クリックでスライドショー
満月の夜の観月茶会に誘われた。
場所は洛西花園にある退蔵院。臨済宗妙心寺の塔頭である。
妙心寺といえば、関係寺院3500ヶ寺僧侶7000人を擁する禅宗随一の大本山である。その地は花園天皇(1297〜1348)の離宮で、禅宗に帰依された天皇が禅寺とされたところである。
境内の広さは、甲子園球場を八つも作れる広さで、七堂伽藍に四十余の子院塔頭が並ぶ。
もうどれくらいに前になるであろうか、社内研修会の折に、座禅を組むべく宿泊させてもらったことがある。
早めに仕事を終え食事を済ませ夕刻に駆け込み早速に座禅、講話を聞いて座禅、そして10時には消灯就寝。翌朝5時に起床して座禅、朝粥がいただけたのが7時、そして掃除のあと解散だった。
最初に座したときは、数息観を教えられたが、あれやこれやと気がかりなことが浮かび、どうしてこんなことをしているのかなど愚痴を考えたりで、何の結論に至ることもないままであった。
就寝前の二回目の座禅では、幼少の頃に思いを巡らしているうちに、自然と今の自分のあり様を考えていた。迷惑や厄介をかけているにもかかわらず、それが当然のように、お礼の言葉を発せていない人たちの顔が浮かび、そんな自分に気づいて終えた。
何かを指示された訳でなく、示唆された訳でない。座布団の使い方と足の組み方を伝えられ、指示されたことといえば、姿勢を正し半眼で1メートルほど先を視る事であった。
床について、他の同僚たちもそうだったのかと考えているうちに眠っていたように思う。
翌朝、吸い込んだ朝の光と空気は随分と清々しかった。同じ京都の朝であるが、時間の違いだけではあるまいと感じた。
朝の座禅では、あるがままを受け入れ、兎に角、感謝の心を持とうと決めていた。
帰路、口やかましく言われずとも、黙って目を閉じれば、人は気づけるものだと、座禅に感服したものだった。調身・調息・調心などは後に知る言葉である。
そんな思い出を持つ妙心寺の境内に、当日は一足早く行き、ゆっくりとたっぷりと、散策することにした。
南総門の前に着いた。
門から塀沿いには五色の幕が張られている。何の行事があるのだろうかと、案内札を探すと、「開山無相大師六五〇年 遠諱大法会」との案内があった。
平成21年は、花園天皇に迎えられ妙心寺を開山された関山慧玄禅師(1277〜1360、諡号・無相大師)の五十年毎に執り行われている大法要の年にあたり、その遠諱(おんぎ)が明日から執り行われるようで、境内ではその準備に追われ、信者受付のテントが多数張られているのが見えた。
観月茶会の受付時間までには、3時間ある。
連なる四十余の塔頭を結ぶ石畳を踏み、白や土色の壁に沿って歩き、塔頭山門から覗き見られる前庭を楽しむには十分な時間である。
東の参道を宗務本所から開山堂を経て、大心院、桂春院を通り、道なりに北総門に向かう。次は北総門を背に、天球院から南へ勅使門を目差せば良い。途中、西の双ヶ丘の方に入る石畳を踏み歩き、徳雲院や大法院に向かうと、静寂さながらの聖地の空気を味わえた。
更に、狩野探幽の天上画雲龍図をと法堂(はっとう)を拝観、牛の目をモチーフにした龍眼に、あちこちに立ち動き睨まれてみた。
そして、朱塗りの三門の東にある浴室(明智風呂)の拝観である。一重切妻造本瓦葺の蒸風呂は、屋根つきの浴槽に洗い場があり、畳敷きの休息室も設けてある。東背面には湯を沸かす二基の釜があり、湯を注ぐ口から続く浴槽の板敷きはスノコ状で、その隙間からの蒸気を抜く調節窓は正面入り口の戸に付いている。洗い場の床は傾斜がつけられ、かけ湯が流れてゆく蓋つきの溝が施されていると、先人に感心するばかりである。
いよいよ、朱塗りの三門の西に位置する退蔵院である。勅使門北の放生池にかかる橋を遠目に三門前を横切り、退蔵院の山門、大玄関を通り方丈に上り、観月茶会の始まりを待つことにした。
方丈西の障子窓は開け放たれ、秋の花の投げ入れに月見だんごが飾られている。
障子窓の先に目をやると、室町時代後期の画聖狩野元信の作庭である枯山水の庭園が待ち受けていた。
難解な龍安寺の枯山水とは趣を異にする、絵画的で具体的に分かりやすい石の並びで、描いた絵を立体的に表現したのかと思わせるものであった。やぶ椿、松、槇、もっこく、かなめもち等の常緑の木々と、石、砂が、年中変らぬ景色を伝える元信の庭は、画聖狩野元信の晩年最後の作品といわれている。
方丈の襖絵や戸板のあちこちに描かれた鳥類の絵図を観賞したあと、月見の席余香苑の庭を散策し、しばし水琴窟のある蹲踞(つくばい)のあたりで時を過ごした。
落日の陽が双ヶ丘の方から射し込み、木漏れ日が眩しく、場所を変えようとしたとき、丁度茶席への案内の方が来られた。
観月に因んだお軸やお道具を拝見し、和やかにお茶をいただいていた時である。
突如として告げられた。普段非公開の茶室に入らせていただけるというのだ。
参禅を第一主義とする妙心寺では、茶の道が修行の妨げになると禁じた時代があったところ、執心のあまり、第六世千山和尚は密かに茶室を作ったのである。外からは茶席とわからぬよう巧みに作らせたという茶室は、建物の一番端にあたり、「囲いの席」と呼ばれていた。
「囲いの席」から、方丈裏にあたる通り庭に出ると、庫裏の軒上に満月が見えた。
なんだか、千山和尚になった気分である。
余香苑で名月を眺め、精進料理をいただき、妙心寺三門に、法堂に、佛殿に、経蔵にとかかる満月を眺められた宵であった。
しかし、今宵の隠れ茶室の軒に見た中秋の名月は格別で、生涯忘れないであろう。
人には隠れ家が必要なのである。
大本山妙心寺
http://www.myoshinji.or.jp/guide/yokushitsu.html
退蔵院
http://www.taizoin.com/main.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
場所は洛西花園にある退蔵院。臨済宗妙心寺の塔頭である。
妙心寺といえば、関係寺院3500ヶ寺僧侶7000人を擁する禅宗随一の大本山である。その地は花園天皇(1297〜1348)の離宮で、禅宗に帰依された天皇が禅寺とされたところである。
境内の広さは、甲子園球場を八つも作れる広さで、七堂伽藍に四十余の子院塔頭が並ぶ。
もうどれくらいに前になるであろうか、社内研修会の折に、座禅を組むべく宿泊させてもらったことがある。
早めに仕事を終え食事を済ませ夕刻に駆け込み早速に座禅、講話を聞いて座禅、そして10時には消灯就寝。翌朝5時に起床して座禅、朝粥がいただけたのが7時、そして掃除のあと解散だった。
最初に座したときは、数息観を教えられたが、あれやこれやと気がかりなことが浮かび、どうしてこんなことをしているのかなど愚痴を考えたりで、何の結論に至ることもないままであった。
就寝前の二回目の座禅では、幼少の頃に思いを巡らしているうちに、自然と今の自分のあり様を考えていた。迷惑や厄介をかけているにもかかわらず、それが当然のように、お礼の言葉を発せていない人たちの顔が浮かび、そんな自分に気づいて終えた。
何かを指示された訳でなく、示唆された訳でない。座布団の使い方と足の組み方を伝えられ、指示されたことといえば、姿勢を正し半眼で1メートルほど先を視る事であった。
床について、他の同僚たちもそうだったのかと考えているうちに眠っていたように思う。
翌朝、吸い込んだ朝の光と空気は随分と清々しかった。同じ京都の朝であるが、時間の違いだけではあるまいと感じた。
朝の座禅では、あるがままを受け入れ、兎に角、感謝の心を持とうと決めていた。
帰路、口やかましく言われずとも、黙って目を閉じれば、人は気づけるものだと、座禅に感服したものだった。調身・調息・調心などは後に知る言葉である。
そんな思い出を持つ妙心寺の境内に、当日は一足早く行き、ゆっくりとたっぷりと、散策することにした。
南総門の前に着いた。
門から塀沿いには五色の幕が張られている。何の行事があるのだろうかと、案内札を探すと、「開山無相大師六五〇年 遠諱大法会」との案内があった。
平成21年は、花園天皇に迎えられ妙心寺を開山された関山慧玄禅師(1277〜1360、諡号・無相大師)の五十年毎に執り行われている大法要の年にあたり、その遠諱(おんぎ)が明日から執り行われるようで、境内ではその準備に追われ、信者受付のテントが多数張られているのが見えた。
観月茶会の受付時間までには、3時間ある。
連なる四十余の塔頭を結ぶ石畳を踏み、白や土色の壁に沿って歩き、塔頭山門から覗き見られる前庭を楽しむには十分な時間である。
東の参道を宗務本所から開山堂を経て、大心院、桂春院を通り、道なりに北総門に向かう。次は北総門を背に、天球院から南へ勅使門を目差せば良い。途中、西の双ヶ丘の方に入る石畳を踏み歩き、徳雲院や大法院に向かうと、静寂さながらの聖地の空気を味わえた。
更に、狩野探幽の天上画雲龍図をと法堂(はっとう)を拝観、牛の目をモチーフにした龍眼に、あちこちに立ち動き睨まれてみた。
そして、朱塗りの三門の東にある浴室(明智風呂)の拝観である。一重切妻造本瓦葺の蒸風呂は、屋根つきの浴槽に洗い場があり、畳敷きの休息室も設けてある。東背面には湯を沸かす二基の釜があり、湯を注ぐ口から続く浴槽の板敷きはスノコ状で、その隙間からの蒸気を抜く調節窓は正面入り口の戸に付いている。洗い場の床は傾斜がつけられ、かけ湯が流れてゆく蓋つきの溝が施されていると、先人に感心するばかりである。
いよいよ、朱塗りの三門の西に位置する退蔵院である。勅使門北の放生池にかかる橋を遠目に三門前を横切り、退蔵院の山門、大玄関を通り方丈に上り、観月茶会の始まりを待つことにした。
方丈西の障子窓は開け放たれ、秋の花の投げ入れに月見だんごが飾られている。
障子窓の先に目をやると、室町時代後期の画聖狩野元信の作庭である枯山水の庭園が待ち受けていた。
難解な龍安寺の枯山水とは趣を異にする、絵画的で具体的に分かりやすい石の並びで、描いた絵を立体的に表現したのかと思わせるものであった。やぶ椿、松、槇、もっこく、かなめもち等の常緑の木々と、石、砂が、年中変らぬ景色を伝える元信の庭は、画聖狩野元信の晩年最後の作品といわれている。
方丈の襖絵や戸板のあちこちに描かれた鳥類の絵図を観賞したあと、月見の席余香苑の庭を散策し、しばし水琴窟のある蹲踞(つくばい)のあたりで時を過ごした。
落日の陽が双ヶ丘の方から射し込み、木漏れ日が眩しく、場所を変えようとしたとき、丁度茶席への案内の方が来られた。
観月に因んだお軸やお道具を拝見し、和やかにお茶をいただいていた時である。
突如として告げられた。普段非公開の茶室に入らせていただけるというのだ。
参禅を第一主義とする妙心寺では、茶の道が修行の妨げになると禁じた時代があったところ、執心のあまり、第六世千山和尚は密かに茶室を作ったのである。外からは茶席とわからぬよう巧みに作らせたという茶室は、建物の一番端にあたり、「囲いの席」と呼ばれていた。
「囲いの席」から、方丈裏にあたる通り庭に出ると、庫裏の軒上に満月が見えた。
なんだか、千山和尚になった気分である。
余香苑で名月を眺め、精進料理をいただき、妙心寺三門に、法堂に、佛殿に、経蔵にとかかる満月を眺められた宵であった。
しかし、今宵の隠れ茶室の軒に見た中秋の名月は格別で、生涯忘れないであろう。
人には隠れ家が必要なのである。
大本山妙心寺
http://www.myoshinji.or.jp/guide/yokushitsu.html
退蔵院
http://www.taizoin.com/main.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5253-120927-秋