人災を以て末法たらざるべく手を合わす

地蔵盆 京の六地蔵めぐり by 五所光一郎

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陰陽師といえば、安倍晴明〈921年〜1005年)の名が夙に知られるが、晴明誕生より遡ること約100年前に、小野篁(おののたかむら/802年〜853年)は平安朝廷に仕えていた。
参議従三位小野篁は学者であり、歌人であり、陰陽師である。

そればかりか、夜は閻魔大王に仕えたと伝えられている人物でもある。

あの世とこの世を結ぶ入口と信じられていた六道珍皇寺の井戸を通って、夜毎に地獄に降り閻魔大王の補佐をし、異界と通じていたといわれる逸話を数多く残している。
その珍皇寺境内の閻魔堂には閻魔大王と小野篁像が安置されている。

彼の足跡や縁を残すところは、寺町三条上る矢田寺千本閻魔堂(引接寺)、嵯峨薬師寺などが挙げられ、寺院の多くで見られる地獄絵の絵解き図にも描かれている。

晴明も脱帽し、尊敬の念を表していた平安時代初期のエリートで、特に京都では、今も昔も有名人中の有名人である。

その篁公が48才の折、熱病を患い意識を失い仮死状態となって、地獄に落ちた人々の苦しんでいる姿を見たのである。恐ろしい地獄の猛火の中に、一人の具足戒を受けた僧が、苦しみに喘ぐ罪人たちを慈悲の心で、その苦難を救っている場に出会ったという。

その僧は「私は地蔵菩薩である」と名のり、
「釈迦の入滅後、この地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら、罪穢れのある縁ある人々を救っている。全ての人を救いたいが、縁のない人を救う事はできない。私にとっても残念な事だ。
貴方はこの地獄の苦痛の恐ろしき様と地蔵菩薩の事を人々に知らしめて帰依させてほしい」と、伝えた。

それを聞いて九死から蘇った篁公は、宇治木幡山から一本の桜の木を切り出して、生死の際に見た、生きた地蔵尊の六体の姿を彫りだしたと伝わる。
仁寿2年(852年)、それら六体の地蔵菩薩像は宇治木幡の地に祀られた。
現在の大善寺に納められた六体地蔵から、その地名も伏見六地蔵と呼ばれるようになり、六地蔵尊発祥の地、根本霊場となったのである。

その後平安後期、都で疫病が大流行していた保元2年(1157年)、後白河法皇の勅命により平清盛西光法師に命じて、京都の街道の入り口六ヶ所に六角堂を建て、尊像を一体づつ分置することとなる。
後白河法皇は、王城守護、厄病退散を祈願し、旅人の路上安全、庶民の福楽結縁を願う六地蔵尊に篤い信仰があったと、六地蔵縁起(1665年大善寺所蔵)に記されているという。

西光法師の選んだ残る五箇所には、西国街道に繋がる上鳥羽の浄禅寺鳥羽地蔵丹波山陰街道に繋がる桂の地蔵寺桂地蔵周山街道に繋がる常盤の源光寺常盤地蔵鞍馬街道に繋がる深泥池の畔に鞍馬口地蔵(明治初年に神仏分離令により現在の上善寺に移転)、東海道に繋がる四宮徳林庵山科地蔵が安置された。

最初にまわり地蔵の参拝をしたのが西光法師と言われ、これが六地蔵めぐりの始まりであるとされている。
もうお分かりだと思うが、この六地点のほぼ中心にあたるところは、現在の京都国立博物館になる。つまり、後白河法皇が院政を敷いていた法住寺殿や平清盛の六波羅殿の位置に符合するのである。まさに王城鎮護の祈願の意図が見えるではないだろうか。

不思議なことに、現在の京都市営地下鉄の路線も終着駅を結ぶと、ほぼ六地蔵めぐりの路線に一致することである。もし、桂地蔵のあたりまで地下鉄路線が延びることがあれば、この六地蔵の結界は今もいかされていることが推測に終わらないことになる。

横道にそれたので本題に戻すと、地蔵菩薩の縁日は毎月24日であるが、お盆の期間中でもある旧暦7月24日と、その前日の宵縁日を中心とした3日間は地蔵盆とされ、地蔵菩薩の祭を民間信仰として行われてきた。
子育て地蔵とも呼ばれ親しまれてきたせいか、宗教色は薄れてきたとはいうものの、市内の町内会では未だに地蔵盆行事が各所で行われている。

同時期の22日23日の昼夜にこの六地蔵に廻り参拝が行われ、参拝者は六色の六地蔵尊のお幡を授かり、家の玄関先に吊るし、一年の厄病退散、家内安全、福徳招来の護符としている。
参拝の折には古いお幡を納札するのに地蔵菩薩と結ばれた綱にかけ、先祖の水塔婆をあげ供養するのが習わしである。

お地蔵さまの本名は「クシティ・ガルバハ」(梵語)と言い、仏典の「地蔵十王経」によれば、あの鬼より怖い閻魔大王の化身なのだそうだが、地蔵菩薩(別名・妙幢菩薩)は元々、釈迦が亡くなり56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、衆生を救い教化することを主な役目とした菩薩様だと言うことになっている。

お釈迦さまが亡くなってから、一定の期間が経過すると社会に混乱が起こるという平安期に広まった末法思想によると、釈迦の入滅後2000年に当たる永承7年(1052年)に「末法」を迎えるという説が広く信じられため、亡くなった者が冥途に旅立ち、地獄の閻魔の裁きを受けなければなくなくなった時、強い味方になって貰える閻魔さまの化身地蔵菩薩と結縁しておきたくなるのは自然の流れかもしれない。

やがて釈迦入滅後3000年を約40年後に迎える。昨今の放射能汚染に止まらず、地球的危機を鑑みるに、その六体のお地蔵さんのご尊顔を真正面に拝し、参拝しておく方が得策というものだ。

今年もお参りし、戸板と格子戸の外されたお堂の前にて、事前のネゴシエーションを図ってきたところである。
家族と縁者の極楽往生を願い、篁公の念が入れられたお地蔵さんの表情に接し、心の平穏と明日への活力を持ち帰らせて頂いた。

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