鉾町を一晩で見て回ろうとするのは邪道である。
32基の山鉾を見て回るだけでも難儀なことだろう。やってみたこともないので不可能とは断言できないが、あの雑踏を駆け足で廻り巡ったとしても並大抵でないことは想像がつく。
果たして、大路小路の碁盤の目に建て置かれた山鉾を、いったいどんな順路で進んでいけば良いか、それを考えるだけで頭が痛くなる。
とはいえ、億劫になって祇園祭の宵山に出かけないのは、更に無粋な話である。
ここは事前に計画することである。
一夜は、新町通と室町通を屏風祭と夜店を楽しみながら宵山の空気を肌で感じようとか、
二夜は、宵の口から鉾の辻を皮切りに山鉾巡りで鉾に上がり、その後先斗町の京割烹で鱧料理を堪能しようとか、
三夜は、四条通をそぞろ歩き鴨川を渡り八坂さんにお参りして、下河原か、新橋の目立たぬところでじっくり飲み明かそうとか。
宵山は一夜限りでないのが祇園祭である。
京都府警の発表でさえ、「宵々々山に伴う交通規制」と称して報じられるようになっているのである。
1973年、故 榊原詩朗が円山音楽堂で開催した「 宵々山コンサート」、このタイトルをつけた時から言い習わされたのが「宵々山」で、当時は「宵々山」の呼称が新鮮であった。「宵々々山」を超えて、「宵々々宵山」が定着するのはいつ頃になるだろうか。
もっとも、1日から祭を始め、山鉾の巡行が済んだといえば、
「神様を迎える準備の賑わいが済んだだけ、巡行のあとの神輿渡御で寺町の御旅所に神様がきやはったところや。祭りはこれからや。後祭もまだやし、晦日の夏越祓いまで、あと半分あるしな」という。
ほんに祭好きな町である。
さて、宵山に話を戻すが、夕闇に浮かびあがる駒方提灯やコンチキチンの囃子の音は、写真や映像でも見られるわけではあるが、祇園祭の晩に繰り出さないと得られないものがある。人はきっと、そこに漂う高揚感を求めて集まっているに違いない。
蒸しかえすようなジメッとした空気、屋台から漂ってくる焦げた醤油やソースの臭い。
からだは汗ばみ、額に汗が走る。歩幅は狭くなり、すれ違いざまに肩や腕があたる。
それでも人は雑踏に身を置く。
懸装品等が飾られた鉾町の会所と会所の間には、格子戸越しに我先にと覗き込んでいる光景がある。その町家に代々受け継がれてきたお宝が飾られ、それは山鉾の模型であったり、 鎧兜 であったり、染物であったり、壷や屏風絵など美術工芸品であったりする。
披露されている屏風絵などの先には、祇園祭に招待された縁の人たちの晩餐の様子がある。
花街から出向いた芸舞妓の舞を余興に、賑わっている座敷の商家もある。
開け放たれた玄関先から舞台を食い入るように眺めている観客に、少々の優越感を感じながら見つめられている宴席客がいる。
余談であるが、時に招待された宴席客は、面識のない招待客の顔ぶれを値踏みしている。その商家の勢いや格を測るのである。いかにも京都らしいところだ。
いけずな京都人は自分と格が違う人に出会うと、その人をそれとなく弾かせるか、弾かないその人には距離を置く。
ちょいと厄介な話であるが、そうして自分と自分の周りの社会を保っているところがある。了見の狭い恥ずかしい人種であるが、保身の為には責めるのは酷なことかもしれない。
良いところも悪いところも、京都の本性を凝縮したようなのが宵山と、小生は思っている。だから、自宅の涼しい場所を飛び出して、見物に出かける。
息詰まるような気分があっても、吹き飛ばしてくれるのがコンチキチンの鉦の音と横笛の音である。雑踏のざわめきをすり抜けるような高音域であるが、太鼓とその囃子声が安心感をくれる。
御霊会に端を発する祇園囃子の臨場感は、空気の波を作りだし、その温度感は場の臭いを生み出し、五感に迫ってくる。
それに輪を掛けるように嬉しくなるのが、鉾町の会所から聞こえてくる童歌のような幼子の商い声である。
「ちまき どうですかー 今日しかあらへん・・・ こうてください」
この日本人の細胞に訴えかけてくる特有の雰囲気は全身の皮膚から侵入してくる。身震いするほどに感じとるには、宵山の鉾町を歩くしかないのである。
18時になると、烏丸通や四条通も歩行者天国となる。
歩かれるコツは、宵闇が訪れる前に山鉾の会所や山鉾に上がっておくと良い。特に、新町通は混雑の上に歩行者一方通行規制となるため動きがとりにくくなる。混雑の少ない明るいうちに回っておくことである。
そして、山鉾マップで鉾の位置を確認しておき、必ず持ち歩くこと。
汗拭きタオルも忘れないこと、鉾町で手ぬぐいを買って使ってもよいが。
路上で配られている団扇は早めに貰っておき、邪魔になっても捨てないこと。
食事は予約しておかない限り、どこも入れないから、夜店の買い食いと諦めること。
暗くなれば中心部を早々に離れ、周辺に鉾建てされている山鉾の方へ向かうがよい。
並ばずとも余裕をもって山鉾に上がったり、会所の展示を鑑賞していられる。
外回りしながら四条烏丸に戻ってくると、どこから湧き出たのかと思うほどの人並みの中に入る。
そして、駒形提灯を眺めながら、祇園囃子と人の熱気に包まれると良い。
祇園祭宵山の熱気は見るものではない、渦中で感じるものである。
5320-100706-7月
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