも及ぶと聞く。
採取後塩漬けされ樽で寝かされ、土用干しに1ヶ月がかけられる。この間の境内はむしろの上に干された梅の香りでいっぱいになる。土用干し後11月まで更に塩漬け貯蔵される。
この「梅干」が「大福梅」である。
神苑の梅の崇敬者は天満信仰とともに多い。
因みに、前述の「老松」さんは、北野梅苑の梅を漬け込み、梅菓子を作られている。
天神さんは梅鉢の神紋にも見られるように、道真公の愛した梅に尽きるものが確かに多い。そのせいか道真公の怨霊伝説に悩まされた朝廷の逸話にも梅に関わる話が後世にも残っている。
京都御所内で桜満開の折、「伊達公殿、国許ではこの花を何と呼んでおられましょうぞ?」とある公家が婉曲に馬鹿げた謎かけをした。
されど伊達正宗公、 「大宮人 梅に懲りずに桜かな」との歌で返したという。
徳川の世のはじまりの時にまで、道真公の「梅」にまつわる逸話は轟いていたということになる。
万葉の頃より都は中国長安をモデルにし、数々の中国宮廷の習わしを取り入れてきた。
とりわけ平安遷都では風水に基づく様式には厳格であった。長安、西安など中国宮廷では神殿前の植え込みは、古くより「梅と橘」である。
ふと脳裏をかすめた。雛飾りにも受け継がれている様に、京都御所紫宸殿(ししんでん)前は「左近の桜 右近の橘」である。
梅の名所 (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/ume/meisho/index.html
北野天満宮
http://www.kitanotenmangu.or.jp/top.html
有職菓子御調進所 老松
http://www.oimatu.co.jp
うすべに / 末富
http://www.kyoto-suetomi.com/basic/usubeni.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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