葵祭や嵯峨祭が終わり、水無月が近づくと入梅が気になるが、初夏の先駆けとして咲く花菖蒲や紫陽花の楽しみも増してくる。
まずは花菖蒲である。
杜若とバトンタッチをするかのように咲きはじめる。記憶では、黄菖蒲が先陣を切って開花するように思う。
さて、花菖蒲を追っかけたいが、京都ではどこがいいだろうか。
東なら岡崎の平安神宮神苑を見ないわけにはいかない。
普段なら拝観料のいる平安神宮神苑も、6月初旬には無料で入れる日が一日用意されている。
もっとも、この日は花菖蒲を観賞する人の風情を観ることになる。
しかし、是非一度は神苑に足を運ばれるのが良い。
円山公園、無隣庵を始め幾多の名園を残し、「植治(ウエジ)」と呼ばれた七代目小川治兵衛作庭の平安神宮神苑は、明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られている。
その庭園は、社殿を取り囲むように東神苑・中神苑・西神苑・南神苑の四つの庭からなり、四季折々に風光明媚な趣を見せる池泉回遊式庭園で、約一万坪に及ぶ国の名勝である。
広大な神苑には、本殿向かって左手の南神苑入口から入る。
入り組んだ細い道筋(野筋)と幾重にも流れ込んでいる小川(遣水)の間を歩き、翔鸞池(しょうらんいけ)を経て西神苑へと入る。
初夏に花を見せる珍しい萩をみた。
左手に茶室「澄心亭(ちょうしんてい)」を見て進むと、パッと明るく白虎池が広がる。
蒼林に囲まれた白虎池の周囲を歩けるよう左右に、北回りと南回りの道が分かれてある。
池縁には青紫の帯を取り巻いたような、「花菖蒲」の群生を目にする。思わず声が漏れる。
花を追うように北周りに歩き、近くに遠くにと目を遣る。
閑静な池泉の風情に安らかな心地を覚えた。
暫くすると、白虎池に木製の八つ橋が架かっている。
橋を歩くと、水面に彩りを添えている睡蓮と黄色の花の河骨(コウホネ)が手に取れるところに見えている。
誰もが記念写真を撮ろうとして立ち止まっていた。
池の南回りの道には木陰ができている。
着物姿に日傘を差した女性が花菖蒲を眺めていた。
白虎池には、伊勢系・肥後系・江戸系を中心にした日本古来の品種ばかり200種、2,000株が咲き競うと聞く。
じっくりと見比べてみるが、少しの区別さえもつけられないでいる。
池を一週半歩いた後、図鑑を持ってもう一度訪れようと思った。
時間にゆとりがあれば、中神苑、東神苑をゆっくりと観賞されると良い。
紫一色だった杜若が傷みだし、あるいは花を落としていることもある中神苑蒼龍池には、池を渡るように珊瑚島まで、臥龍橋(がりゅうきょう)と呼ばれる飛び石が配置されている。
到るところに白、紅、桃とさつきが花を咲かせ、睡蓮が水面に広がり、秋口まで花を咲かせている。
池縁の茶店で一服するのも悪くない。
そして、出口に向かうべく東神苑に進むと、栖鳳池に建つ尚美館や、東山連山の一つ華頂山を背後にした釣殿の泰平閣が悠然とした佇まいを見せている。
その雄大で圧倒的な眺めに思わず溜息を漏らされるはずである。
西なら、梅宮大社神苑だ。
野趣溢れる神苑は東神苑、北神苑、西神苑と三ケ所ある。
花菖蒲が咲き競っているのは東神苑咲耶池(さくやいけ)と北神苑勾玉池(まがたまいけ)である。
池泉回遊式の散策路で連なり、紫陽花と花菖蒲が饗宴していて、六月中旬頃は両方を楽しめる。
青梅もみられ、睡蓮も咲いている。入梅したからといって塞がってはいられないのである。
その広大な庭園は拝観料以上の満足を得させてくれるところだと思っている。
鳥居を潜り駒札もほどほどに、酒樽が積み上げられた楼門(随身門)を経て本殿へと向かう。鉢植えされた見事な花菖蒲を横目に手を合わせ、逸る思いで神苑入口となる東門を目指した。
苑池に入る東門の風情は実に奥ゆかしい佇まいを見せている。
門を潜ると石橋で、その左右の門塀に沿って、濃い紫で艶やかな花菖蒲が群生している。
松の木と石灯籠に囲われ、お城の濠の風情さえ感じさせ、古来日本の武家社会の象徴ともいえる光景である。
前方は咲耶池で視界が広がる。
東神苑の左右、中央、視点をどこに定めれば良いのだろうか。あちこちに白や紫、青紫、一部に黄色も見え、池一面に彩りを見せている。
左前方の島に、田舎の里の風景を彷彿とさせる茅葺の建物が見える。「芦のまろ屋」とあだ名される茶席「池中亭」であった。
「 ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく」
百人一首にある、平安時代の梅津の里の風景を大納言源経信が詠んだもので、その歌の古里を今に残すものとしてこさえられているという。
順路に沿って、池周りを東へと歩いた。
角度が変わるごとに、どんどんと景色が変わってゆく。順路にはアヤメや杜若も植栽されている。
島に向かって石橋がかかっていた。石橋を渡り始め立ち止まる。
西を眺めると、東門と門塀越しに松尾山から嵐山の山並みが悠然としていた。
石橋に立ち、花菖蒲たちに囲まれ、そんな景色を一人占めにした。
こんな贅はそう易々と手に入るものではないと思う。
北を向くと 微動だにできず、その景色に絶句した。
花菖蒲の京の名所はここだろうと思った。
こんもりとした林の木々の下に色とりどりに花菖蒲が咲き、靄がかかったように霞んでいる。狭まった奥の方にも花が咲いているようである。
石橋を渡りきり、奥へ奥へと歩みを進めた。
木々の間からも花々の断片が見える。更に足早になる。
開けたところにかかる石橋に腰を下ろし、群生する花菖蒲を眺めた。
梅雨の花の宴のようである。
群生する花菖蒲の中に一人の男を見つけた。
男は丁寧に一輪一輪終わった一番花を取り除き、腰の袋に入れていたのである。
庭師であろうが、終わることのないようにも思える程のおびただしい数の花を、ひとつづつ次から次へと摘んでいるのである。
更に進むと、八つ橋が見え「池中亭」の玄関に出た。
紫陽花も咲き始めている。勾玉池への道を示す立て札があった。
紫陽花に囲まれた道を行くと、またまた青紫に染まった池が見える。
勾玉池は複雑な濃淡を見せるように混植されている。
飽きることない色の彩どりを堪能させてもらった。
池の畔で水彩画を描いているご婦人連れと挨拶を交わす。
花菖蒲の京都随一の名所は梅宮大社だと確信した
まずは花菖蒲である。
杜若とバトンタッチをするかのように咲きはじめる。記憶では、黄菖蒲が先陣を切って開花するように思う。
さて、花菖蒲を追っかけたいが、京都ではどこがいいだろうか。
東なら岡崎の平安神宮神苑を見ないわけにはいかない。
普段なら拝観料のいる平安神宮神苑も、6月初旬には無料で入れる日が一日用意されている。
もっとも、この日は花菖蒲を観賞する人の風情を観ることになる。
しかし、是非一度は神苑に足を運ばれるのが良い。
円山公園、無隣庵を始め幾多の名園を残し、「植治(ウエジ)」と呼ばれた七代目小川治兵衛作庭の平安神宮神苑は、明治時代の代表的な日本庭園として広く内外に知られている。
その庭園は、社殿を取り囲むように東神苑・中神苑・西神苑・南神苑の四つの庭からなり、四季折々に風光明媚な趣を見せる池泉回遊式庭園で、約一万坪に及ぶ国の名勝である。
広大な神苑には、本殿向かって左手の南神苑入口から入る。
入り組んだ細い道筋(野筋)と幾重にも流れ込んでいる小川(遣水)の間を歩き、翔鸞池(しょうらんいけ)を経て西神苑へと入る。
初夏に花を見せる珍しい萩をみた。
左手に茶室「澄心亭(ちょうしんてい)」を見て進むと、パッと明るく白虎池が広がる。
蒼林に囲まれた白虎池の周囲を歩けるよう左右に、北回りと南回りの道が分かれてある。
池縁には青紫の帯を取り巻いたような、「花菖蒲」の群生を目にする。思わず声が漏れる。
花を追うように北周りに歩き、近くに遠くにと目を遣る。
閑静な池泉の風情に安らかな心地を覚えた。
暫くすると、白虎池に木製の八つ橋が架かっている。
橋を歩くと、水面に彩りを添えている睡蓮と黄色の花の河骨(コウホネ)が手に取れるところに見えている。
誰もが記念写真を撮ろうとして立ち止まっていた。
池の南回りの道には木陰ができている。
着物姿に日傘を差した女性が花菖蒲を眺めていた。
白虎池には、伊勢系・肥後系・江戸系を中心にした日本古来の品種ばかり200種、2,000株が咲き競うと聞く。
じっくりと見比べてみるが、少しの区別さえもつけられないでいる。
池を一週半歩いた後、図鑑を持ってもう一度訪れようと思った。
時間にゆとりがあれば、中神苑、東神苑をゆっくりと観賞されると良い。
紫一色だった杜若が傷みだし、あるいは花を落としていることもある中神苑蒼龍池には、池を渡るように珊瑚島まで、臥龍橋(がりゅうきょう)と呼ばれる飛び石が配置されている。
到るところに白、紅、桃とさつきが花を咲かせ、睡蓮が水面に広がり、秋口まで花を咲かせている。
池縁の茶店で一服するのも悪くない。
そして、出口に向かうべく東神苑に進むと、栖鳳池に建つ尚美館や、東山連山の一つ華頂山を背後にした釣殿の泰平閣が悠然とした佇まいを見せている。
その雄大で圧倒的な眺めに思わず溜息を漏らされるはずである。
西なら、梅宮大社神苑だ。
野趣溢れる神苑は東神苑、北神苑、西神苑と三ケ所ある。
花菖蒲が咲き競っているのは東神苑咲耶池(さくやいけ)と北神苑勾玉池(まがたまいけ)である。
池泉回遊式の散策路で連なり、紫陽花と花菖蒲が饗宴していて、六月中旬頃は両方を楽しめる。
青梅もみられ、睡蓮も咲いている。入梅したからといって塞がってはいられないのである。
その広大な庭園は拝観料以上の満足を得させてくれるところだと思っている。
鳥居を潜り駒札もほどほどに、酒樽が積み上げられた楼門(随身門)を経て本殿へと向かう。鉢植えされた見事な花菖蒲を横目に手を合わせ、逸る思いで神苑入口となる東門を目指した。
苑池に入る東門の風情は実に奥ゆかしい佇まいを見せている。
門を潜ると石橋で、その左右の門塀に沿って、濃い紫で艶やかな花菖蒲が群生している。
松の木と石灯籠に囲われ、お城の濠の風情さえ感じさせ、古来日本の武家社会の象徴ともいえる光景である。
前方は咲耶池で視界が広がる。
東神苑の左右、中央、視点をどこに定めれば良いのだろうか。あちこちに白や紫、青紫、一部に黄色も見え、池一面に彩りを見せている。
左前方の島に、田舎の里の風景を彷彿とさせる茅葺の建物が見える。「芦のまろ屋」とあだ名される茶席「池中亭」であった。
「 ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく」
百人一首にある、平安時代の梅津の里の風景を大納言源経信が詠んだもので、その歌の古里を今に残すものとしてこさえられているという。
順路に沿って、池周りを東へと歩いた。
角度が変わるごとに、どんどんと景色が変わってゆく。順路にはアヤメや杜若も植栽されている。
島に向かって石橋がかかっていた。石橋を渡り始め立ち止まる。
西を眺めると、東門と門塀越しに松尾山から嵐山の山並みが悠然としていた。
石橋に立ち、花菖蒲たちに囲まれ、そんな景色を一人占めにした。
こんな贅はそう易々と手に入るものではないと思う。
北を向くと 微動だにできず、その景色に絶句した。
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こんもりとした林の木々の下に色とりどりに花菖蒲が咲き、靄がかかったように霞んでいる。狭まった奥の方にも花が咲いているようである。
石橋を渡りきり、奥へ奥へと歩みを進めた。
木々の間からも花々の断片が見える。更に足早になる。
開けたところにかかる石橋に腰を下ろし、群生する花菖蒲を眺めた。
梅雨の花の宴のようである。
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男は丁寧に一輪一輪終わった一番花を取り除き、腰の袋に入れていたのである。
庭師であろうが、終わることのないようにも思える程のおびただしい数の花を、ひとつづつ次から次へと摘んでいるのである。
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紫陽花に囲まれた道を行くと、またまた青紫に染まった池が見える。
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飽きることない色の彩どりを堪能させてもらった。
池の畔で水彩画を描いているご婦人連れと挨拶を交わす。
花菖蒲の京都随一の名所は梅宮大社だと確信した
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