水無月に入れば、紫陽花はどこにも咲いている花である。
京都の紫陽花は、毎年6月から7月にかけて咲いていて、大方の場所で6月中旬頃に見頃を迎える。
昔は「バケバナ」「ユウレイバナ」として嫌われたこともあったそうだが、日本原産のガクアジサイが改良されセイヨウアジサイとして逆輸入されてからは、ジメジメした蒸し暑い季節を乗り切る花として滅法人気を博すようになったようだ。
幕末、日本に滞在していたオランダ人医師シーボルトに感謝しなくてはならない。
シーボルトは紫陽花に深い興味を持ち、特に改良した花の大きな品種に、日本人妻であった「お滝さん(遊女名其扇/そのぎ)」の名前をとって「オタクサ(Otaksa)」と命名し、ヨーロッパで発表したとのエピソードは、よく語られる。
蕾の頃は緑色、そして次第に白っぽくなり、咲いたときには青色や薄紅色となり、だんだんと花色を濃くしていく。そんな七変化する花から、気まぐれな美人をイメージしたのか、花言葉は、「移り気」「心変わり」となっている。
移り気でも良い、心身をリラックスさせる力のある色とりどりの美人に包まれてみたいと、京の紫陽花の名所を訪ね歩くことにした。
まずは、数ある名所の中から、「あじさいの宮」と冠されている、伏見の藤森神社である。
6月の一ヶ月間は「紫陽花祭」が催され、紫陽花苑の公開が行われている。
境内には二ヵ所の回遊式の紫陽花苑があり、延べ1,500坪の苑内には3,500株の紫陽花が咲き誇り、第一紫陽花苑は拝殿手前に、第二紫陽花苑は本殿の奥にある。
南門から入り拝殿を正面に参道を進むと、左前方に色とりどりの紫陽花が見え出す。
境内の森にはベビーカーを押す親子の散歩姿やキャッチボールに遊ぶ子供の姿があり、静かな住宅街にある氏神さんらしい空気が流れていた。
いわゆる観光社寺のそれとは明らかに違う。馴染みやすい気分のまま紫陽花苑に入ろうとすると、あじさいの宮の入苑料はたった三百円と良心的なのである。
紫陽花苑の順路に沿って歩き出した。
見上げるような紫陽花がずらりと立ち並び、草花と云うより樹木のように生い茂っている。背丈ほども伸びる紫陽花を潜り進み、小道に押し寄せてくるような紫陽花の中を花々に埋もれながら歩くのだ。
これはまるで紫陽花の森である。
迷路のように張り巡らされた小道を行くのは少年時代の探検のようでもある。
様々な色や形で萼(がく)を広げた紫陽花を間近に見ながら進むと、腰を下ろし休憩のできる東屋があった。
一息入れながら、高台から紫陽花苑を眺められる様になっている。
紫陽花の花は真ん中にある小さな粒が花の部分で、花びらのように開いているところが、実は萼なのである。
つまり、セイヨウアジサイは萼ばかりで球状に開いているのを観賞している。
ガクアジサイは開いた数個の周りの萼と、微妙な色合いを見せる真ん中の粒状の花を楽しみ、開いた萼が星の形をしていれば、ホシアジサイなどと称して楽しんでいるのである。
じっくり眺めていると、一重の萼や八重の萼、白色・薄紅色・水色・変色している萼など多種におよび飽きない。勿論、この苑にある40種といわれる紫陽花の区別は、小生には難題過ぎる。
眺めていて気をつけないといけないのは蚊である。この苑内には蚊が多いので、虫よけスプレーなどを持参した方が利口である。
第一紫陽花苑を出て、拝殿、本殿を左に見て、旗塚、神鎧像の間を行くと、第二紫陽花苑である。
第二紫陽花苑は、境内の祠を借景として紫陽花が楽しめるよう小道が続く。
紫陽花に付きものといえるカタツムリが、葉の上を這う姿に出逢うのもここである。
おおよそ誰もが近寄り、シャッターを切っている。
同じ藤森神社に出掛けられるなら土日が良い。あるいは6月15日なら、なお良い。
6月の毎土日には、拝殿にて琵琶演奏、藤森太鼓、山城舞楽、蹴鞠、雅楽・舞楽、琴演奏などが交互に披露されている。
また、15日午前10時には紫陽花祭の神事と献花・献茶・神楽奉納が行われ、篤い信仰と由緒正しき歴史を伺い知れるのである。
梅雨の時期に、紫陽花祭の一ヶ月間を如何にも丁寧に厳かに行っているところは他にない。
流石に、「あじさいの宮」を冠している神社であると思う。
藤森神社のその由緒を境内の駒札に頼ると、
「平安遷都以前に建立された古社で、素戔嗚命(すさのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、日本武尊(やまとたけるのみこと)など12柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神(うぶすながみ)として崇敬されている。
「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年5月5日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事(かけうましんじ)」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王(とねりしんのう)を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
本殿は、正徳2年(1712)に中御門天皇(なかみかどてんのう)より賜った宮中内侍所(ないしどころ)(賢所(かしこどころ))の建物といわれる。また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の1つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、2つとない良い水として名付けられたという名水「不二(ふじ)の水」は有名である。
6月の紫陽花(あじさい)が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。」
紫陽花苑を訪れるだけに留まらず、境内7500坪にある歴史に触れ、宝物館も拝観したくなるというものだ。
年に二度、藤森祭と紫陽花祭には参詣することにしたい。
これで勝ち組の仲間入りである。
藤森神社
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
京都の紫陽花は、毎年6月から7月にかけて咲いていて、大方の場所で6月中旬頃に見頃を迎える。
昔は「バケバナ」「ユウレイバナ」として嫌われたこともあったそうだが、日本原産のガクアジサイが改良されセイヨウアジサイとして逆輸入されてからは、ジメジメした蒸し暑い季節を乗り切る花として滅法人気を博すようになったようだ。
幕末、日本に滞在していたオランダ人医師シーボルトに感謝しなくてはならない。
シーボルトは紫陽花に深い興味を持ち、特に改良した花の大きな品種に、日本人妻であった「お滝さん(遊女名其扇/そのぎ)」の名前をとって「オタクサ(Otaksa)」と命名し、ヨーロッパで発表したとのエピソードは、よく語られる。
蕾の頃は緑色、そして次第に白っぽくなり、咲いたときには青色や薄紅色となり、だんだんと花色を濃くしていく。そんな七変化する花から、気まぐれな美人をイメージしたのか、花言葉は、「移り気」「心変わり」となっている。
移り気でも良い、心身をリラックスさせる力のある色とりどりの美人に包まれてみたいと、京の紫陽花の名所を訪ね歩くことにした。
まずは、数ある名所の中から、「あじさいの宮」と冠されている、伏見の藤森神社である。
6月の一ヶ月間は「紫陽花祭」が催され、紫陽花苑の公開が行われている。
境内には二ヵ所の回遊式の紫陽花苑があり、延べ1,500坪の苑内には3,500株の紫陽花が咲き誇り、第一紫陽花苑は拝殿手前に、第二紫陽花苑は本殿の奥にある。
南門から入り拝殿を正面に参道を進むと、左前方に色とりどりの紫陽花が見え出す。
境内の森にはベビーカーを押す親子の散歩姿やキャッチボールに遊ぶ子供の姿があり、静かな住宅街にある氏神さんらしい空気が流れていた。
いわゆる観光社寺のそれとは明らかに違う。馴染みやすい気分のまま紫陽花苑に入ろうとすると、あじさいの宮の入苑料はたった三百円と良心的なのである。
紫陽花苑の順路に沿って歩き出した。
見上げるような紫陽花がずらりと立ち並び、草花と云うより樹木のように生い茂っている。背丈ほども伸びる紫陽花を潜り進み、小道に押し寄せてくるような紫陽花の中を花々に埋もれながら歩くのだ。
これはまるで紫陽花の森である。
迷路のように張り巡らされた小道を行くのは少年時代の探検のようでもある。
様々な色や形で萼(がく)を広げた紫陽花を間近に見ながら進むと、腰を下ろし休憩のできる東屋があった。
一息入れながら、高台から紫陽花苑を眺められる様になっている。
紫陽花の花は真ん中にある小さな粒が花の部分で、花びらのように開いているところが、実は萼なのである。
つまり、セイヨウアジサイは萼ばかりで球状に開いているのを観賞している。
ガクアジサイは開いた数個の周りの萼と、微妙な色合いを見せる真ん中の粒状の花を楽しみ、開いた萼が星の形をしていれば、ホシアジサイなどと称して楽しんでいるのである。
じっくり眺めていると、一重の萼や八重の萼、白色・薄紅色・水色・変色している萼など多種におよび飽きない。勿論、この苑にある40種といわれる紫陽花の区別は、小生には難題過ぎる。
眺めていて気をつけないといけないのは蚊である。この苑内には蚊が多いので、虫よけスプレーなどを持参した方が利口である。
第一紫陽花苑を出て、拝殿、本殿を左に見て、旗塚、神鎧像の間を行くと、第二紫陽花苑である。
第二紫陽花苑は、境内の祠を借景として紫陽花が楽しめるよう小道が続く。
紫陽花に付きものといえるカタツムリが、葉の上を這う姿に出逢うのもここである。
おおよそ誰もが近寄り、シャッターを切っている。
同じ藤森神社に出掛けられるなら土日が良い。あるいは6月15日なら、なお良い。
6月の毎土日には、拝殿にて琵琶演奏、藤森太鼓、山城舞楽、蹴鞠、雅楽・舞楽、琴演奏などが交互に披露されている。
また、15日午前10時には紫陽花祭の神事と献花・献茶・神楽奉納が行われ、篤い信仰と由緒正しき歴史を伺い知れるのである。
梅雨の時期に、紫陽花祭の一ヶ月間を如何にも丁寧に厳かに行っているところは他にない。
流石に、「あじさいの宮」を冠している神社であると思う。
藤森神社のその由緒を境内の駒札に頼ると、
「平安遷都以前に建立された古社で、素戔嗚命(すさのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)、日本武尊(やまとたけるのみこと)など12柱に及ぶ神々を祀り、洛南深草の産土神(うぶすながみ)として崇敬されている。
「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年5月5日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事(かけうましんじ)」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王(とねりしんのう)を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
本殿は、正徳2年(1712)に中御門天皇(なかみかどてんのう)より賜った宮中内侍所(ないしどころ)(賢所(かしこどころ))の建物といわれる。また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の1つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、2つとない良い水として名付けられたという名水「不二(ふじ)の水」は有名である。
6月の紫陽花(あじさい)が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。」
紫陽花苑を訪れるだけに留まらず、境内7500坪にある歴史に触れ、宝物館も拝観したくなるというものだ。
年に二度、藤森祭と紫陽花祭には参詣することにしたい。
これで勝ち組の仲間入りである。
藤森神社
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/index.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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