休日の朝、ご近所を歩いてみた。
何処へ行ったのやら、数日前まで鳴いていた蝉の声が聞こえてこない。
街は未だ眠っているのか、聞こえてくるのは自分の足音だけである。
足音の跳ね返ってくる先に目をやると、木々の葉は目映いばかりに光り、小枝が左右にゆらりとゆらりと揺れている。
ゆっくりとした時の流れが肌で感じとれる。
済みきった青い空にいわし雲。玄関脇に咲く酔芙蓉の透き通るような花びらが葉脈を映し出し、その淡い桃色は、恥らうように朝の挨拶をしてくれている。
通り沿いの生垣の中を覗き込むと、手前に槿(むくげ)の花が咲き、その先に花壇が作られている。桔梗(ききょう)は既に花を落とし、蔓(つる)を精一杯伸ばした朝顔の葉は萎え、先の方に、辛うじて赤紫色の花を一輪咲かせている。
一方、ケイトウは力強く濃い赤の鶏冠(とさか)を奮い立たせ、黄花やピンクのコスモスは大らかに朝の歌を唄っているように見えた。
その庭の隣は、古家が取り壊されたあとの空地で、資材置き場と月極駐車場になっている。その端っこの方に、小川とは呼べないが側溝があり、遠目に真っ赤に咲いているものが見えた。それは引きずるように小生を引き寄せた。
毎年、嵯峨野や広沢池辺りに、わざわざ見に出かけていたのに、こんなところにも咲いていたのだ。
幼少の頃、墓地や田んぼのあぜ道に咲いていた花である。小生にとっては、祖母に連れられ散歩していた頃の記憶を、あざやかに呼び覚ましてくれる花なのである。
この花に出逢うと蘇る。「あぁーかーく 咲くぅーのがー マンジュシャーゲェー」と、祖母は唄いだし、「この花は、彼岸花や」と教えてくれた。
「秋のお彼岸さんになったら、パッーと咲かはるんや。葉っぱがのうても咲かはる。花がのうなったら葉っぱが出てきやはる珍しい花なんや。野蒜(のびる)みたいやけど、まちごうたらあかんえ。ゲロせんならんし、お腹こわしてピッピーどす。」と、話しは続いた。
薄緑色の鱗茎は有毒で、中枢神経を麻痺させ死に到らせることもある植物である。
墓地や田畑の畦に多いのは、鼠、モグラ、虫、動物への忌避作用があり、それらが荒らされないように、古来より株分けして植えられていたからである。
彼岸に咲いて、これを食すると、彼岸つまり死、ということで「彼岸花」と呼ばれているのか。死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)などと、不吉な異名があり嫌われる人もいる。
しかし、別名の「曼珠沙華」は、法華経の梵語に由来し、「天上の花」と記されている。
色鮮やかな赤を放ち、繊細な花弁を放射線状伸ばし、妖艶であり、また炎の如く凛としている。
更に、西洋では学名Lycoris(リコリス)と呼び、ギリシャ神話の女神である海の精:ネレイドの一人の名前から取られ命名されていて、高貴な意味を持っている。
この曼珠沙華が咲くとお彼岸である。
つまり、家族揃って墓参りに行き、祖先を供養する日である。先祖を敬い、亡くなった人を偲び、今ある自分の有難さに感謝する季節の節目である。
国民の祝日である「秋分の日」は、その彼岸7日間の中日(ちゅうじつ)の日に定められている。彼岸は旧暦により決まるので、春秋の彼岸の日は毎年変わる。
それに伴い、国民の祝日としている「春・秋分の日」も毎年違う日となる。他の祝日は毎年固定化しているが、「春・秋分の日」は国立天文台が作成する「暦象年表」により、閣議で来年の日にちが決定されているようだ。
1948年に制定された祝日法では、毎年9月23日頃を秋分の日と呼び、「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」としている。
秋の花で代表的なのは、「草冠に秋」と書かれるぐらいの「萩」であろう。京の社寺においても「萩まつり」が行われている。しかし、小生にとっては、同じ頃に咲く聖なる花、「彼岸花」が秋を代表する花となる。
この花を目にすると、先祖供養の秋の墓参りがやってくる。
曼珠沙華 斉藤茂吉
http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/5001_14199.html
曼珠沙華 現代俳句データベース
http://www.haiku-data.jp/kigo_work_list.php?kigo_cd=1826&PHPSESSID=59dfd2beb05d64e08c61079114b4d6ec
秋の七草
http://www.hana300.com/aki777.html
曼珠沙華 京都の秋の景色
http://www.eonet.ne.jp/~kyoto/2003/2003_17/2003_17.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
何処へ行ったのやら、数日前まで鳴いていた蝉の声が聞こえてこない。
街は未だ眠っているのか、聞こえてくるのは自分の足音だけである。
足音の跳ね返ってくる先に目をやると、木々の葉は目映いばかりに光り、小枝が左右にゆらりとゆらりと揺れている。
ゆっくりとした時の流れが肌で感じとれる。
済みきった青い空にいわし雲。玄関脇に咲く酔芙蓉の透き通るような花びらが葉脈を映し出し、その淡い桃色は、恥らうように朝の挨拶をしてくれている。
通り沿いの生垣の中を覗き込むと、手前に槿(むくげ)の花が咲き、その先に花壇が作られている。桔梗(ききょう)は既に花を落とし、蔓(つる)を精一杯伸ばした朝顔の葉は萎え、先の方に、辛うじて赤紫色の花を一輪咲かせている。
一方、ケイトウは力強く濃い赤の鶏冠(とさか)を奮い立たせ、黄花やピンクのコスモスは大らかに朝の歌を唄っているように見えた。
その庭の隣は、古家が取り壊されたあとの空地で、資材置き場と月極駐車場になっている。その端っこの方に、小川とは呼べないが側溝があり、遠目に真っ赤に咲いているものが見えた。それは引きずるように小生を引き寄せた。
毎年、嵯峨野や広沢池辺りに、わざわざ見に出かけていたのに、こんなところにも咲いていたのだ。
幼少の頃、墓地や田んぼのあぜ道に咲いていた花である。小生にとっては、祖母に連れられ散歩していた頃の記憶を、あざやかに呼び覚ましてくれる花なのである。
この花に出逢うと蘇る。「あぁーかーく 咲くぅーのがー マンジュシャーゲェー」と、祖母は唄いだし、「この花は、彼岸花や」と教えてくれた。
「秋のお彼岸さんになったら、パッーと咲かはるんや。葉っぱがのうても咲かはる。花がのうなったら葉っぱが出てきやはる珍しい花なんや。野蒜(のびる)みたいやけど、まちごうたらあかんえ。ゲロせんならんし、お腹こわしてピッピーどす。」と、話しは続いた。
薄緑色の鱗茎は有毒で、中枢神経を麻痺させ死に到らせることもある植物である。
墓地や田畑の畦に多いのは、鼠、モグラ、虫、動物への忌避作用があり、それらが荒らされないように、古来より株分けして植えられていたからである。
彼岸に咲いて、これを食すると、彼岸つまり死、ということで「彼岸花」と呼ばれているのか。死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)などと、不吉な異名があり嫌われる人もいる。
しかし、別名の「曼珠沙華」は、法華経の梵語に由来し、「天上の花」と記されている。
色鮮やかな赤を放ち、繊細な花弁を放射線状伸ばし、妖艶であり、また炎の如く凛としている。
更に、西洋では学名Lycoris(リコリス)と呼び、ギリシャ神話の女神である海の精:ネレイドの一人の名前から取られ命名されていて、高貴な意味を持っている。
この曼珠沙華が咲くとお彼岸である。
つまり、家族揃って墓参りに行き、祖先を供養する日である。先祖を敬い、亡くなった人を偲び、今ある自分の有難さに感謝する季節の節目である。
国民の祝日である「秋分の日」は、その彼岸7日間の中日(ちゅうじつ)の日に定められている。彼岸は旧暦により決まるので、春秋の彼岸の日は毎年変わる。
それに伴い、国民の祝日としている「春・秋分の日」も毎年違う日となる。他の祝日は毎年固定化しているが、「春・秋分の日」は国立天文台が作成する「暦象年表」により、閣議で来年の日にちが決定されているようだ。
1948年に制定された祝日法では、毎年9月23日頃を秋分の日と呼び、「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」としている。
秋の花で代表的なのは、「草冠に秋」と書かれるぐらいの「萩」であろう。京の社寺においても「萩まつり」が行われている。しかし、小生にとっては、同じ頃に咲く聖なる花、「彼岸花」が秋を代表する花となる。
この花を目にすると、先祖供養の秋の墓参りがやってくる。
曼珠沙華 斉藤茂吉
http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/5001_14199.html
曼珠沙華 現代俳句データベース
http://www.haiku-data.jp/kigo_work_list.php?kigo_cd=1826&PHPSESSID=59dfd2beb05d64e08c61079114b4d6ec
秋の七草
http://www.hana300.com/aki777.html
曼珠沙華 京都の秋の景色
http://www.eonet.ne.jp/~kyoto/2003/2003_17/2003_17.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5199-080922-9月