「歌は世につれ世は歌につれ」というが、イヤフォンから聞こえる楽曲は桜ソングが目白押しである。
去年(2009年)の春はファンキーモンキーベイビーズの「桜」がヒットし、桜ソングの名曲に残る一曲を増やした。この楽曲とグループ名を覚えているのは、京都出身の漫才師チュートリアルの徳井義実の顔写真がジャケット写真に使われていたからである。
さもなければ、ケツメイシの「さくら」だと言われても分らない。
桜ソングの曲名や歌手名を正しくは言い当てられないが、普遍の名曲となりそうな森山直太郎の「さくら独唱」やコブクロの「桜」なら、小生にもすぐに分かる。
桜を冠したタイトルの流行歌がヒットチャートに表れたのは、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の坂本龍馬に扮している福山雅治が歌った「桜坂」である。これは地名としてタイトルにされていたのだが、この年aikoが「桜の時」をリリースしていたように記憶する。
それまで、1950年代より50年の間、桜を冠するタイトルのヒット曲は一曲もなく、花の名前をタイトルに冠した曲を探しても、「黒百合の歌」「リンドウ峠」「からたち日記」「唐獅子牡丹」「バラ」「あんこ椿は恋の花」「山茶花の宿」「くちなしの花」「赤いスイートピー」などの10曲足らずである。
日本を代表する花の「桜」の歌は、幕末の箏曲に歌詞がのせられた「さくらさくら」と軍歌の「同期の桜」しか、今まではなかった。
ところが、ミレニアムの2000年に桜を冠した曲がヒットチャートにランクインするや、2002年宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」が桜を記号化し、2003年森山直太郎の「さくら独唱」が大ヒットとなり、以後桜の季節を迎えると、お決まりのように桜ソングが毎年リリースされるようになった。
同2003年にリリースされた桜の歌は他にもあり、連鎖的に桜の歌は口ずさまれた。
中でも、河口恭吾の「桜」や、つじあやの「桜の木の下で」は、非常にゆったりとした気持ちにしてくれるいい曲で、心地良い歌唱である。
2002年にFM滋賀e-radioでDJを務めていた河口恭吾や京都市左京区出身のつじあやのは、京都CF誌の取材にも応じてくれていた。これもうれしい限りで、近しく感じ応援していた。
翌年、桜神話は王道となる。それは2004年のコブクロの「桜」、2005年ケツメイシの「さくら」のヒットで証明され、2006年には、いきものがたりの「SAKURA」。
2007年ではオムニバスが登場し、アンジェラアキの「サクラ色」など、挙って桜ソングが続出し、アーティストで桜を歌わないものはいないといっても過言でないくらいである。2008年ではAKB48の「10年桜」がリリースされ、アイドルまでもが歌うようになった。
今年の春、桜ソングスが39曲のリリースという。いったいどの曲が人気を博するのだろうか。
こうして10年間、桜の歌は作り続けられ、歌い続けられている。
果たして、現代日本人のどこに響いているのだろうか。
儚くて美しくて切ない「桜」の花は、人々の心の何に例えられているのだろうか。
定番桜ソングに新曲を数えて250曲を超えると言われる桜ソングスが世に出ていた。
それらは卒業にまつわる友情、ラブソング、決意、応援の気持ちを綴った心象が詞に綴られ、哀愁を帯びたメロディーに乗せられている。
その桜に託す思いは変われども、春が来れば毎年毎年桜は華やかに花を咲かせ、あっという間に儚く散ってゆく。そして、それを弛まず繰り返し変わらないでいる。
ダウンロードした2010年の桜ソングがイヤホンから聞こえてきた。
最近の若者はと口走りたくなる時に、これらの曲を聴くと良い。
そんな講釈はどうでもよくなるからである。同じ感受性を持ち合わせた日本人であることに安堵し、共に喜び、共に悲しみ、共にに励ましあいたいと感じられる。
桜に思い託した歌は平安時代より歌われていた。
桜を最も多く詠んだのが西行法師で、その多くは散る様の無常である。
最も有名なのが、「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」で、散るところにこそ花の真の姿があるように考えていたのである。
枝枝に満開に咲き誇る時は長くは続かず、栄華に酔いしれる時の短さを教えているようにも読める。
「もろともに われをも具して 散りね花 憂き世をいとふ こころある身ぞ」には、世を儚む一体感を見出し、人格を持たせた桜に、一緒に連れて散りなさいとまで言い放っている。
山桜を愛でた平安時代には桜に儚さを託し、ソメイヨシノが交配された江戸時代になると、「さまざまな こと思い出す 桜かな」と松尾芭蕉は詠んだ。
イヤフォンに流れる歌と比べてみると、時代の移り変わりの中で、人が桜に託す想いは変わっている。
不確実で不透明な時代に、羅針盤を失った我々はどこへ向かえばよいのだろうか。
嘆いてばかりいても仕方ない。さりとて、応援しようにもどう応援すればいいのか分からない。しかし、確実に季節は巡っている。
春に咲き春に散り、じっと冬を耐え花芽を養い、また春に咲く。
英々と変わらずに生きているのは、桜であることに間違いはない。
冬を越えた桜に、桜ソングを持って出逢いにゆこう。
去年(2009年)の春はファンキーモンキーベイビーズの「桜」がヒットし、桜ソングの名曲に残る一曲を増やした。この楽曲とグループ名を覚えているのは、京都出身の漫才師チュートリアルの徳井義実の顔写真がジャケット写真に使われていたからである。
さもなければ、ケツメイシの「さくら」だと言われても分らない。
桜ソングの曲名や歌手名を正しくは言い当てられないが、普遍の名曲となりそうな森山直太郎の「さくら独唱」やコブクロの「桜」なら、小生にもすぐに分かる。
桜を冠したタイトルの流行歌がヒットチャートに表れたのは、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の坂本龍馬に扮している福山雅治が歌った「桜坂」である。これは地名としてタイトルにされていたのだが、この年aikoが「桜の時」をリリースしていたように記憶する。
それまで、1950年代より50年の間、桜を冠するタイトルのヒット曲は一曲もなく、花の名前をタイトルに冠した曲を探しても、「黒百合の歌」「リンドウ峠」「からたち日記」「唐獅子牡丹」「バラ」「あんこ椿は恋の花」「山茶花の宿」「くちなしの花」「赤いスイートピー」などの10曲足らずである。
日本を代表する花の「桜」の歌は、幕末の箏曲に歌詞がのせられた「さくらさくら」と軍歌の「同期の桜」しか、今まではなかった。
ところが、ミレニアムの2000年に桜を冠した曲がヒットチャートにランクインするや、2002年宇多田ヒカルの「SAKURAドロップス」が桜を記号化し、2003年森山直太郎の「さくら独唱」が大ヒットとなり、以後桜の季節を迎えると、お決まりのように桜ソングが毎年リリースされるようになった。
同2003年にリリースされた桜の歌は他にもあり、連鎖的に桜の歌は口ずさまれた。
中でも、河口恭吾の「桜」や、つじあやの「桜の木の下で」は、非常にゆったりとした気持ちにしてくれるいい曲で、心地良い歌唱である。
2002年にFM滋賀e-radioでDJを務めていた河口恭吾や京都市左京区出身のつじあやのは、京都CF誌の取材にも応じてくれていた。これもうれしい限りで、近しく感じ応援していた。
翌年、桜神話は王道となる。それは2004年のコブクロの「桜」、2005年ケツメイシの「さくら」のヒットで証明され、2006年には、いきものがたりの「SAKURA」。
2007年ではオムニバスが登場し、アンジェラアキの「サクラ色」など、挙って桜ソングが続出し、アーティストで桜を歌わないものはいないといっても過言でないくらいである。2008年ではAKB48の「10年桜」がリリースされ、アイドルまでもが歌うようになった。
今年の春、桜ソングスが39曲のリリースという。いったいどの曲が人気を博するのだろうか。
こうして10年間、桜の歌は作り続けられ、歌い続けられている。
果たして、現代日本人のどこに響いているのだろうか。
儚くて美しくて切ない「桜」の花は、人々の心の何に例えられているのだろうか。
定番桜ソングに新曲を数えて250曲を超えると言われる桜ソングスが世に出ていた。
それらは卒業にまつわる友情、ラブソング、決意、応援の気持ちを綴った心象が詞に綴られ、哀愁を帯びたメロディーに乗せられている。
その桜に託す思いは変われども、春が来れば毎年毎年桜は華やかに花を咲かせ、あっという間に儚く散ってゆく。そして、それを弛まず繰り返し変わらないでいる。
ダウンロードした2010年の桜ソングがイヤホンから聞こえてきた。
最近の若者はと口走りたくなる時に、これらの曲を聴くと良い。
そんな講釈はどうでもよくなるからである。同じ感受性を持ち合わせた日本人であることに安堵し、共に喜び、共に悲しみ、共にに励ましあいたいと感じられる。
桜に思い託した歌は平安時代より歌われていた。
桜を最も多く詠んだのが西行法師で、その多くは散る様の無常である。
最も有名なのが、「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」で、散るところにこそ花の真の姿があるように考えていたのである。
枝枝に満開に咲き誇る時は長くは続かず、栄華に酔いしれる時の短さを教えているようにも読める。
「もろともに われをも具して 散りね花 憂き世をいとふ こころある身ぞ」には、世を儚む一体感を見出し、人格を持たせた桜に、一緒に連れて散りなさいとまで言い放っている。
山桜を愛でた平安時代には桜に儚さを託し、ソメイヨシノが交配された江戸時代になると、「さまざまな こと思い出す 桜かな」と松尾芭蕉は詠んだ。
イヤフォンに流れる歌と比べてみると、時代の移り変わりの中で、人が桜に託す想いは変わっている。
不確実で不透明な時代に、羅針盤を失った我々はどこへ向かえばよいのだろうか。
嘆いてばかりいても仕方ない。さりとて、応援しようにもどう応援すればいいのか分からない。しかし、確実に季節は巡っている。
春に咲き春に散り、じっと冬を耐え花芽を養い、また春に咲く。
英々と変わらずに生きているのは、桜であることに間違いはない。
冬を越えた桜に、桜ソングを持って出逢いにゆこう。
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