辰年を迎えるとあって、龍にゆかりのある場所が俄かに話題に上る。
小生が「龍の棲まう神社」と枕詞のように言い始めだすからかもしれないが、聞き耳を立てて傍に人が集まるのだ。
前号に紹介した瀧尾神社の拝殿天井に這う木彫の龍は非常に珍しく、「是非訪れたい」と、誰もが口を揃える。
何故「棲まう」と表現したかは、そう感じたからとしか言いようがないが、二つの根拠がある。
一つは、龍神伝説とも呼べるよく耳にする話である。
天保10年(1839年)に建立された拝殿天井に配された龍は、長さ8mにもおよぶもので、まるで生きているかのように身をくねらせていた。無垢材の木目が精緻に組み合わされ、背は鯉の鱗のように、腹は大蛇のように、はたまた頭は駱駝のようにと彫りこまれているのである。
今はその木肌を見せているが、元は極彩色であったというから想像を絶する迫力だったに違いない。
誰も見たことのないその霊獣の神秘的な様子は、本殿に祀られている弁財天が人をして作らせたものと信じられていたのであろう。
水神と呼ばれる弁財天は古くより水辺に祀られ、狂暴な悪龍をも鎮め善龍にする水の化身とする伝説がある。
勿論、拝殿の龍は弁財天に仕える善龍であると信じられていたが、夜になると拝殿より出て、動き出ているとの話が広まった。
寝静まり誰も夜歩きしているわけでもないのに、妙な音を聞いたという者が一人ではなく、何人もの口から出たのである。
境内の本殿裏にあたるすぐ北に、源流を東山に持つ今熊野川が、泉涌寺を経て流れている。この今熊野川の水辺へ、拝殿を抜け出して夜な夜な水を飲みに動きだすのだとの噂は、瞬く間に広まったという。
恐くて眠れないとの町民の申し出を聞き困り果てた宮司は、拝殿の天井にいる龍を囲むように網を張り、人々の気を鎮めることにしたらしい。
すると、その夜より、途端に妙な音が聞こえなくなったと言う。
これは江戸時代後期より語り継がれている話である。
現在は、今熊野川が暗渠となったため、網は取り外されている。
二つ目は、本殿の建物が貴船神社奥院の旧殿を移築したものであるという因果である。
現在の社殿は、豪商下村家の援助で天保10年(1839年)造営されたもので、京都市指定・登録文化財となるほどのものである。
本殿・幣殿・拝所・東西廊が並び、交錯するこれらの屋根は威風堂々たる独特の景観を持っている。
また、それらの社殿は、十二支に水鳥や鶴、鳳凰、尾長鳥、阿吽の龍、獏(ばく)、犀(さい)や麒麟など、実に豊富で多彩な彫刻装飾が施され、非常に珍しいと謂われている。
それほどの社殿にある本殿にもかかわらず、「北山貴船奧院御社」旧殿が移築されているのである。移築改築された本殿の正面に立つと、雲上にいる霊獣が目に留まる。
しかもその霊獣の顔は鳳凰、胴体には鱗があり四足で、その先は鳥の爪をもっている。未だその霊獣は他に見ることのないもので、名前さえ分らないらしい。
京の彫刻家九山新之丞の作と謂われるその動物たちには目が描かれており、江戸時代に流行した技法であると説明されている。
貴船神社の奥宮といえば、元の本宮であり、貴船神社の本宮・結宮・奥宮の中で最も強いパワーを持つところである。その奥宮の本殿下には龍穴があり、龍神が住んでいると古より語り継がれているところなのだ。
京都の水神として最も信仰の篤い奥宮の祭神は「高龗神(たかおかみのかみ)」で、日本神話に登場する水や雨を司る神である。「龗(おかみ)」とは、まさしく「龍」の古語である。
参考までに古事記では、高龗神の孫にあたるのが大国主神となっている。
紀元5世紀初め頃に、第18代反正天皇の御世に、神武天皇の母・玉依姫(たまよりひめ)が「黄船」に乗って淀川、賀茂川(鴨川)、貴船川をさかのぼり、現在の貴船神社の奥宮あたりに船を留め、高龗神を祀ったことは夙に知られている。
その場所にあった社殿を移築することは容易いことではなかったはずである。
その社殿が、瀧尾神社の本殿となっているのである。
貴船神社奥宮の現本殿は、文久3年(1863年)のものであるから、この前年頃に瀧尾神社の本殿として移築されたものと考えられる。
つまり、尊父の祀られていた社殿に、孫の大己貴命(おおむなちのみこと/大国主命の青年期の名)が祀られている神社で、先祖が水神・龍神であるという神社なのである。
従って、拝殿の木彫の龍に、龍神の御霊が乗り移り、生きるかのように棲まうと、小生は表現したくもなるのだ。
瀧尾神社が現在あるのは呉服商を営んでいた下村家の篤い信仰があったからに他ならないと言われる。
家業の呉服販売を大きく発展させ、現在の大丸百貨店の基礎を築いた下村彦右衛門が、自宅のあった伏見区京町から行商へ行く途中に、毎朝欠かさず瀧尾神社に参拝していたという。
大丸創業家では、すべての繁栄は瀧尾神社の御利益のお蔭と寄進を続け、境内に「大丸繁栄稲荷社」まで勧請しているのである。
その福を齎した彦右衛門をモデルにして地元で作られた伏見人形が、かの「福助」である。全国を一声風靡し、今だに商家に飾られているのを見る。
まさに「昇り龍」となるご利益にあずかれる神社と言って過言ではない。
辰年に縁起を担ぐなら、金運、財運に縁の深い金の龍も参拝されてはどうだろうか。
龍に縁のある寺院は数多いが、金ピカが目に眩しい龍を見たのは「本圀寺」が初めてだった。
山科御陵の疎水にかかる朱の橋を渡り、山手へと上って行く。
そこは大光山と号する日蓮宗の大本山である。
建長5年(1253年)日蓮聖人が鎌倉松葉ヶ谷に御小庵を構え法華堂と号したことに始まり、北条幕府が滅び足利幕府となった貞和元年(1345年)、光厳天皇より京都六条に東西二町・南北六町にわたる広大な永代寺領を授かり、立正安国の大道場本圀寺として京都へ遷され、後に現在地に遷った寺院である。
赤門が見え、その先に黄金の鳥居や鐘が見えた。
まさに黄金寺院さながらの景色である。金色の仁王像を横目に、本師堂前の獅子狛犬の前を通り過ぎ、黄金の鳥居へと向かった。山懐に包まれた爽快感溢れる空気が漂っていた。
鳥居に架かる扁額に「九頭龍銭洗弁財天」とある。
鳥居を潜り進み出ると、大きな石灯籠に巻きつくように身を構え、正面を見据える金の龍神が口から霊水を落としていた。
霊水は石臼に落ち、見上げると九頭龍の頭である。
九頭龍は八大龍王の中で最も神通力の強い神様といわれ、銭洗弁財天のご神体から流れ出る霊水で欲望や執念の元となる穢れた銭を洗い、悪運を呼び込む執着を洗い清めることにより、心清き尊いお金に変え、福禄寿の伴う財運のご利益を叶えてくれると説かれている。
洗ったお金を浄財袋に入れて持ち歩くと、財運に恵まれるという信仰である。
論より、九頭龍銭洗弁財天の前に立たれるがよかろう。
そのほか、辰年ゆかりの社寺と聞かれると、
平安神宮の白虎と青龍、八坂神社や神泉苑の龍穴龍脈、伏見深草の瑞光寺白龍銭洗辨財天、近年創建された八瀬の九頭竜大社、天橋立まで行かれるなら籠神社の奥宮の真名井神社などもある。
あなたの相性に合うのはどちらだろうか。
瀧尾神社 (京都東山南部地域活性委員会)
http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/takiojinjya/
大光山 本圀寺
http://www.artmemory.co.jp/honkokuji/standard/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
小生が「龍の棲まう神社」と枕詞のように言い始めだすからかもしれないが、聞き耳を立てて傍に人が集まるのだ。
前号に紹介した瀧尾神社の拝殿天井に這う木彫の龍は非常に珍しく、「是非訪れたい」と、誰もが口を揃える。
何故「棲まう」と表現したかは、そう感じたからとしか言いようがないが、二つの根拠がある。
一つは、龍神伝説とも呼べるよく耳にする話である。
天保10年(1839年)に建立された拝殿天井に配された龍は、長さ8mにもおよぶもので、まるで生きているかのように身をくねらせていた。無垢材の木目が精緻に組み合わされ、背は鯉の鱗のように、腹は大蛇のように、はたまた頭は駱駝のようにと彫りこまれているのである。
今はその木肌を見せているが、元は極彩色であったというから想像を絶する迫力だったに違いない。
誰も見たことのないその霊獣の神秘的な様子は、本殿に祀られている弁財天が人をして作らせたものと信じられていたのであろう。
水神と呼ばれる弁財天は古くより水辺に祀られ、狂暴な悪龍をも鎮め善龍にする水の化身とする伝説がある。
勿論、拝殿の龍は弁財天に仕える善龍であると信じられていたが、夜になると拝殿より出て、動き出ているとの話が広まった。
寝静まり誰も夜歩きしているわけでもないのに、妙な音を聞いたという者が一人ではなく、何人もの口から出たのである。
境内の本殿裏にあたるすぐ北に、源流を東山に持つ今熊野川が、泉涌寺を経て流れている。この今熊野川の水辺へ、拝殿を抜け出して夜な夜な水を飲みに動きだすのだとの噂は、瞬く間に広まったという。
恐くて眠れないとの町民の申し出を聞き困り果てた宮司は、拝殿の天井にいる龍を囲むように網を張り、人々の気を鎮めることにしたらしい。
すると、その夜より、途端に妙な音が聞こえなくなったと言う。
これは江戸時代後期より語り継がれている話である。
現在は、今熊野川が暗渠となったため、網は取り外されている。
二つ目は、本殿の建物が貴船神社奥院の旧殿を移築したものであるという因果である。
現在の社殿は、豪商下村家の援助で天保10年(1839年)造営されたもので、京都市指定・登録文化財となるほどのものである。
本殿・幣殿・拝所・東西廊が並び、交錯するこれらの屋根は威風堂々たる独特の景観を持っている。
また、それらの社殿は、十二支に水鳥や鶴、鳳凰、尾長鳥、阿吽の龍、獏(ばく)、犀(さい)や麒麟など、実に豊富で多彩な彫刻装飾が施され、非常に珍しいと謂われている。
それほどの社殿にある本殿にもかかわらず、「北山貴船奧院御社」旧殿が移築されているのである。移築改築された本殿の正面に立つと、雲上にいる霊獣が目に留まる。
しかもその霊獣の顔は鳳凰、胴体には鱗があり四足で、その先は鳥の爪をもっている。未だその霊獣は他に見ることのないもので、名前さえ分らないらしい。
京の彫刻家九山新之丞の作と謂われるその動物たちには目が描かれており、江戸時代に流行した技法であると説明されている。
貴船神社の奥宮といえば、元の本宮であり、貴船神社の本宮・結宮・奥宮の中で最も強いパワーを持つところである。その奥宮の本殿下には龍穴があり、龍神が住んでいると古より語り継がれているところなのだ。
京都の水神として最も信仰の篤い奥宮の祭神は「高龗神(たかおかみのかみ)」で、日本神話に登場する水や雨を司る神である。「龗(おかみ)」とは、まさしく「龍」の古語である。
参考までに古事記では、高龗神の孫にあたるのが大国主神となっている。
紀元5世紀初め頃に、第18代反正天皇の御世に、神武天皇の母・玉依姫(たまよりひめ)が「黄船」に乗って淀川、賀茂川(鴨川)、貴船川をさかのぼり、現在の貴船神社の奥宮あたりに船を留め、高龗神を祀ったことは夙に知られている。
その場所にあった社殿を移築することは容易いことではなかったはずである。
その社殿が、瀧尾神社の本殿となっているのである。
貴船神社奥宮の現本殿は、文久3年(1863年)のものであるから、この前年頃に瀧尾神社の本殿として移築されたものと考えられる。
つまり、尊父の祀られていた社殿に、孫の大己貴命(おおむなちのみこと/大国主命の青年期の名)が祀られている神社で、先祖が水神・龍神であるという神社なのである。
従って、拝殿の木彫の龍に、龍神の御霊が乗り移り、生きるかのように棲まうと、小生は表現したくもなるのだ。
瀧尾神社が現在あるのは呉服商を営んでいた下村家の篤い信仰があったからに他ならないと言われる。
家業の呉服販売を大きく発展させ、現在の大丸百貨店の基礎を築いた下村彦右衛門が、自宅のあった伏見区京町から行商へ行く途中に、毎朝欠かさず瀧尾神社に参拝していたという。
大丸創業家では、すべての繁栄は瀧尾神社の御利益のお蔭と寄進を続け、境内に「大丸繁栄稲荷社」まで勧請しているのである。
その福を齎した彦右衛門をモデルにして地元で作られた伏見人形が、かの「福助」である。全国を一声風靡し、今だに商家に飾られているのを見る。
まさに「昇り龍」となるご利益にあずかれる神社と言って過言ではない。
辰年に縁起を担ぐなら、金運、財運に縁の深い金の龍も参拝されてはどうだろうか。
龍に縁のある寺院は数多いが、金ピカが目に眩しい龍を見たのは「本圀寺」が初めてだった。
山科御陵の疎水にかかる朱の橋を渡り、山手へと上って行く。
そこは大光山と号する日蓮宗の大本山である。
建長5年(1253年)日蓮聖人が鎌倉松葉ヶ谷に御小庵を構え法華堂と号したことに始まり、北条幕府が滅び足利幕府となった貞和元年(1345年)、光厳天皇より京都六条に東西二町・南北六町にわたる広大な永代寺領を授かり、立正安国の大道場本圀寺として京都へ遷され、後に現在地に遷った寺院である。
赤門が見え、その先に黄金の鳥居や鐘が見えた。
まさに黄金寺院さながらの景色である。金色の仁王像を横目に、本師堂前の獅子狛犬の前を通り過ぎ、黄金の鳥居へと向かった。山懐に包まれた爽快感溢れる空気が漂っていた。
鳥居に架かる扁額に「九頭龍銭洗弁財天」とある。
鳥居を潜り進み出ると、大きな石灯籠に巻きつくように身を構え、正面を見据える金の龍神が口から霊水を落としていた。
霊水は石臼に落ち、見上げると九頭龍の頭である。
九頭龍は八大龍王の中で最も神通力の強い神様といわれ、銭洗弁財天のご神体から流れ出る霊水で欲望や執念の元となる穢れた銭を洗い、悪運を呼び込む執着を洗い清めることにより、心清き尊いお金に変え、福禄寿の伴う財運のご利益を叶えてくれると説かれている。
洗ったお金を浄財袋に入れて持ち歩くと、財運に恵まれるという信仰である。
論より、九頭龍銭洗弁財天の前に立たれるがよかろう。
そのほか、辰年ゆかりの社寺と聞かれると、
平安神宮の白虎と青龍、八坂神社や神泉苑の龍穴龍脈、伏見深草の瑞光寺白龍銭洗辨財天、近年創建された八瀬の九頭竜大社、天橋立まで行かれるなら籠神社の奥宮の真名井神社などもある。
あなたの相性に合うのはどちらだろうか。
瀧尾神社 (京都東山南部地域活性委員会)
http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/takiojinjya/
大光山 本圀寺
http://www.artmemory.co.jp/honkokuji/standard/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5431-111222-1月
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