初詣に八坂さんにお参りした。
午前五時の祇園石段下の四条通はロープが張られ、元旦に一番に詣でようとする初詣客の光景は、まるでマラソンのスタート地点のようだった。
牛頭天王(スサノオノミコト)に不況という疫病を祓ってもらい、家内安全・家運隆昌を願う気持ちは届いたのだろうか。
氏神への初詣の後は、毎年干支に縁のある神社に詣でるようにしているが、残念なことに寅年に縁のある神社を知らない。
ところが、狛犬ならぬ狛虎の鎮座する寺院がある。洛北の鞍馬寺に嵐山の法輪寺、東山の建仁寺両足院毘沙門天堂である。
年の瀬に鞍馬寺の毘沙門天に参拝し阿吽の狛虎を撫でてきた。その毘沙門天の胎内仏であった尊像が両足院に安置されていると聞いている。
両足院には十日戎(初ゑびす)の参詣の折に参拝することにした。十日戎の京都ゑびす神社と建仁寺両足院とは間近にあるからである。
八坂さんの初詣のあと、その足で法輪寺には是非とも参拝しなくてはならないと思った。
何故かというと、法輪寺の本堂の前に鎮座する狛犬は、左に狛牛と右に狛虎なのである。
丑年から寅年へとバトンタッチされた新年に相応しいところである。
本堂に向かい左に向きなおし、「旧年中はひとかたならぬお世話になりまして・・・」と感謝を、右に向き直り、「本年も相変わりませずよろしくお引き立てのほどを・・・」と、お願いできるのである。
猛々しく口を開いた法輪寺の狛虎に是非ご縁を結ばれてはいかがだろうか。寅年に勇気をいただけるだろう。小生は狛虎の前に立ち、元旦早々に迷いごとの決断をつけさせていただいた。
正月気分は三が日であるが、七草粥を頂いて小正月のどんど焼きまでは正月飾りが目に留まる。
正月飾りの代表的な三点は、門松・鏡餅・注連縄である。
門松は商店などで見るに留まり、根つき若松を取り付けた町家の玄関先も見れなくなってきた。
門松は竹三本を松で囲み梅や葉牡丹、南天を飾り、荒縄で結んだものが伝わる一般的な形であるが、竹筒に松葉を挿したりと、近年はアレンジされた変り種の門松も見られる。
どんな門松であれ、門松が立ててあれば歳神様が迷わずにやってこられる目印となり、きっと結界された注連縄の中に入ってこられるであろう。
門松の習わしで守っておきたいことは、左右一対の門松は雌松と雄松を使い、梅は苔木ということである。向かって左には雄松、右には葉が短くて細い雌松を用いる。
各家庭の門松は、若松飾りでさえ平成とともになくなったといっても良い。流石に注連縄のしていないところは数えるほどもないが、マンションや玄関ドアの構造上か、クリスマスリースのような注連縄リースが増えだしている。生け花からフラワーアレンジメントに花飾りが移行しているのと同じように。
ここからは歳神様が入られる我が家の結界であるとの意味が薄れ、なんとなく正月らしき気分の飾りに変遷してきているといえる。
元来、注連縄は神社にいつも張られているように、全ての災いを締め出し、周囲の穢れを断ち、神を迎えるに相応しい清浄なところを示す印として用いられてきた。それに習い、正月を迎えるには世俗に穢れた家を大掃除し、清めて年神様を迎えるところとして注連縄を取り付けたのである。
注連縄には形によって、通称「ゴンボ」「メガネ」「ちょろけん」とあるが、取り付ける場所は玄関だけではなかった。
勝手口など人の出入りするところばかりか、小ぶりの「ちょろけん」と呼ぶものを台所、洗面所、便所、浴室などに、そして、自動車までにも取り付けたものである。
歳神様を迎え、幸福を願った丁寧な信仰の所作といえる。
雑事に追われる日々の中、少し心の余裕を持ち、季節を感じながら豊かに暮そうとする文化を持ち合わせることが、生活には必要なのである。
論はいろいろとあろうが、心から家族の幸せを願い新しい年を迎えるという気持ちがあり、幸運を招きいれたいと念じていれば、きっと歳神様はおこしになり守つてくださるだろう。
正月に門松や注連縄を用意しない人も鏡餅は飾っているであろう。
すっかり西洋化してしまった現代社会においても、まだまだ鏡餅は正月を迎える必需品のようである。
お鏡さんと呼ぶ小生宅の鏡餅飾りは、三宝の上に奉書紙を敷き、裏白(うらじろ/しだの一種)の白い方を上に、その上にゆずり葉を二枚置き、鏡餅をのせる。
鏡餅の上には祝昆布を垂らし、串柿を乗せさらにその上に葉付の橙を置いて、整えば座敷の床の間に置く。
近所の商家では「懸け蓬莱」をされているところもある。幼少の頃、豪華だなと羨ましく思った。
お鏡さんの飾りには由来がある。裏白は「心に裏が無く清廉潔白を願い、かつまた白髪になるまでの長寿を」と、ゆずり葉は「家系が途絶えず受け継がれるように」と、昆布は「誰もが喜ぶように」と、串柿は両端に2個、中央に6個で「いつもニコニコ、仲睦まじく」と、橙は「代々栄える」との願いが込められている縁起物なのである。
鏡餅の小型のものもあって「ほしつき」と呼ぶものがある。小餅の上に指頭ぐらいの餅粒を載せた重ね餅である。これを小型三宝の上にゆずり葉を十字に重ね、その上に載せ、各部屋や台所、便所にも置き、一年の事なき事を祈る。餅粒を「星付き」とたとえたのだろう。スーパーにはないのでお餅屋さんにあらかじめ注文している。
正月飾りに慣れた頃にゑべっさんである。初ゑびすに出かけ吉兆笹を持ち帰る。縁起物のぶら下がった様は神棚を一層めでたく華やかにさせる。
そろそろ正月気分から平常モードに切り替えなければならなくなってきた。
後は、門松や注連縄など正月飾りをどんど焼きする小正月を待つばかりである。
小正月のどんど焼きは火煙で歳神様をお送りする火祭りである。
お送りして「松明け」となる。
小生にとって、正月から1月に暦が替わるのがこのときである。
午前五時の祇園石段下の四条通はロープが張られ、元旦に一番に詣でようとする初詣客の光景は、まるでマラソンのスタート地点のようだった。
牛頭天王(スサノオノミコト)に不況という疫病を祓ってもらい、家内安全・家運隆昌を願う気持ちは届いたのだろうか。
氏神への初詣の後は、毎年干支に縁のある神社に詣でるようにしているが、残念なことに寅年に縁のある神社を知らない。
ところが、狛犬ならぬ狛虎の鎮座する寺院がある。洛北の鞍馬寺に嵐山の法輪寺、東山の建仁寺両足院毘沙門天堂である。
年の瀬に鞍馬寺の毘沙門天に参拝し阿吽の狛虎を撫でてきた。その毘沙門天の胎内仏であった尊像が両足院に安置されていると聞いている。
両足院には十日戎(初ゑびす)の参詣の折に参拝することにした。十日戎の京都ゑびす神社と建仁寺両足院とは間近にあるからである。
八坂さんの初詣のあと、その足で法輪寺には是非とも参拝しなくてはならないと思った。
何故かというと、法輪寺の本堂の前に鎮座する狛犬は、左に狛牛と右に狛虎なのである。
丑年から寅年へとバトンタッチされた新年に相応しいところである。
本堂に向かい左に向きなおし、「旧年中はひとかたならぬお世話になりまして・・・」と感謝を、右に向き直り、「本年も相変わりませずよろしくお引き立てのほどを・・・」と、お願いできるのである。
猛々しく口を開いた法輪寺の狛虎に是非ご縁を結ばれてはいかがだろうか。寅年に勇気をいただけるだろう。小生は狛虎の前に立ち、元旦早々に迷いごとの決断をつけさせていただいた。
正月気分は三が日であるが、七草粥を頂いて小正月のどんど焼きまでは正月飾りが目に留まる。
正月飾りの代表的な三点は、門松・鏡餅・注連縄である。
門松は商店などで見るに留まり、根つき若松を取り付けた町家の玄関先も見れなくなってきた。
門松は竹三本を松で囲み梅や葉牡丹、南天を飾り、荒縄で結んだものが伝わる一般的な形であるが、竹筒に松葉を挿したりと、近年はアレンジされた変り種の門松も見られる。
どんな門松であれ、門松が立ててあれば歳神様が迷わずにやってこられる目印となり、きっと結界された注連縄の中に入ってこられるであろう。
門松の習わしで守っておきたいことは、左右一対の門松は雌松と雄松を使い、梅は苔木ということである。向かって左には雄松、右には葉が短くて細い雌松を用いる。
各家庭の門松は、若松飾りでさえ平成とともになくなったといっても良い。流石に注連縄のしていないところは数えるほどもないが、マンションや玄関ドアの構造上か、クリスマスリースのような注連縄リースが増えだしている。生け花からフラワーアレンジメントに花飾りが移行しているのと同じように。
ここからは歳神様が入られる我が家の結界であるとの意味が薄れ、なんとなく正月らしき気分の飾りに変遷してきているといえる。
元来、注連縄は神社にいつも張られているように、全ての災いを締め出し、周囲の穢れを断ち、神を迎えるに相応しい清浄なところを示す印として用いられてきた。それに習い、正月を迎えるには世俗に穢れた家を大掃除し、清めて年神様を迎えるところとして注連縄を取り付けたのである。
注連縄には形によって、通称「ゴンボ」「メガネ」「ちょろけん」とあるが、取り付ける場所は玄関だけではなかった。
勝手口など人の出入りするところばかりか、小ぶりの「ちょろけん」と呼ぶものを台所、洗面所、便所、浴室などに、そして、自動車までにも取り付けたものである。
歳神様を迎え、幸福を願った丁寧な信仰の所作といえる。
雑事に追われる日々の中、少し心の余裕を持ち、季節を感じながら豊かに暮そうとする文化を持ち合わせることが、生活には必要なのである。
論はいろいろとあろうが、心から家族の幸せを願い新しい年を迎えるという気持ちがあり、幸運を招きいれたいと念じていれば、きっと歳神様はおこしになり守つてくださるだろう。
正月に門松や注連縄を用意しない人も鏡餅は飾っているであろう。
すっかり西洋化してしまった現代社会においても、まだまだ鏡餅は正月を迎える必需品のようである。
お鏡さんと呼ぶ小生宅の鏡餅飾りは、三宝の上に奉書紙を敷き、裏白(うらじろ/しだの一種)の白い方を上に、その上にゆずり葉を二枚置き、鏡餅をのせる。
鏡餅の上には祝昆布を垂らし、串柿を乗せさらにその上に葉付の橙を置いて、整えば座敷の床の間に置く。
近所の商家では「懸け蓬莱」をされているところもある。幼少の頃、豪華だなと羨ましく思った。
お鏡さんの飾りには由来がある。裏白は「心に裏が無く清廉潔白を願い、かつまた白髪になるまでの長寿を」と、ゆずり葉は「家系が途絶えず受け継がれるように」と、昆布は「誰もが喜ぶように」と、串柿は両端に2個、中央に6個で「いつもニコニコ、仲睦まじく」と、橙は「代々栄える」との願いが込められている縁起物なのである。
鏡餅の小型のものもあって「ほしつき」と呼ぶものがある。小餅の上に指頭ぐらいの餅粒を載せた重ね餅である。これを小型三宝の上にゆずり葉を十字に重ね、その上に載せ、各部屋や台所、便所にも置き、一年の事なき事を祈る。餅粒を「星付き」とたとえたのだろう。スーパーにはないのでお餅屋さんにあらかじめ注文している。
正月飾りに慣れた頃にゑべっさんである。初ゑびすに出かけ吉兆笹を持ち帰る。縁起物のぶら下がった様は神棚を一層めでたく華やかにさせる。
そろそろ正月気分から平常モードに切り替えなければならなくなってきた。
後は、門松や注連縄など正月飾りをどんど焼きする小正月を待つばかりである。
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お送りして「松明け」となる。
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