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過日、京都ガイドの記事を読んだ。一泊二日での紅葉紀行記事である。
東京のライターさんで、新幹線を降りて泉涌寺へ行き、東福寺に回る案内であった。
ところが、このライターさんの泉涌寺では、御所から移築された大門を潜ってすぐ左の楊貴妃観音堂にある二本と、本坊だけの紅葉見物を紹介していた。
甚だせっかちでお粗末である。ライターさんは御寺を選んだ。
それは決して間違いではないが、御寺は玉砂利と松が多く楓は到って少ない。
仏殿横にも少々見受けられるが、やはり御座所庭園の紅葉を抜きにすると楓の寺院ではない。本坊御座所の最も雅な上質の紅葉庭園は必見の小宇宙を見せてくれるが、これだけを見て泉涌寺の紅葉を語るなかれである。
泉涌寺山内に入れば、第一に山内寺院の「今熊野観音寺紅葉まつり」にて紅葉を愛でることが京都の常識である。
小生は今熊野観音寺の楓が、京都で一番赤く綺麗な紅葉だと信じて疑わない。
そして、拝観料は無用で、観音霊場巡りのお遍路さんも見受けられる風情が良い。
泉涌寺の紅葉狩であれば小生はこう歩く。
泉涌寺道にある総門を潜り、暫くのぼると三方向に道が枝分かれしている。
右端を進むと御寺大門へ、真ん中を行くと孝明天皇稜へ、左端に直角に折れている坂を下ると今熊野観音寺へと続いている。
「いまくまの」の石碑と並んで「紅葉まつり」の案内板が立てられているが、観光客の方は素通りが多く、一割程度の人しかその道を行かない。
見知らぬ土地で目的地に向かって上っている最中に、途中で横道を下るのは勇気のいることであろう。見れば急な下り坂で谷に下りる様であるから、道に迷ってはと無意識に怖気づくのかもしれない。
前情報をしっかりと持っている人しか訪れないのであるから、勢い隠れた名所となり穴場と化する。
坂を下り始めるなり、山もみじの色づきが目前に広がる。青、黄、赤とあり、よく見るとそれぞれのグラデーションも実に細やかである。
下りきったところにあるのが鳥居橋だ。
朱の欄干の先に続く参道には赤地の幟か並び、進む先を示している。「南無大師遍照金剛」と白抜きされている文字が目に焼きつく。
鳥居橋で谷川を渡ると緩いのぼり坂で、頭上を覆いつくす紅葉のトンネルとなる。
少々薄暗いのは楓の上に真っ直ぐに伸びる杉木立の森だからである。
木立の間から杉の高さに挑む大きく真っ直ぐに伸びた、色の変化に富んだ楓がみえる。樹齢350年と言われる大楓で、1ヶ月間に亘り下から徐々に紅葉していくことから「五色楓」の名がつけられている。
まるで歓迎のシンボルツリーのようで、その大きさに気高さを感じる。
伽藍に着く前より見事な紅葉にワクワクさせられるのだが、最初の石段の所で、紅葉の天井にまたまた圧倒される。橙の間と呼ぼう。その間には子護大師が幼子を足元に立っておられる。つつじの葉の絨毯の上に散り落ちたばかりの黄葉が跳ねている。
大師の後ろには本堂への石段があり、上り始めると本堂を背景に真っ赤な楓が光り輝くのが見え、上るのを急かされる。「五智の井」の楓であった。その赤さといえば茶店の緋毛氈を凌ぐ金赤である。
同じ発色の目だった楓が境内の数箇所で見受けられた。一つは本堂前広場の右東端に建立されている大師堂前である。鮮やかな金赤の葉と濁りの無い真っ黄色の葉をつけた枝が交錯しているのだ。真正面から見ると五色の懸垂幕に飲み込まれず在り処を示し、大師堂を背に本堂を眺めると、絵本に描いたように色めいた楓の簾となっている。勿論、簾を通して大きな二層の屋根の本堂が輪郭をみせ、どっしりと構える。
そして、大師堂の裏手にあたるところの木漏れ日を受けた金赤の楓である。
竹林の緑を背に、降り積もり敷き詰められた黄金の絨毯の奥で手招きしているように彩っているのだ。
三方を行き来して何回も何回も見直す。お気に入りのアングルを探し、見とれる場所を決めようとしたが、どこから見ても甲乙つけ難く、ウロウロするばかりである。
結局、境内を見渡せる鐘楼の台座に腰を下ろし、緑、黄、橙、緋、紅色と衣を重ねているかのごとく、自然の織り成すシルエットの妙に浸ることにした。
今熊野観音寺は然程に数多くの様々な紅葉の景色を持ち、境内一円が見るものに驚きと感嘆を与えるところである。
さて一息ついたら、御座所庭園に行くまでに通る超穴場級の山内寺院二箇所に赴くことにする。
御寺参詣道に戻らずとも近道がある。仏殿西の出入り口に繋がっている川沿いの裏道で、その出入り口にはちゃんと石碑や案内もあがっているのだが、通る人は少ない。
左に泉涌寺別当来迎院、右に泉涌寺派善能寺と向かい合わせにある。今熊野観音寺から3分、仏殿からなら1分ほどである。
いずれも人知れず色づく静かな紅葉で、野趣溢れる絶景の紅葉に出会えた喜びに浸れるところだ。木々を隔てた先の紅葉狩の喧騒が嘘のようである。
紅葉に詳しい個人タクシーの気の利いた貸切ドライバーさんなら、案内してくれるかもしれない。
来迎院の山門の先に色とりどりの葉色が見える。更に先には荒神堂の石段が見え、その石段に覆いかぶさるように輝く緋色の楓が枝を張っている様子がある。
石段をのぼり「ゆな荒神さん」の目線で見下ろしたくなるだろう。
中に足を踏みいれ、こぼれてくる光の方を見上げると、楓の葉で編まれた網代のようになっている。その隙間から射す光に呼び止められたのかと納得する。
筆舌に表し難いこの境内は、大同元年(806年)弘法大師空海が荒神像を奉安して開かれたと伝えられている。
のち数百年を経て藤原信房の帰依により興され、文明の兵火によって灰と化したが、天正五年(1577年)織田信長により五十石を受け、慶長二年(1597年)前田利家により堂宇が再建され、更に徳川家より別朱印として百石を寄せられていた歴史を持ち、朝廷は御安産の勅願所とし禁裡御菩提所の別当となっている。
因みに、大石良雄(内蔵助)は、赤穂を退き来迎院の檀家となり、書院や茶室含翠軒を設けたところであり、大石ゆかりの遺品が伝わる寺院でもある。
一方、緋色が強烈な印象として残る来迎院の川向かいに、黄の印象強く色めくのが善能寺である。緑の森に包まれた谷あいの寺院の風情は心になにものかが浸みてくる。
もう稚拙な言葉で表現するには限界である。
一言記すなら、東福寺でしか見られないだろうといわれている「唐楓(トウカエデ)」があるといっておこう。
複雑で様々な色をみせる落ち葉を、境内の「日本最初稲荷神石社」の前に落としている。
いよいよ、こちらの山門前の階段を上がると、明るい天空が広がる。
そして、真っ赤な楓が顔をみせ、仏殿に招く。
最後に、御座所庭園を拝観するのが、小生の歩き方である。
御寺 泉涌寺
http://www.mitera.org/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
東京のライターさんで、新幹線を降りて泉涌寺へ行き、東福寺に回る案内であった。
ところが、このライターさんの泉涌寺では、御所から移築された大門を潜ってすぐ左の楊貴妃観音堂にある二本と、本坊だけの紅葉見物を紹介していた。
甚だせっかちでお粗末である。ライターさんは御寺を選んだ。
それは決して間違いではないが、御寺は玉砂利と松が多く楓は到って少ない。
仏殿横にも少々見受けられるが、やはり御座所庭園の紅葉を抜きにすると楓の寺院ではない。本坊御座所の最も雅な上質の紅葉庭園は必見の小宇宙を見せてくれるが、これだけを見て泉涌寺の紅葉を語るなかれである。
泉涌寺山内に入れば、第一に山内寺院の「今熊野観音寺紅葉まつり」にて紅葉を愛でることが京都の常識である。
小生は今熊野観音寺の楓が、京都で一番赤く綺麗な紅葉だと信じて疑わない。
そして、拝観料は無用で、観音霊場巡りのお遍路さんも見受けられる風情が良い。
泉涌寺の紅葉狩であれば小生はこう歩く。
泉涌寺道にある総門を潜り、暫くのぼると三方向に道が枝分かれしている。
右端を進むと御寺大門へ、真ん中を行くと孝明天皇稜へ、左端に直角に折れている坂を下ると今熊野観音寺へと続いている。
「いまくまの」の石碑と並んで「紅葉まつり」の案内板が立てられているが、観光客の方は素通りが多く、一割程度の人しかその道を行かない。
見知らぬ土地で目的地に向かって上っている最中に、途中で横道を下るのは勇気のいることであろう。見れば急な下り坂で谷に下りる様であるから、道に迷ってはと無意識に怖気づくのかもしれない。
前情報をしっかりと持っている人しか訪れないのであるから、勢い隠れた名所となり穴場と化する。
坂を下り始めるなり、山もみじの色づきが目前に広がる。青、黄、赤とあり、よく見るとそれぞれのグラデーションも実に細やかである。
下りきったところにあるのが鳥居橋だ。
朱の欄干の先に続く参道には赤地の幟か並び、進む先を示している。「南無大師遍照金剛」と白抜きされている文字が目に焼きつく。
鳥居橋で谷川を渡ると緩いのぼり坂で、頭上を覆いつくす紅葉のトンネルとなる。
少々薄暗いのは楓の上に真っ直ぐに伸びる杉木立の森だからである。
木立の間から杉の高さに挑む大きく真っ直ぐに伸びた、色の変化に富んだ楓がみえる。樹齢350年と言われる大楓で、1ヶ月間に亘り下から徐々に紅葉していくことから「五色楓」の名がつけられている。
まるで歓迎のシンボルツリーのようで、その大きさに気高さを感じる。
伽藍に着く前より見事な紅葉にワクワクさせられるのだが、最初の石段の所で、紅葉の天井にまたまた圧倒される。橙の間と呼ぼう。その間には子護大師が幼子を足元に立っておられる。つつじの葉の絨毯の上に散り落ちたばかりの黄葉が跳ねている。
大師の後ろには本堂への石段があり、上り始めると本堂を背景に真っ赤な楓が光り輝くのが見え、上るのを急かされる。「五智の井」の楓であった。その赤さといえば茶店の緋毛氈を凌ぐ金赤である。
同じ発色の目だった楓が境内の数箇所で見受けられた。一つは本堂前広場の右東端に建立されている大師堂前である。鮮やかな金赤の葉と濁りの無い真っ黄色の葉をつけた枝が交錯しているのだ。真正面から見ると五色の懸垂幕に飲み込まれず在り処を示し、大師堂を背に本堂を眺めると、絵本に描いたように色めいた楓の簾となっている。勿論、簾を通して大きな二層の屋根の本堂が輪郭をみせ、どっしりと構える。
そして、大師堂の裏手にあたるところの木漏れ日を受けた金赤の楓である。
竹林の緑を背に、降り積もり敷き詰められた黄金の絨毯の奥で手招きしているように彩っているのだ。
三方を行き来して何回も何回も見直す。お気に入りのアングルを探し、見とれる場所を決めようとしたが、どこから見ても甲乙つけ難く、ウロウロするばかりである。
結局、境内を見渡せる鐘楼の台座に腰を下ろし、緑、黄、橙、緋、紅色と衣を重ねているかのごとく、自然の織り成すシルエットの妙に浸ることにした。
今熊野観音寺は然程に数多くの様々な紅葉の景色を持ち、境内一円が見るものに驚きと感嘆を与えるところである。
さて一息ついたら、御座所庭園に行くまでに通る超穴場級の山内寺院二箇所に赴くことにする。
御寺参詣道に戻らずとも近道がある。仏殿西の出入り口に繋がっている川沿いの裏道で、その出入り口にはちゃんと石碑や案内もあがっているのだが、通る人は少ない。
左に泉涌寺別当来迎院、右に泉涌寺派善能寺と向かい合わせにある。今熊野観音寺から3分、仏殿からなら1分ほどである。
いずれも人知れず色づく静かな紅葉で、野趣溢れる絶景の紅葉に出会えた喜びに浸れるところだ。木々を隔てた先の紅葉狩の喧騒が嘘のようである。
紅葉に詳しい個人タクシーの気の利いた貸切ドライバーさんなら、案内してくれるかもしれない。
来迎院の山門の先に色とりどりの葉色が見える。更に先には荒神堂の石段が見え、その石段に覆いかぶさるように輝く緋色の楓が枝を張っている様子がある。
石段をのぼり「ゆな荒神さん」の目線で見下ろしたくなるだろう。
中に足を踏みいれ、こぼれてくる光の方を見上げると、楓の葉で編まれた網代のようになっている。その隙間から射す光に呼び止められたのかと納得する。
筆舌に表し難いこの境内は、大同元年(806年)弘法大師空海が荒神像を奉安して開かれたと伝えられている。
のち数百年を経て藤原信房の帰依により興され、文明の兵火によって灰と化したが、天正五年(1577年)織田信長により五十石を受け、慶長二年(1597年)前田利家により堂宇が再建され、更に徳川家より別朱印として百石を寄せられていた歴史を持ち、朝廷は御安産の勅願所とし禁裡御菩提所の別当となっている。
因みに、大石良雄(内蔵助)は、赤穂を退き来迎院の檀家となり、書院や茶室含翠軒を設けたところであり、大石ゆかりの遺品が伝わる寺院でもある。
一方、緋色が強烈な印象として残る来迎院の川向かいに、黄の印象強く色めくのが善能寺である。緑の森に包まれた谷あいの寺院の風情は心になにものかが浸みてくる。
もう稚拙な言葉で表現するには限界である。
一言記すなら、東福寺でしか見られないだろうといわれている「唐楓(トウカエデ)」があるといっておこう。
複雑で様々な色をみせる落ち葉を、境内の「日本最初稲荷神石社」の前に落としている。
いよいよ、こちらの山門前の階段を上がると、明るい天空が広がる。
そして、真っ赤な楓が顔をみせ、仏殿に招く。
最後に、御座所庭園を拝観するのが、小生の歩き方である。
御寺 泉涌寺
http://www.mitera.org/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5345-121122-11月
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