萩という字を、「草(草かんむり)」に「秋」と覚えた。
そのためか、今もこの字を書くときには、「秋の草か」と声にだす。
朝夕に涼やかな風が吹き始める頃、野山や河川に出ればどこにでも見られた花である。
それは、ススキや葛に出合うのと同じようにである。
それらに出合うと、毎年毎年恒例のように、決まって秋の七草を口にする。
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花 (はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな)」
万葉集にある山上憶良の歌である。1300年も以前に詠まれた歌が、今も生きている。
しかし、藤袴のように絶滅寸前とまではいかずとも、他の秋草も、ごく普通に野山で見かけることが少なくなっている。頻繁に目にするのは尾花(ススキ)に葛花ぐらいではないだろうか。
荒地の痩せた土にも育つ萩なのに、「萩まつり」に出かけて見物しなければならないのである。何かが変わってきていることを自然が発しているのだが、我々人間社会は鈍感なようである。
古の時代には、どの草花も山野に自生する身近な植物であり、とりわけ萩は、万葉の秋の草花の王者であったようである。万葉集に詠われる草花の中でも萩の歌は一番多く、こんな一首が目に留まった。
秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩の花見に
今年初めて萩の花を見たのが、七月の平安神宮西神苑と南神苑の間で、紅枝垂桜の棚に下りる土手である。赤紫の蝶のように咲いた夏萩であった。
中神苑の蒼竜池の萩は青々とした三枚葉を元気よく着けていた。この秋、回遊式の池にかかる風情で、水辺に映え何色の花を咲かすのだろうかと楽しみにしていた。
萩の花見は、歳時記の秋のお彼岸や、中秋の名月の文字が記されている頃が最良である。
よく知られている「萩の寺 常林寺」では「萩供養(2009/9/12〜13」が、「萩の宮 梨木神社」では「萩まつり(2009/9/19〜23)」が毎年催されている。
小生が計画している萩の花見は、まず、黒谷さん(金戒光明寺)から真如堂を経て迎称寺(こうしょうじ)へ、そして吉田山を散策して山萩を探すのが第一候補である。
黒谷さんには近世箏曲の開祖八橋倹校の菩提寺である塔頭常光院(八つ橋寺)があり、幕末に京都で活躍した盲人箏曲家幾山倹校(1818〜1890)は「萩の露」(地歌・箏曲)という名曲を残している。その気品に満ちた名曲は、恋に破れ涙に暮れる自分を萩の露にたとえ、秋の風物を詠み込んだ京流手事物の曲であるという。
黒谷さんの勅旨門前に大きく枝を伸ばす見事な山萩がある。これがどうも気になっている。幾山倹校が「萩の露」を見たのは、どこのどんな萩であったのだろうかという好奇心が、黒谷さんの萩に向かっているからである。
その萩を眺めたあと、極楽橋の架かる蓮池の萩を見ながら、黒谷さんの墓地を抜け、真如堂の墓地沿いに境内へ。本堂の周りも三重塔の周りにも存分に植え込まれている。
しっかりと枝垂れている様子から、誰にもミヤギノハギであることがわかる。
更に、山門前に出ると、ムクゲと並んで赤紫の花を咲かせる萩が、朱の山門とのコントラストを楽しませてくれるだろう。
さて、山門を背に右に曲がると、正面突き当たりに迎称寺が見える。
山門の両脇に枝垂れている萩が、塀沿いに続いている様子である。
近づいてゆくと、萩に埋もれて石碑が建っているのがわかる。そこには「萩の霊場」との文字が刻まれている。
南と東を囲む土塀に沿って、白と赤紫の花が混在して咲き乱れる光景は絶景である。
その東の土塀は今にも崩れ落ちそうなぐらいで、歳月を経た味わいと懐の深さを壁の地肌が語っているのである。
非公開寺院ではあるが、その土塀に萩は道端に沿っているので、いつでも誰でも見られるから嬉しい。
崩れ落ちても困りものだが、かといって、見違えるように改修されてしまえば、この萩の景色が陳腐なものになりかねない。侘びの心が通じる「萩の霊場」であり続けることを願うばかりである。
このコースの下見には、9月に入りもう二度も訪れている。
お彼岸の日の萩見物を予定しているが、このあとには、陽成天皇陵前を通り吉田山荘で甘味をいただき小休止、隣の宗忠神社を経て竹中稲荷社向かい、自生の山萩を探しながら吉田山を散策し、吉田山山頂公園で大文字を仰ぎたいと思っている。
山中で疲れても、「茂庵」という軽食喫茶があるので、女性の方も心配は要らない。
是非、観光ツアーでは味わえない京都の良さを体験いただきたい。
小生の萩見物の定番の中でお奨めを一つあげるとすると、上賀茂神社を挙げておきたい。理由は、一に桃色の萩の花は上賀茂さんでしか見たことがない。二に奈良の小川の水しぶきを浴びる萩に野趣を味わえる。三に朱の楼門に萩がよく映えている。
嵐山地区の観光寺院も萩の見所は多い。天龍寺・清涼寺・大覚寺・鹿王院などがあるが、小生は二尊院が外せないと思っている。
紅葉の馬場と呼ぶ参道が、両脇から枝垂れてくる「萩の道」になる。更に、龍神遊行の庭の竹垣には赤紫の萩、弁天堂前には勢いのある白萩が屏風絵のように咲くからである。
紙幅も残り少ないので、あとは各自の探訪にお任せするとして、次の機会までに、惹かれる萩の隠れた見所を探しておきたい。
萩の花WEB
http://homepage2.nifty.com/hagiitar/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
そのためか、今もこの字を書くときには、「秋の草か」と声にだす。
朝夕に涼やかな風が吹き始める頃、野山や河川に出ればどこにでも見られた花である。
それは、ススキや葛に出合うのと同じようにである。
それらに出合うと、毎年毎年恒例のように、決まって秋の七草を口にする。
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花 (はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな)」
万葉集にある山上憶良の歌である。1300年も以前に詠まれた歌が、今も生きている。
しかし、藤袴のように絶滅寸前とまではいかずとも、他の秋草も、ごく普通に野山で見かけることが少なくなっている。頻繁に目にするのは尾花(ススキ)に葛花ぐらいではないだろうか。
荒地の痩せた土にも育つ萩なのに、「萩まつり」に出かけて見物しなければならないのである。何かが変わってきていることを自然が発しているのだが、我々人間社会は鈍感なようである。
古の時代には、どの草花も山野に自生する身近な植物であり、とりわけ萩は、万葉の秋の草花の王者であったようである。万葉集に詠われる草花の中でも萩の歌は一番多く、こんな一首が目に留まった。
秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩の花見に
今年初めて萩の花を見たのが、七月の平安神宮西神苑と南神苑の間で、紅枝垂桜の棚に下りる土手である。赤紫の蝶のように咲いた夏萩であった。
中神苑の蒼竜池の萩は青々とした三枚葉を元気よく着けていた。この秋、回遊式の池にかかる風情で、水辺に映え何色の花を咲かすのだろうかと楽しみにしていた。
萩の花見は、歳時記の秋のお彼岸や、中秋の名月の文字が記されている頃が最良である。
よく知られている「萩の寺 常林寺」では「萩供養(2009/9/12〜13」が、「萩の宮 梨木神社」では「萩まつり(2009/9/19〜23)」が毎年催されている。
小生が計画している萩の花見は、まず、黒谷さん(金戒光明寺)から真如堂を経て迎称寺(こうしょうじ)へ、そして吉田山を散策して山萩を探すのが第一候補である。
黒谷さんには近世箏曲の開祖八橋倹校の菩提寺である塔頭常光院(八つ橋寺)があり、幕末に京都で活躍した盲人箏曲家幾山倹校(1818〜1890)は「萩の露」(地歌・箏曲)という名曲を残している。その気品に満ちた名曲は、恋に破れ涙に暮れる自分を萩の露にたとえ、秋の風物を詠み込んだ京流手事物の曲であるという。
黒谷さんの勅旨門前に大きく枝を伸ばす見事な山萩がある。これがどうも気になっている。幾山倹校が「萩の露」を見たのは、どこのどんな萩であったのだろうかという好奇心が、黒谷さんの萩に向かっているからである。
その萩を眺めたあと、極楽橋の架かる蓮池の萩を見ながら、黒谷さんの墓地を抜け、真如堂の墓地沿いに境内へ。本堂の周りも三重塔の周りにも存分に植え込まれている。
しっかりと枝垂れている様子から、誰にもミヤギノハギであることがわかる。
更に、山門前に出ると、ムクゲと並んで赤紫の花を咲かせる萩が、朱の山門とのコントラストを楽しませてくれるだろう。
さて、山門を背に右に曲がると、正面突き当たりに迎称寺が見える。
山門の両脇に枝垂れている萩が、塀沿いに続いている様子である。
近づいてゆくと、萩に埋もれて石碑が建っているのがわかる。そこには「萩の霊場」との文字が刻まれている。
南と東を囲む土塀に沿って、白と赤紫の花が混在して咲き乱れる光景は絶景である。
その東の土塀は今にも崩れ落ちそうなぐらいで、歳月を経た味わいと懐の深さを壁の地肌が語っているのである。
非公開寺院ではあるが、その土塀に萩は道端に沿っているので、いつでも誰でも見られるから嬉しい。
崩れ落ちても困りものだが、かといって、見違えるように改修されてしまえば、この萩の景色が陳腐なものになりかねない。侘びの心が通じる「萩の霊場」であり続けることを願うばかりである。
このコースの下見には、9月に入りもう二度も訪れている。
お彼岸の日の萩見物を予定しているが、このあとには、陽成天皇陵前を通り吉田山荘で甘味をいただき小休止、隣の宗忠神社を経て竹中稲荷社向かい、自生の山萩を探しながら吉田山を散策し、吉田山山頂公園で大文字を仰ぎたいと思っている。
山中で疲れても、「茂庵」という軽食喫茶があるので、女性の方も心配は要らない。
是非、観光ツアーでは味わえない京都の良さを体験いただきたい。
小生の萩見物の定番の中でお奨めを一つあげるとすると、上賀茂神社を挙げておきたい。理由は、一に桃色の萩の花は上賀茂さんでしか見たことがない。二に奈良の小川の水しぶきを浴びる萩に野趣を味わえる。三に朱の楼門に萩がよく映えている。
嵐山地区の観光寺院も萩の見所は多い。天龍寺・清涼寺・大覚寺・鹿王院などがあるが、小生は二尊院が外せないと思っている。
紅葉の馬場と呼ぶ参道が、両脇から枝垂れてくる「萩の道」になる。更に、龍神遊行の庭の竹垣には赤紫の萩、弁天堂前には勢いのある白萩が屏風絵のように咲くからである。
紙幅も残り少ないので、あとは各自の探訪にお任せするとして、次の機会までに、惹かれる萩の隠れた見所を探しておきたい。
萩の花WEB
http://homepage2.nifty.com/hagiitar/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5251-120913-9月
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