10月の三連休は悩みに悩んだ。悩みの種は祭である。
体育の日という日程に、各神社の祭礼の日が重なってしまうのである。
古来祭礼の日は各々の神社で固有であったが、氏子の休日に合わせないと執行できないという現代の事情に、祭事を合わせなければならなくなっている。
それで、固有の日から固有の曜日の祭事になっていったのである。
勿論、神社での神事は固有の日に、神官により営々と執り行われている。
そもそも、祭の梯子をするのが無理難題なのかもしれない。
しかし、できるだけ多くの剣鉾を、この目で確かめておきたかったから止むを得ないことである。
迷いに迷い、最終的に基準を決めた。まず第一が剣鉾の数、第二が飾り鉾と巡幸する荷鉾及び剣鉾差しとの区分、第三が剣鉾巡幸の経路とその時間、とした。
その結果、各地域の祭礼より、この三連休は三つの神社に絞りこんだ。
左京区は北白川天神宮と吉田神社今宮社、そして東山区の粟田神社である。
仕方なく、木島神社に春日神社は来年にすることにした。
粟田神社剣鉾奉賛会では会員を募集しており、見学自由にした剣鉾差しの練習を、境内でされていることを、掲示板で知っていた。
金曜日の夜が、13日の巡幸前の最終の練習日であったが、本番を待てず、とうとう見学に出向いた。時計の針はもう午後9時である。
三条通に面す一の鳥居から入り、二の鳥居を潜ると、そこから登り坂となる。
長く続く急な石段の上の方から、「チロリン チロリーン」と、高い金属音が響き渡っているのが聞こえてきた。
剣鉾の棹に当たる鈴が鳴っている音である。その鈴の音に誘われるように、小生は足早に駆け上がった。
十名余りの会員達は、最後の練習に余念がなかった。邪魔になりそうで申し訳なかったが、粟田祭剣鉾奉賛会の廉屋会長も快く受け入れて下さった。
その上に、この道37年の一乗寺八大神社剣鉾保存会会長の大西邦夫さんが指導に来られていて、面識も出来、話もお聞きし、小生にとっては嬉しい限りの夜となった。
一乗寺八大神社剣鉾保存会の剣鉾差しは、平成二年京都市登録無形民俗文化財に指定されており、市内各神社での剣鉾差しの復活に多大に寄与されていて、夙に有名である。
話をしていて、小生が呼んでいた「剣差し」という呼び方はしないことに気づいた。
「剣鉾差し」「鉾差し」のいずれかで呼ぶのが正しいようだ。
鉾の先の剣が前後に揺れるのを「まねき」と呼ぶことも知った。
その剣のたゆみが、霊力で神を招くという言い伝えからの呼び名であるという。
「北白川も、吉田も、粟田も、祭りには皆で協力しおうて、差してます。まだまだ鉾差しが少ないんで・・・」、大西先生は言う。現在に残してゆく昔の鉾差しの技法を讃え、後世に受け継がれることを深く願っている思いが伝わってくる。
翌土曜日、吉田神社今宮社を訪れたとき、神輿の傍に飾られていた朱塗りの剣鉾があった。眺めていると、今宮会の役員さんが、「これは子供用ですわ。小学生にこれで練習させていますねん。」と、説明してくれた。大西先生の思いが、ここにも反映されていると感じた。
日曜日の準備に、剣鉾が飾りつけされていた。「お供えを、これからここにせなあきまへんのや」。飾られていた剣鉾は、一番「唐胡麻(とぐるま)鉾」、二番「矢鉾」、三番「松鉾」である。12日には、三基とも鉾差しで巡幸し、唐胡麻鉾には吹き散りが付けられる、とのことであった。
同日、北白川天神宮にも出向いた。天神宮近くの当家飾りの壱の鉾は、玄関前の表に立て飾られていたので、直ぐに見つけられたが、他の二つは見つけられずに終わった。
神輿は神社にあるものだが、剣鉾は氏子町の町衆の家々で保存されている。そして、祭りの期間飾り鉾として当家飾りされている。
これは祇園祭の山鉾と、八坂神社の神輿の関係と同じである。
さて、13日の粟田祭神幸祭の日がやってきた。
粟田祭には18の鉾が保存されていて、剣鉾差しが六基で、荷鉾一基が先之行列として、神輿渡御列の前に出発した。神宮道と三条通界隈の当家飾りの飾り鉾を縫い合わせるかのように巡幸するのに、半日付いて歩いた。
室町時代に、祇園御霊会のないときは 粟田祭の剣鉾を以って代行された歴史を持っている粟田祭。それは瓜生石に牛頭天王との関わりからも納得できる話である。
祇園祭山鉾巡行の原型とされる剣鉾の更なる復活を願うばかりである。
粟田祭の夜渡り神事や神幸祭の模様は次回お伝えしたい。
剣鉾 八大神社
http://www.hatidai-jinja.com/01_x-06_kenboko.html
北白川天神宮
http://kitashirakawa.com/
吉田神社
http://www.yosidajinjya.com
粟田神社
http://www.awatajinja.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
体育の日という日程に、各神社の祭礼の日が重なってしまうのである。
古来祭礼の日は各々の神社で固有であったが、氏子の休日に合わせないと執行できないという現代の事情に、祭事を合わせなければならなくなっている。
それで、固有の日から固有の曜日の祭事になっていったのである。
勿論、神社での神事は固有の日に、神官により営々と執り行われている。
そもそも、祭の梯子をするのが無理難題なのかもしれない。
しかし、できるだけ多くの剣鉾を、この目で確かめておきたかったから止むを得ないことである。
迷いに迷い、最終的に基準を決めた。まず第一が剣鉾の数、第二が飾り鉾と巡幸する荷鉾及び剣鉾差しとの区分、第三が剣鉾巡幸の経路とその時間、とした。
その結果、各地域の祭礼より、この三連休は三つの神社に絞りこんだ。
左京区は北白川天神宮と吉田神社今宮社、そして東山区の粟田神社である。
仕方なく、木島神社に春日神社は来年にすることにした。
粟田神社剣鉾奉賛会では会員を募集しており、見学自由にした剣鉾差しの練習を、境内でされていることを、掲示板で知っていた。
金曜日の夜が、13日の巡幸前の最終の練習日であったが、本番を待てず、とうとう見学に出向いた。時計の針はもう午後9時である。
三条通に面す一の鳥居から入り、二の鳥居を潜ると、そこから登り坂となる。
長く続く急な石段の上の方から、「チロリン チロリーン」と、高い金属音が響き渡っているのが聞こえてきた。
剣鉾の棹に当たる鈴が鳴っている音である。その鈴の音に誘われるように、小生は足早に駆け上がった。
十名余りの会員達は、最後の練習に余念がなかった。邪魔になりそうで申し訳なかったが、粟田祭剣鉾奉賛会の廉屋会長も快く受け入れて下さった。
その上に、この道37年の一乗寺八大神社剣鉾保存会会長の大西邦夫さんが指導に来られていて、面識も出来、話もお聞きし、小生にとっては嬉しい限りの夜となった。
一乗寺八大神社剣鉾保存会の剣鉾差しは、平成二年京都市登録無形民俗文化財に指定されており、市内各神社での剣鉾差しの復活に多大に寄与されていて、夙に有名である。
話をしていて、小生が呼んでいた「剣差し」という呼び方はしないことに気づいた。
「剣鉾差し」「鉾差し」のいずれかで呼ぶのが正しいようだ。
鉾の先の剣が前後に揺れるのを「まねき」と呼ぶことも知った。
その剣のたゆみが、霊力で神を招くという言い伝えからの呼び名であるという。
「北白川も、吉田も、粟田も、祭りには皆で協力しおうて、差してます。まだまだ鉾差しが少ないんで・・・」、大西先生は言う。現在に残してゆく昔の鉾差しの技法を讃え、後世に受け継がれることを深く願っている思いが伝わってくる。
翌土曜日、吉田神社今宮社を訪れたとき、神輿の傍に飾られていた朱塗りの剣鉾があった。眺めていると、今宮会の役員さんが、「これは子供用ですわ。小学生にこれで練習させていますねん。」と、説明してくれた。大西先生の思いが、ここにも反映されていると感じた。
日曜日の準備に、剣鉾が飾りつけされていた。「お供えを、これからここにせなあきまへんのや」。飾られていた剣鉾は、一番「唐胡麻(とぐるま)鉾」、二番「矢鉾」、三番「松鉾」である。12日には、三基とも鉾差しで巡幸し、唐胡麻鉾には吹き散りが付けられる、とのことであった。
同日、北白川天神宮にも出向いた。天神宮近くの当家飾りの壱の鉾は、玄関前の表に立て飾られていたので、直ぐに見つけられたが、他の二つは見つけられずに終わった。
神輿は神社にあるものだが、剣鉾は氏子町の町衆の家々で保存されている。そして、祭りの期間飾り鉾として当家飾りされている。
これは祇園祭の山鉾と、八坂神社の神輿の関係と同じである。
さて、13日の粟田祭神幸祭の日がやってきた。
粟田祭には18の鉾が保存されていて、剣鉾差しが六基で、荷鉾一基が先之行列として、神輿渡御列の前に出発した。神宮道と三条通界隈の当家飾りの飾り鉾を縫い合わせるかのように巡幸するのに、半日付いて歩いた。
室町時代に、祇園御霊会のないときは 粟田祭の剣鉾を以って代行された歴史を持っている粟田祭。それは瓜生石に牛頭天王との関わりからも納得できる話である。
祇園祭山鉾巡行の原型とされる剣鉾の更なる復活を願うばかりである。
粟田祭の夜渡り神事や神幸祭の模様は次回お伝えしたい。
剣鉾 八大神社
http://www.hatidai-jinja.com/01_x-06_kenboko.html
北白川天神宮
http://kitashirakawa.com/
吉田神社
http://www.yosidajinjya.com
粟田神社
http://www.awatajinja.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5203-141009-10月
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