「神輿洗い」といっても、単なるクリーニングでないことは誰もの察しがつく。
八坂神社の神事として行われ、祇園祭の1ヶ月の期間に二度ある。
始めは毎年7月10日で、二度目は7月28日だ。
祇園祭の神幸祭が17日、還幸祭が24日であるから、いずれもその前後に執り行われている。
祭礼の前後に神輿を洗い清める儀式であるが、他の神社の祭礼では見られることが少ないため、その言葉は、京都八坂神社の祇園会(ぎおんえ)の際に鴨川で行われるものを指すほどである。
神輿洗いに使用する水は鴨川の水に限られている。
夜の神輿洗いに先立つ10日午前10時、宮川(鴨川)堤では水を汲み上げ修祓され、神水とする「神用水清祓式」が執り行われてきた。
古来は、中御座神輿を担ぎ宮川町の堤を下り、河川敷から鴨川へと練りこみ、神輿洗いの禊を行ったと伝わる。それは、葵祭での斎王禊の儀が鴨川上流の河原で行われていたのと相通じるもので合点がいく話だと思った。
ところが、氏子組織の筆頭「宮本組」の古老によると、「神事や行事はなるべく当初の姿に戻したい。神輿洗いに関する神事は、鴨川の水の神様を神輿へお迎えするという祭りの一番大切な要素だけになおさらです」と話している。
神輿洗いは禊ぎ祓い清めるに留まるものではなく、京都盆地が湿地帯にあって、あばれ川とも呼ばれた鴨川などの氾濫に生活の基盤を脅かされ、浸水による疫病の発生に恐れを為していた頃には、鴨の水の神様にお鎮まりいただく祈りがあったのだと。
祇園祭を行うに、鴨の水の神様をまず神輿に迎え、八坂さんへ奉じることが祇園祭の神事の始まりであるという。
四条大橋の中央南北に斎竹(いみたけ)が建てられていた。
雅楽と川の流れが合い混じる中、紋付き袴姿の宮本組講員は羽織を脱ぎ、桶に綱をつけて鴨川の水面より汲み上げ、桶六杯分の神水を用意した。
同時刻には長刀鉾町で「幣切(ぬさぎり)」が行われ、長刀鉾町の神事に必要な御幣が神官により用意され撒かれると、鉾建てが始まるのである。おのおの鉾町も準じた次第で事が運ばれていくようである。
午後4時30分、八坂神社から「お迎え提灯」が氏子町へ向かい、河原町通から市役所前へ、寺町通を下り四条御旅所を経て、同9時頃八坂神社へと戻ってくる。
お迎え提灯とは、神輿洗の神輿を迎えるために行列し歓待する行事である。
しかし、神輿洗いの神輿には、まだ御霊遷しも行われておらず、そればかりか飾り具さえ取り付けられていないのである。
午後5時、八坂神社本殿では「神輿洗奉告祭」が行われ、祝詞の奏上を終えると、舞殿に三基の神輿が据えられ、「道しらべの儀」となる。
何ぞやとなるだろう。それは、八坂神社と鴨川四条間を大松明が往復するのである。
つまり、神輿洗いの神輿が行く道を、大松明の火を以って祓い清める儀式だ。
この大松明に点火される火は、大晦日に焚かれる「おけら火」を絶やさず灯し、守られている神火から移しいただく。
この大松明が清め祓った道で、何やら拾い物をする姿をご覧になっただろうか。
燃え盛る松明は、火の粉や煙を伴って燃え殻を落としてゆく。
そのあとを追うように、道端に落ちた燃え殻を割り箸と受け皿で拾い集め、持ち帰る崇敬者の姿である。
神輿の通る道を清めた松明が厄除け魔除けなど災厄の強力な除去になると、数センチになった竹炭を半紙に包み神棚に供える習わしが京都にはある。
午後7時過ぎ、四若の輿丁が担ぐ大松明が八坂神社へ戻ると、大松明の火は小松明四本に移される。中御座神輿の四方を照らし、いよいよ四条大橋の斎場へ担ぎ出されるのである。
未だ主神素戔鳴尊(スサノヲノミコト)の御霊が遷移されていない輿といえど、そのお迎えの丁重なる仕来たりで、氏子らの信仰の篤さを推し量ることができるだろう。
午後8時、四条大橋に神輿が着くと、橋上は黒山の人だかりである。
朝に清祓された神水がこの時用いられる。川端四条の遊歩道に安置されていた桶が運ばれ、斎竹に囲われた結界の中で、神輿と輿丁にかけられ祓い清められるのだ。
この時とばかりに、取り囲む人だかりは神水を浴びんと群がる。
この狂信的なまでもの群がりは、人々の只管(ひたすら)なる思いで、疫病神を祓いたい祈りからなる所作以外の何ものでもない。
四条通の鴨川という繁華な場所にも、人々の神さびた信仰が今も生き続けているのである。
鴨川の水の神の怒りを鎮めるべく迎えた神輿は、四条通を八坂神社舞殿へと戻る。
松明は消され、神事の終わりを見届けた崇敬者は、一斉に松明に近づく。松明から燃え尽きた竹炭を折り、持ち帰るのである。
午後9時 舞殿に駐輦(ちゅうれん)された三基の神輿に飾り具が取り付けられている。
鏡、枡組、戸脇、狛犬、擬宝朱、囲垣、鳥居など、次々と順を追い取り付けられていく。
飾紐に鈴と組房が着くと、見慣れた神輿らしく華やかになった。
だがしかし、この三基の神輿に神霊は遷移されていない。
17日午後4時半、八坂神社素戔鳴尊の和御霊(にぎみたま)と、綾戸国中神社の駒形稚児が胸に奉持する素戔鳴尊の荒御霊(あらみたま)が合体して、はじめて神輿に遷移されるのである。
平安時代、疫病・災害が起こった時その怨霊を祀り、祟りを鎮める「御霊会」として行われた祭りが祇園祭の起源であるが、古くは、祭りの神輿は怨霊を都の外に追い出す為の一度きりの神輿であったという。
剣鉾をルーツとする山鉾同様に、氏子の経済力とその信仰の篤さが、神輿を毎年使える絢爛豪華なものに仕立て上げ、それに伴い信仰の仕来たりも培われてきているのである。
祇園精舎の守り神に、また、その関わりのある全てのものに崇高な恐れを抱き、人間が自らの傲慢を諭す心が、祇園祭に、神輿洗いに、見られるのではないだろうか。
科学万能主義が齎した福島原発事故の警鐘により、あらためて素朴な信仰が必要な時と、問い直されるべきであろう。
八坂神社の神事として行われ、祇園祭の1ヶ月の期間に二度ある。
始めは毎年7月10日で、二度目は7月28日だ。
祇園祭の神幸祭が17日、還幸祭が24日であるから、いずれもその前後に執り行われている。
祭礼の前後に神輿を洗い清める儀式であるが、他の神社の祭礼では見られることが少ないため、その言葉は、京都八坂神社の祇園会(ぎおんえ)の際に鴨川で行われるものを指すほどである。
神輿洗いに使用する水は鴨川の水に限られている。
夜の神輿洗いに先立つ10日午前10時、宮川(鴨川)堤では水を汲み上げ修祓され、神水とする「神用水清祓式」が執り行われてきた。
古来は、中御座神輿を担ぎ宮川町の堤を下り、河川敷から鴨川へと練りこみ、神輿洗いの禊を行ったと伝わる。それは、葵祭での斎王禊の儀が鴨川上流の河原で行われていたのと相通じるもので合点がいく話だと思った。
ところが、氏子組織の筆頭「宮本組」の古老によると、「神事や行事はなるべく当初の姿に戻したい。神輿洗いに関する神事は、鴨川の水の神様を神輿へお迎えするという祭りの一番大切な要素だけになおさらです」と話している。
神輿洗いは禊ぎ祓い清めるに留まるものではなく、京都盆地が湿地帯にあって、あばれ川とも呼ばれた鴨川などの氾濫に生活の基盤を脅かされ、浸水による疫病の発生に恐れを為していた頃には、鴨の水の神様にお鎮まりいただく祈りがあったのだと。
祇園祭を行うに、鴨の水の神様をまず神輿に迎え、八坂さんへ奉じることが祇園祭の神事の始まりであるという。
四条大橋の中央南北に斎竹(いみたけ)が建てられていた。
雅楽と川の流れが合い混じる中、紋付き袴姿の宮本組講員は羽織を脱ぎ、桶に綱をつけて鴨川の水面より汲み上げ、桶六杯分の神水を用意した。
同時刻には長刀鉾町で「幣切(ぬさぎり)」が行われ、長刀鉾町の神事に必要な御幣が神官により用意され撒かれると、鉾建てが始まるのである。おのおの鉾町も準じた次第で事が運ばれていくようである。
午後4時30分、八坂神社から「お迎え提灯」が氏子町へ向かい、河原町通から市役所前へ、寺町通を下り四条御旅所を経て、同9時頃八坂神社へと戻ってくる。
お迎え提灯とは、神輿洗の神輿を迎えるために行列し歓待する行事である。
しかし、神輿洗いの神輿には、まだ御霊遷しも行われておらず、そればかりか飾り具さえ取り付けられていないのである。
午後5時、八坂神社本殿では「神輿洗奉告祭」が行われ、祝詞の奏上を終えると、舞殿に三基の神輿が据えられ、「道しらべの儀」となる。
何ぞやとなるだろう。それは、八坂神社と鴨川四条間を大松明が往復するのである。
つまり、神輿洗いの神輿が行く道を、大松明の火を以って祓い清める儀式だ。
この大松明に点火される火は、大晦日に焚かれる「おけら火」を絶やさず灯し、守られている神火から移しいただく。
この大松明が清め祓った道で、何やら拾い物をする姿をご覧になっただろうか。
燃え盛る松明は、火の粉や煙を伴って燃え殻を落としてゆく。
そのあとを追うように、道端に落ちた燃え殻を割り箸と受け皿で拾い集め、持ち帰る崇敬者の姿である。
神輿の通る道を清めた松明が厄除け魔除けなど災厄の強力な除去になると、数センチになった竹炭を半紙に包み神棚に供える習わしが京都にはある。
午後7時過ぎ、四若の輿丁が担ぐ大松明が八坂神社へ戻ると、大松明の火は小松明四本に移される。中御座神輿の四方を照らし、いよいよ四条大橋の斎場へ担ぎ出されるのである。
未だ主神素戔鳴尊(スサノヲノミコト)の御霊が遷移されていない輿といえど、そのお迎えの丁重なる仕来たりで、氏子らの信仰の篤さを推し量ることができるだろう。
午後8時、四条大橋に神輿が着くと、橋上は黒山の人だかりである。
朝に清祓された神水がこの時用いられる。川端四条の遊歩道に安置されていた桶が運ばれ、斎竹に囲われた結界の中で、神輿と輿丁にかけられ祓い清められるのだ。
この時とばかりに、取り囲む人だかりは神水を浴びんと群がる。
この狂信的なまでもの群がりは、人々の只管(ひたすら)なる思いで、疫病神を祓いたい祈りからなる所作以外の何ものでもない。
四条通の鴨川という繁華な場所にも、人々の神さびた信仰が今も生き続けているのである。
鴨川の水の神の怒りを鎮めるべく迎えた神輿は、四条通を八坂神社舞殿へと戻る。
松明は消され、神事の終わりを見届けた崇敬者は、一斉に松明に近づく。松明から燃え尽きた竹炭を折り、持ち帰るのである。
午後9時 舞殿に駐輦(ちゅうれん)された三基の神輿に飾り具が取り付けられている。
鏡、枡組、戸脇、狛犬、擬宝朱、囲垣、鳥居など、次々と順を追い取り付けられていく。
飾紐に鈴と組房が着くと、見慣れた神輿らしく華やかになった。
だがしかし、この三基の神輿に神霊は遷移されていない。
17日午後4時半、八坂神社素戔鳴尊の和御霊(にぎみたま)と、綾戸国中神社の駒形稚児が胸に奉持する素戔鳴尊の荒御霊(あらみたま)が合体して、はじめて神輿に遷移されるのである。
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5392-110621-7/10
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