江戸の人情や粋を書き綴った時代小説で知られる池波正太郎氏はまた、食に対しても貪欲な探求心を持つことで知られた。そしてまた、しばしば小説の舞台ともなった京都を愛し足繁く通ったという。その目的となった一軒が「松鮨」だ。鮨に向かう主の真摯な姿勢に打たれたと書き記した一文もある。粋さ漂う主人の手から生み出されるのは、寸分の抜かりもなく丁寧な仕込みがなされた鮨。「京都へ行っての私のたのしみは、午後に『松鮨』へ行き、他に客もないことゆえ、ゆっくり酒をのみ、鮨を食べた後に『ちらし』を折箱へ入れてもらう。これを夜更けてからホテルへもどり、冷酒で食べることだった」とエッセイ「むかしの味」にある通り、「ちらし」は時に自分の為の手みやげとして、時には東京にて待つ夫人のための手みやげとして、必ず所望した。もちろん「西行きが暗剣殺だから、金沢経由でやって来た」という、最後の来訪時も店を去する手には折箱があったことは言うまでもない。
「松鮨」は先代が木屋町三条に興した店。二代目・吉川博司氏の代となっても変わらず池波氏はご贔屓だった。
移転した今も、カウンターをはじめ店の表情は池波氏が愛した空間とほぼ同じ。
池波氏自らが描いた「むかしの味」の挿し絵原画は、先代が亡くなった際に届けられたという
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