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全国の紅葉人気ランキングのベスト10に京都は当然のように入っている。
行ったことのある所として三ケ所が登場している。嵐山、東山、大原地域の各寺院に票が投じられている。
嵐山方面は平安人が古より紅葉狩を楽しんだところとはいえ、未だにその地が変わらずに生き続けている歴史に驚く。情報羅列のガイド本がキャッチコピーのみで人を操り、発信することを強ち否定できないことになる。
ところが、意外なことに高雄三山の名が見当たらない。
京の紅葉の名所として京都人が一番に挙げる高雄は、桃山時代の国宝「高雄観楓図屏風(狩野秀頼画/東京国立博物館蔵)」にも残されている。紅葉した楓の木の下で宴を開く姿が写実的に描かれている風俗画のハシリにもなる屏風絵である。
古の時代に、よくもまぁあんな山奥にまで、冬を目前の晩秋に出かけたものだと思い、よくもまぁ花見のような宴に酔いしれられるものだとも思った。
侘び寂びを感じ、癒やされるように静かに眺める光景ではないのである。
誰もが浮かれて楽しそうである。
その屏風には、酒に酔う者、舞い踊る者、笛を吹く者が描かれ、武士に僧侶に町衆までもが一緒になって宴を楽しむ様子が窺え、着飾った婦女子に子供連れでおしゃべりの様子、胸をはだき乳を与える母親、ご馳走はないが満足そうに茶をすす者などの表情が生き生きと描かれている。
そして、棒振り(ぼてふり)を担ぐ担い茶屋なども表されており、屈託なく笑いあって過ごす秋の行楽のその頃の一日を見事に伝えている。
屏風絵に描かれる位のところなのだから、往時の絶景の場所であったに違いない。
その場所が何処かと屏風全体を眺め、絵解きをしたことがある。
清滝川の渓流に沿った一帯の景勝地が清滝で、渡猿(とえん)橋から下流の保津川に合流する落合までを金鈴峡、清滝橋から高雄橋あたりの上流を錦雲渓と呼び、更に上流に潅頂(かんじょう)橋、指月橋、白雲橋と続く辺りまで、三尾を訪ねての錦秋のハイキングコースである。
どこも負けず劣らずの紅葉が凄いエリアだ。
屏風の左上部の雲間には白く雪をかぶった愛宕山に愛宕社の鳥居が、右上部は神護寺の伽藍の甍と多宝塔が、真ん中に清滝川に架かる橋が描かれている。
渡猿橋か清滝橋なのかいずれとも断じ難い。それほどに清滝川沿いのせせらぎは名所揃いということなのである。
高雄観楓図屏風を見ているうちに、高雄を訪ねたくなって神護寺を訪ねることにした。それは、12月に入り見頃の紅葉狩も終焉の頃であった。
もうそろそろ観光客の方も少なかろうと思いきや、そうは問屋は卸さなかった。
周山街道の御経坂を過ぎてからも渋滞気味である。お蔭で車中からの紅葉も楽しませて貰え、これで十分かとも思った。
然しながら、人の行く道の裏はないかと思い、何とか西明寺近くに車を止め、入山した。
槙尾西明寺を拝観して裏参道に抜け、潅頂橋を渡り清滝川沿いに下り、神護寺の参道を目指す算段である。
西明寺では混雑するほどてはない適度な賑わいであった。
堂宇をあとに、色づきの進んだ雑木林の裏参道の坂を下りると、清滝川の水は透き通り、朝陽を浴びた紅葉を映し出している景色が木立の間から何度となく目に入る。
神護寺の参道を目指し歩いた。
高雄橋の袂に辿りつく。なんと、「山内女人禁制」と刻まれた石碑が建てられている。いつの時代のものなのだろうか。今や参詣する人は女性の方が圧倒的に多い筈である。
神護寺は真言宗の古刹で、山岳寺院らしく下乗石から長く険しい石積の階段を上りつめると仁王門である。西明寺より遥かに標高が高い。
その急な勾配の長い石段は三百数十段といわれ、途中一服しながら上がっていかなければならない。12月というのに、額に汗が滲む。
山の懐の深さを感じながら、息を弾ませ、これも精進だと思えてくる。
そして、桜のように種類のないモミジだが、それぞれの表情の違いが見えてくる。
振り返り谷の向こうに目を遣ると、紅葉に彩られた山懐に周山街道のバス停が見える。高雄山に登ってきてよかったと思う。
途中二軒の茶店があるが、「硯石亭」という茶店がよい。高雄山でここが一番紅葉の綺麗なところであろう。座して見上げれば紅葉の屋根、紅葉の壁が見られる絶好のビューポイントである。
やっと、山門が見えた。
やれやれである。ここで、先行く若者との体力の差に気づかされる。
視線を移すと、茶店の茅葺に散紅葉が見えた。その一箇所から落ち葉焚きの煙であろうか、立ち込める白いものが風景に季節の終わりを告げているようだ。
仁王門に掛かるモミジは高地の為か既に落ち、葉のない枝が・・・。
道中で目に焼きついているモミジの色々を思い浮かべながら、見頃の時期を想像してみた。
門を潜ると、山頂とは思えない台地が広がっている。右手に堂宇が立ち並び、左手には、高野槙やケヤキ、イチョウなどなどの木々の林である。
終焉を迎えているというのに、自然の織り成す色の競演をまだまだ見せてくれている。楼門横の書院に続いて、優しくパステルタッチの葉色は和気清麿霊廟、その隣は緋色を前に高い石段の上に国宝銅鐘を吊るす鐘楼と並んでいる。
更に進み左手に行くと、緑の木々に包まれる中に若木の楓が彩どりを見せる大師堂と毘沙門堂が建つ。手水鉢に落ちる名残の赤と黄のモミジが新鮮である。
大師堂と毘沙門堂の間から石段が見え、その先に金堂が見えた。
石段の勾配は何度あるのだろうか。参道の石段の勾配よりも更に急である。
見頃の頃なら石段に向かって真紅の楓が手を伸ばし、広げていたのだろう。
ふと絵葉書を思い浮かべる。
あの大きく広がった屋根の金堂の中に、国宝薬師如来像・月光菩薩・日光菩薩・四天王などが安置されているのだ。参拝しないわけにはいかない。
お参りの後は、紅葉見の再開である。金堂向かって右翼の横には不動明王像が燃えるように真っ赤なモミジを背負っていた。離れて見ると多宝塔の裾模様になっている。
金堂の背の奥に細道があった。のぼると高みに多宝塔が立っている。
そこには国宝の五大虚空蔵菩薩像が安置されている。見下ろすと金堂の屋根が真下に見えた。
多宝塔を後に、今度は下り道となる。金堂から見下ろせる毘沙門堂、五大堂の屋根も大きい。
愛宕の山は、どれだけのものを抱きかかえているのか、計り知れないその大きさを感じた。
延暦21年(802年)に最澄が和気広世(ひろよ)の招きで法華経を説き、大同4年(809年)には空海が入山し約14年間この地で活躍したことなどから平安仏教の発祥地となった頃より紅葉は続いているのだ。
そして、将軍足利義政は応仁の乱の最中でさえ、高雄へ紅葉狩に訪れたと伝える。
行ったことのある所として三ケ所が登場している。嵐山、東山、大原地域の各寺院に票が投じられている。
嵐山方面は平安人が古より紅葉狩を楽しんだところとはいえ、未だにその地が変わらずに生き続けている歴史に驚く。情報羅列のガイド本がキャッチコピーのみで人を操り、発信することを強ち否定できないことになる。
ところが、意外なことに高雄三山の名が見当たらない。
京の紅葉の名所として京都人が一番に挙げる高雄は、桃山時代の国宝「高雄観楓図屏風(狩野秀頼画/東京国立博物館蔵)」にも残されている。紅葉した楓の木の下で宴を開く姿が写実的に描かれている風俗画のハシリにもなる屏風絵である。
古の時代に、よくもまぁあんな山奥にまで、冬を目前の晩秋に出かけたものだと思い、よくもまぁ花見のような宴に酔いしれられるものだとも思った。
侘び寂びを感じ、癒やされるように静かに眺める光景ではないのである。
誰もが浮かれて楽しそうである。
その屏風には、酒に酔う者、舞い踊る者、笛を吹く者が描かれ、武士に僧侶に町衆までもが一緒になって宴を楽しむ様子が窺え、着飾った婦女子に子供連れでおしゃべりの様子、胸をはだき乳を与える母親、ご馳走はないが満足そうに茶をすす者などの表情が生き生きと描かれている。
そして、棒振り(ぼてふり)を担ぐ担い茶屋なども表されており、屈託なく笑いあって過ごす秋の行楽のその頃の一日を見事に伝えている。
屏風絵に描かれる位のところなのだから、往時の絶景の場所であったに違いない。
その場所が何処かと屏風全体を眺め、絵解きをしたことがある。
清滝川の渓流に沿った一帯の景勝地が清滝で、渡猿(とえん)橋から下流の保津川に合流する落合までを金鈴峡、清滝橋から高雄橋あたりの上流を錦雲渓と呼び、更に上流に潅頂(かんじょう)橋、指月橋、白雲橋と続く辺りまで、三尾を訪ねての錦秋のハイキングコースである。
どこも負けず劣らずの紅葉が凄いエリアだ。
屏風の左上部の雲間には白く雪をかぶった愛宕山に愛宕社の鳥居が、右上部は神護寺の伽藍の甍と多宝塔が、真ん中に清滝川に架かる橋が描かれている。
渡猿橋か清滝橋なのかいずれとも断じ難い。それほどに清滝川沿いのせせらぎは名所揃いということなのである。
高雄観楓図屏風を見ているうちに、高雄を訪ねたくなって神護寺を訪ねることにした。それは、12月に入り見頃の紅葉狩も終焉の頃であった。
もうそろそろ観光客の方も少なかろうと思いきや、そうは問屋は卸さなかった。
周山街道の御経坂を過ぎてからも渋滞気味である。お蔭で車中からの紅葉も楽しませて貰え、これで十分かとも思った。
然しながら、人の行く道の裏はないかと思い、何とか西明寺近くに車を止め、入山した。
槙尾西明寺を拝観して裏参道に抜け、潅頂橋を渡り清滝川沿いに下り、神護寺の参道を目指す算段である。
西明寺では混雑するほどてはない適度な賑わいであった。
堂宇をあとに、色づきの進んだ雑木林の裏参道の坂を下りると、清滝川の水は透き通り、朝陽を浴びた紅葉を映し出している景色が木立の間から何度となく目に入る。
神護寺の参道を目指し歩いた。
高雄橋の袂に辿りつく。なんと、「山内女人禁制」と刻まれた石碑が建てられている。いつの時代のものなのだろうか。今や参詣する人は女性の方が圧倒的に多い筈である。
神護寺は真言宗の古刹で、山岳寺院らしく下乗石から長く険しい石積の階段を上りつめると仁王門である。西明寺より遥かに標高が高い。
その急な勾配の長い石段は三百数十段といわれ、途中一服しながら上がっていかなければならない。12月というのに、額に汗が滲む。
山の懐の深さを感じながら、息を弾ませ、これも精進だと思えてくる。
そして、桜のように種類のないモミジだが、それぞれの表情の違いが見えてくる。
振り返り谷の向こうに目を遣ると、紅葉に彩られた山懐に周山街道のバス停が見える。高雄山に登ってきてよかったと思う。
途中二軒の茶店があるが、「硯石亭」という茶店がよい。高雄山でここが一番紅葉の綺麗なところであろう。座して見上げれば紅葉の屋根、紅葉の壁が見られる絶好のビューポイントである。
やっと、山門が見えた。
やれやれである。ここで、先行く若者との体力の差に気づかされる。
視線を移すと、茶店の茅葺に散紅葉が見えた。その一箇所から落ち葉焚きの煙であろうか、立ち込める白いものが風景に季節の終わりを告げているようだ。
仁王門に掛かるモミジは高地の為か既に落ち、葉のない枝が・・・。
道中で目に焼きついているモミジの色々を思い浮かべながら、見頃の時期を想像してみた。
門を潜ると、山頂とは思えない台地が広がっている。右手に堂宇が立ち並び、左手には、高野槙やケヤキ、イチョウなどなどの木々の林である。
終焉を迎えているというのに、自然の織り成す色の競演をまだまだ見せてくれている。楼門横の書院に続いて、優しくパステルタッチの葉色は和気清麿霊廟、その隣は緋色を前に高い石段の上に国宝銅鐘を吊るす鐘楼と並んでいる。
更に進み左手に行くと、緑の木々に包まれる中に若木の楓が彩どりを見せる大師堂と毘沙門堂が建つ。手水鉢に落ちる名残の赤と黄のモミジが新鮮である。
大師堂と毘沙門堂の間から石段が見え、その先に金堂が見えた。
石段の勾配は何度あるのだろうか。参道の石段の勾配よりも更に急である。
見頃の頃なら石段に向かって真紅の楓が手を伸ばし、広げていたのだろう。
ふと絵葉書を思い浮かべる。
あの大きく広がった屋根の金堂の中に、国宝薬師如来像・月光菩薩・日光菩薩・四天王などが安置されているのだ。参拝しないわけにはいかない。
お参りの後は、紅葉見の再開である。金堂向かって右翼の横には不動明王像が燃えるように真っ赤なモミジを背負っていた。離れて見ると多宝塔の裾模様になっている。
金堂の背の奥に細道があった。のぼると高みに多宝塔が立っている。
そこには国宝の五大虚空蔵菩薩像が安置されている。見下ろすと金堂の屋根が真下に見えた。
多宝塔を後に、今度は下り道となる。金堂から見下ろせる毘沙門堂、五大堂の屋根も大きい。
愛宕の山は、どれだけのものを抱きかかえているのか、計り知れないその大きさを感じた。
延暦21年(802年)に最澄が和気広世(ひろよ)の招きで法華経を説き、大同4年(809年)には空海が入山し約14年間この地で活躍したことなどから平安仏教の発祥地となった頃より紅葉は続いているのだ。
そして、将軍足利義政は応仁の乱の最中でさえ、高雄へ紅葉狩に訪れたと伝える。
5343-131114-11月
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