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疫病神がつきまとう時代が暫く続いている。一向にデフレ不況を脱することができない状況である。
行く末の不透明さに、人は頼りにできず福の神の登場を願うばかりとなる。
日本には古来より福神信仰がある。その福の神が七福神である。
七福神とは、恵比須(戎)神、大黒天、弁財(才)天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人をいう。
招福の神様とはいうものの、このうち恵比須神のみが日本固有の神「水蛭子(ひるこ)」で、後の「事代主神(ことしろぬし)」であり、大黒天、弁財天、毘沙門天はインドのヒンドゥー教の神、布袋尊は中国の仏教僧、福禄寿、寿老人は中国の道教にルーツがあり、大黒天は日本神話の大国主命と入り混じり、弁財天は天照大神の娘市杵島姫命(いちきしまのひめのみこと)と入り混じり、まさに神仏習合の福の神軍団として民間信仰されてきた。
なんと福の神軍団は、その時代によりメンバーチェンジが行われている。
恵比須、大黒天の二神は室町時代に始まる発足メンバーで、その後天細女命(あめのうずめのみこと)が加わり三神となったが、弁才天と入れ替わり、更に五神となり、遂には福禄寿、寿老人が加えられ七福神として定着したのは江戸時代中期であるという。
寿老人の替わりに吉祥天、稲荷神、猩々、福助、お多福が入れられたこともあったようである。
そもそも七福神信仰は、室町時代末期に京都で発祥したものだと伝えられる。
それまでの神仏は国家や村落の護国豊穣を願う為政者のものであったが、室町時代末期より町衆の願いを託す信仰の対象となり始めたのである。
京洛を荒れ果てさせた応仁の乱(1467〜77年)は、貴族、武士のみならず、民までも疲弊させており、強く福の神を求める土壌が生まれていた。加えて、商人が現れた頃で、町衆が蓄えをできるようになった時代でもあった。
つまり、必然的に個人が富や幸福を願い、国家を当てにできず、藁をも掴む思いで神仏に個人の願いを託すことになるのである。
古代よりあった福神信仰は、海からやって来る神が人の世に幸福をもたらすとされ、漁民や農民の生活に息づいていたが、その神が富や財の神として崇められ、京洛の町衆に広く持て囃されるようになったわけである。
そうして、ゑべっさん、大黒さんの愛称は瞬く間に広まった。
ゑべっさん、大黒さんの二神が、どうして七福神に増えたのかは定かではないが、福は多いほうが良いだろうし、縁起の良い数が望ましいと考えたのであろう。
室町時代に書院の床掛けに好まれた「竹林の七賢人」にならったという説、仁王般若経の「七難即滅(しちなんそくめつ)、七福即生(しちなんそくしょう)」に因んだという説など、諸説が飛び交う。
七福神信仰の発祥となった京洛には七福神を祀る神社仏閣は多く、どこに詣でれば良いか悩むところである。
七福神を巡るコースとして案内されたものだけでも、「都七福神まいり」「京之七福神めぐり」「京都七福神めぐり」「京洛七福神めぐり」「七福巡拝」と五種あった。
七福神組織も幾多の変遷と淘汰があるようで、福の神を祀る運営者の争いが無くはなかったようだ。
現存する組織としては、日本最古を冠する「都七福神まいり」がコース運営されているが、組織解散はしていても単独寺院で祀る本尊は変わらず、参拝やご朱印は受け付けてもらえる。
そうなれば、全て詣でた上で、自らに相性の良い七福神を祀る寺社で組み直しても良いのかも知れない。
その時に外せないところがある。
変遷に関わらずに共通して番付されているのが、大黒天の「松ヶ崎大黒天/妙円寺」と寿老人の「革堂/行願寺」である。次に、恵美須神の「京都ゑびす神社」の三箇所だ。
「都七福神まいり」は、それに加えて、弁財天の「六波羅蜜寺」、毘沙門天の「東寺」、布袋尊の「萬福寺」、福禄寿の「赤山禅院」の四箇所を巡るとされている。
各社寺にて御軸・大護符(色紙)・御宝印帖が用意されており、参拝すればいつでも宝印を頂くことができ、月の縁日は七日となっている。
地の利に不案内な方が一日で回るのは少々きついのだが、正月は、毎年元旦より一ヶ月間定期観光バスが運行され案内してくれるので、初詣を兼ねて参られるのが要領も得て便利である。
七福神信仰の代表格となる恵比須神は、恵比寿、恵美須、戎、夷、蛭子などいろんな字が当てられ戸惑う。島根県の美保神社を総本社とする事代主神系と兵庫県の西宮神社を総本社とするヒルコ神系とが相混じり庶民信仰されて今日を迎えているからのようである。
京都ゑびす神社は前者で、社伝によると、土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立あたり、その鎮守社として創建されたものである。
そのほか京洛で恵比須神の信仰が篤いところといえば護浄院がある。
元禁裏に永らく安置されていた福徳恵美寿神が明治維新の際に清荒神さんと通称される護浄院の尊天堂に移され安置されているところから、この恵美寿神を福禄寿とともに崇敬されるディープな人もいる。
清荒神さん(寺町通荒神口東)は光仁天皇の皇子で桓武天皇の兄となる開成親王作の清三宝大荒神を本尊に祀る天台宗の寺院である。
昨今四条通の「えびす船の巡行」が賑わしくなり衆目を集めている。これが「祇園のえべっさん」で「八坂神社蛭子社」に祀られている。
ゑびす神社や西宮神社とともに名を連ねる日本三大えびすの今宮戎神社のえべっさんは、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、祇園の「えべっさん」をその地にお祀りしたことに始まるという。
その縁から、今宮戎神社からは毎年、祇園祭の折りには幣帛(へいはく)を、元旦には鯛の奉納が行われている。八坂神社からは1月8日に、今宮戎神社の十日戎に先だっての献茶祭に神水を持参して供える深い関係にあると聞く。
粟田神社の出世えびす祭も知られるところで、牛若丸(源義経)が奥州に向かう前に蹴上粟田口でえびすさんにお祈りした事から、「出世えびす」と言われるようになった寄木造の恵美須神像が、本殿左奥の摂社「出世恵美須神社」に祀られている。
このように恵比須神を取り上げても話題に事欠かぬ訳なのだが、他の七福神にも同様多種に亘る由緒やご利益が数多ある。
紙幅が足りないので、羅列に留めなければならないが、それぞれに詣で、ご自身の結縁で七福神まいりを作られてはどうだろうか。
琵琶を持った容姿端麗な女神である弁財天から知恵や長寿、財産を授かろうとするなら、「三千院」「妙音堂」「無動寺」。
甲冑姿に、右手に槍(宝棒)、左手に宝珠を捧げる護法神である毘沙門天から知恵や財宝福徳を授かろうとするなら、「毘沙門堂」「廬山寺」「鞍馬寺」。
大きな布袋を担いで喜捨を集め、大きな腹に福々しい顔の福徳の神、弥勒菩薩の化身とも言われた僧侶布袋尊から福徳円満を授かろうとするなら、「長楽寺」「大福寺」。
長い頭の独特の風貌を持つ南極星の化身とも言われた仙人である福禄寿から幸福と富貴と長寿を授かろうとするなら、「護浄院」「遣迎院(けんごういん)」。
自ら集められた結縁の七福神の宝印を宝船に乗せて、枕の下に敷き来年の初夢の準備をされてはどうか。
日本最古都七福神まいり
http://miyako7.jp
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
行く末の不透明さに、人は頼りにできず福の神の登場を願うばかりとなる。
日本には古来より福神信仰がある。その福の神が七福神である。
七福神とは、恵比須(戎)神、大黒天、弁財(才)天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人をいう。
招福の神様とはいうものの、このうち恵比須神のみが日本固有の神「水蛭子(ひるこ)」で、後の「事代主神(ことしろぬし)」であり、大黒天、弁財天、毘沙門天はインドのヒンドゥー教の神、布袋尊は中国の仏教僧、福禄寿、寿老人は中国の道教にルーツがあり、大黒天は日本神話の大国主命と入り混じり、弁財天は天照大神の娘市杵島姫命(いちきしまのひめのみこと)と入り混じり、まさに神仏習合の福の神軍団として民間信仰されてきた。
なんと福の神軍団は、その時代によりメンバーチェンジが行われている。
恵比須、大黒天の二神は室町時代に始まる発足メンバーで、その後天細女命(あめのうずめのみこと)が加わり三神となったが、弁才天と入れ替わり、更に五神となり、遂には福禄寿、寿老人が加えられ七福神として定着したのは江戸時代中期であるという。
寿老人の替わりに吉祥天、稲荷神、猩々、福助、お多福が入れられたこともあったようである。
そもそも七福神信仰は、室町時代末期に京都で発祥したものだと伝えられる。
それまでの神仏は国家や村落の護国豊穣を願う為政者のものであったが、室町時代末期より町衆の願いを託す信仰の対象となり始めたのである。
京洛を荒れ果てさせた応仁の乱(1467〜77年)は、貴族、武士のみならず、民までも疲弊させており、強く福の神を求める土壌が生まれていた。加えて、商人が現れた頃で、町衆が蓄えをできるようになった時代でもあった。
つまり、必然的に個人が富や幸福を願い、国家を当てにできず、藁をも掴む思いで神仏に個人の願いを託すことになるのである。
古代よりあった福神信仰は、海からやって来る神が人の世に幸福をもたらすとされ、漁民や農民の生活に息づいていたが、その神が富や財の神として崇められ、京洛の町衆に広く持て囃されるようになったわけである。
そうして、ゑべっさん、大黒さんの愛称は瞬く間に広まった。
ゑべっさん、大黒さんの二神が、どうして七福神に増えたのかは定かではないが、福は多いほうが良いだろうし、縁起の良い数が望ましいと考えたのであろう。
室町時代に書院の床掛けに好まれた「竹林の七賢人」にならったという説、仁王般若経の「七難即滅(しちなんそくめつ)、七福即生(しちなんそくしょう)」に因んだという説など、諸説が飛び交う。
七福神信仰の発祥となった京洛には七福神を祀る神社仏閣は多く、どこに詣でれば良いか悩むところである。
七福神を巡るコースとして案内されたものだけでも、「都七福神まいり」「京之七福神めぐり」「京都七福神めぐり」「京洛七福神めぐり」「七福巡拝」と五種あった。
七福神組織も幾多の変遷と淘汰があるようで、福の神を祀る運営者の争いが無くはなかったようだ。
現存する組織としては、日本最古を冠する「都七福神まいり」がコース運営されているが、組織解散はしていても単独寺院で祀る本尊は変わらず、参拝やご朱印は受け付けてもらえる。
そうなれば、全て詣でた上で、自らに相性の良い七福神を祀る寺社で組み直しても良いのかも知れない。
その時に外せないところがある。
変遷に関わらずに共通して番付されているのが、大黒天の「松ヶ崎大黒天/妙円寺」と寿老人の「革堂/行願寺」である。次に、恵美須神の「京都ゑびす神社」の三箇所だ。
「都七福神まいり」は、それに加えて、弁財天の「六波羅蜜寺」、毘沙門天の「東寺」、布袋尊の「萬福寺」、福禄寿の「赤山禅院」の四箇所を巡るとされている。
各社寺にて御軸・大護符(色紙)・御宝印帖が用意されており、参拝すればいつでも宝印を頂くことができ、月の縁日は七日となっている。
地の利に不案内な方が一日で回るのは少々きついのだが、正月は、毎年元旦より一ヶ月間定期観光バスが運行され案内してくれるので、初詣を兼ねて参られるのが要領も得て便利である。
七福神信仰の代表格となる恵比須神は、恵比寿、恵美須、戎、夷、蛭子などいろんな字が当てられ戸惑う。島根県の美保神社を総本社とする事代主神系と兵庫県の西宮神社を総本社とするヒルコ神系とが相混じり庶民信仰されて今日を迎えているからのようである。
京都ゑびす神社は前者で、社伝によると、土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立あたり、その鎮守社として創建されたものである。
そのほか京洛で恵比須神の信仰が篤いところといえば護浄院がある。
元禁裏に永らく安置されていた福徳恵美寿神が明治維新の際に清荒神さんと通称される護浄院の尊天堂に移され安置されているところから、この恵美寿神を福禄寿とともに崇敬されるディープな人もいる。
清荒神さん(寺町通荒神口東)は光仁天皇の皇子で桓武天皇の兄となる開成親王作の清三宝大荒神を本尊に祀る天台宗の寺院である。
昨今四条通の「えびす船の巡行」が賑わしくなり衆目を集めている。これが「祇園のえべっさん」で「八坂神社蛭子社」に祀られている。
ゑびす神社や西宮神社とともに名を連ねる日本三大えびすの今宮戎神社のえべっさんは、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、祇園の「えべっさん」をその地にお祀りしたことに始まるという。
その縁から、今宮戎神社からは毎年、祇園祭の折りには幣帛(へいはく)を、元旦には鯛の奉納が行われている。八坂神社からは1月8日に、今宮戎神社の十日戎に先だっての献茶祭に神水を持参して供える深い関係にあると聞く。
粟田神社の出世えびす祭も知られるところで、牛若丸(源義経)が奥州に向かう前に蹴上粟田口でえびすさんにお祈りした事から、「出世えびす」と言われるようになった寄木造の恵美須神像が、本殿左奥の摂社「出世恵美須神社」に祀られている。
このように恵比須神を取り上げても話題に事欠かぬ訳なのだが、他の七福神にも同様多種に亘る由緒やご利益が数多ある。
紙幅が足りないので、羅列に留めなければならないが、それぞれに詣で、ご自身の結縁で七福神まいりを作られてはどうだろうか。
琵琶を持った容姿端麗な女神である弁財天から知恵や長寿、財産を授かろうとするなら、「三千院」「妙音堂」「無動寺」。
甲冑姿に、右手に槍(宝棒)、左手に宝珠を捧げる護法神である毘沙門天から知恵や財宝福徳を授かろうとするなら、「毘沙門堂」「廬山寺」「鞍馬寺」。
大きな布袋を担いで喜捨を集め、大きな腹に福々しい顔の福徳の神、弥勒菩薩の化身とも言われた僧侶布袋尊から福徳円満を授かろうとするなら、「長楽寺」「大福寺」。
長い頭の独特の風貌を持つ南極星の化身とも言われた仙人である福禄寿から幸福と富貴と長寿を授かろうとするなら、「護浄院」「遣迎院(けんごういん)」。
自ら集められた結縁の七福神の宝印を宝船に乗せて、枕の下に敷き来年の初夢の準備をされてはどうか。
日本最古都七福神まいり
http://miyako7.jp
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5350-130110-1月
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