氏子にあたる鉾町では、山鉾が建ち屏風祭の最中で、宵々山と呼んでいる日である。昨夏のその日は、折からの豪雨で鴨川の水量は増し、激流となり渦をまいていた。市内の河川が決壊しないかと心配しながらの参詣であった。
きっと、鴨川が暴れ川と呼ばれた時代はこんなのだったのかと、この水が疫病を齎していたのかとも、頭を過ぎったのを覚えている。
祇園商店街に差し掛かると歩行者天国に溢れる人出に活気づき、宵宮の晩らしい風情だった。石段下から西楼門を見上げると、 神事の掛札が「7月15日 午後八時 宵宮祭」と告げていた。
門を潜ると露天商の活気が、その不安を幾分大らかにしてくれた。
境内は既に舞殿を取り巻く様に人垣が出来ていた。過日の神輿洗の夜に飾られた神輿三座がある。
その宵は、本殿より「御神霊遷」が行われると聞いていた。
提灯の明かりが眩しい位であるが、この灯りが一斉に消灯され、「御神霊遷」は行われるのである。
白い布で囲われた宮司が、御神霊を神輿へと運ぶ。神官といえど宮司以外は、この御神霊を目にすることはないと聞いている。
ビデオに映したいものだが、これは不義とし、神事中の撮影は一切禁じられている。その旨がマイク放送されると、一斉に消灯された
漆黒の闇の中、境内に聞こえるのは、 和琴の低く鈍い弦の音が「ブン ボロン」と、神職の警蹕(けいひつ)が「ヲーーーウッ」と、繰り返し聞こえるだけである。
蝋燭の灯火がぼんやりと白布をうかがわせ、神職の動く影がなんとか判じられる。その気配が舞殿の神輿の前に進み、謎めいた揺らめきがあった。
蝋燭の灯火に先導された宮司が舞殿から本殿へと辿り着くや、境内は一斉に点灯された
こうして、御神霊遷が滞りなく執り行われた祇園祭の三座の神輿に、改めて神事関係者の参拝が行われている。その参詣が済むなり、我先にと、一般参詣者が拝殿の前へと流れ込んだ。
祗園の神様牛頭天王が、間近の神輿の中に居られるからには、いち早く祈りを捧げ、願いを叶えて貰おうというのだろうか。
暗転となって、左から右へと闇に浮かぶ白布が揺らめいた空間を、あらためてしげしげと眺めた。
「ヲーーーウッ」の声とともに、神の通られた道である。
けいひつ(警蹕)とは・・・先払の声のことで、天皇が公式の席で,着座,起座の際,行幸時に殿舎等の出入りの際,天皇に食膳を供える際などに,まわりを戒め先払をする側近者の発する声であるという。古代中国皇帝が外出時に,道行く人を止め,また道を清めさせた風習が日本に移入されたもののことである。
その響きは、間違いなく厳かな空気を創りだしていた。
然しながら、神職の執行する厳粛な祭典を除けば、神様は賑わい好きのようである。
出御され町においでになるまでも、おいでになっておかえりになるまで、町をあげての歓待の奉納行事が行われる
御神霊遷の日の伝統芸能奉納や生間流による式庖丁の奉納に始まり、翌16日の夕刻には、歩行者天国とした祗園石段下に「宵宮神賑奉納」の仮説舞台をこさえ、八坂神社にゆかりのある団体による鷺踊や京舞など様々な芸能の奉納が繰り広げられる。更に境内では、石見神楽による素戔嗚尊の大蛇退治の舞で歓待奉納の山場を迎える。
17日の午前中の山鉾巡行を終え鉾町に山鉾が戻ると、手早く山鉾は解体され格納される。これで祇園祭が終わったわけではない。これからが始まりなのである。
同日午後4時、祇園祭神幸祭の神事が八坂神社で執り行われ、寺町四条お旅所までの神宝列・神輿渡御の出発となるのだ。
山鉾巡行を終え、町に祇園祭の祭神をおいでいただく準備が整ったところなのである。
祇園祭は終わったわけではない。これからこそが始まりである。
祇園石段下が人垣に包まれている頃、境内では神幸祭と渡御の準備が行われ、
舞殿の周りを神輿は一回りし南楼門から出御、中御座・東御座は元祇園を折り返し東大路に出て、右、北に進み西楼門前(祇園石段下)に三基は出揃う。
石段下には中御座、東御座、東若御座、西御座が入り、「差し回し」が行われる。
祭りコミュニティの結束は固い。どの男達の顔も誇らしげである。
観光イベントにはない、熱が伝わってくるではないか。
気力のない現代の特効薬がここにはある。
そう感じたのは小生だけではあるまい。
神輿渡御出発式に登壇した市長・知事の挨拶が行われた。市長らは何を感じ取ったであろうか。
そして、粛々とお祓いが行われた。
左・右・左(さ・う・さ)の作法に、神輿担ぎ達の頭は自然に下った。
いざ 出御!
中御座・西御座は四条通を東へ、
東御座・東若御座は東大路を北へ進み、祇園町を通り、各々氏子町の所定コースを練り歩く。
四条寺町のお旅所前に着くと、町にお迎えした興奮は鳴り止まず、神輿は練りに練られる。三座が駐輦(ちゅうれん)され終える頃には、日付が変わる。
17日は、素戔嗚尊一行が洛中においでになる七日間の、疫病退散の始まりの初日である。
祇園祭 神幸祭神輿渡御 いかはりませんか。
きっと、鴨川が暴れ川と呼ばれた時代はこんなのだったのかと、この水が疫病を齎していたのかとも、頭を過ぎったのを覚えている。
祇園商店街に差し掛かると歩行者天国に溢れる人出に活気づき、宵宮の晩らしい風情だった。石段下から西楼門を見上げると、 神事の掛札が「7月15日 午後八時 宵宮祭」と告げていた。
門を潜ると露天商の活気が、その不安を幾分大らかにしてくれた。
境内は既に舞殿を取り巻く様に人垣が出来ていた。過日の神輿洗の夜に飾られた神輿三座がある。
その宵は、本殿より「御神霊遷」が行われると聞いていた。
提灯の明かりが眩しい位であるが、この灯りが一斉に消灯され、「御神霊遷」は行われるのである。
白い布で囲われた宮司が、御神霊を神輿へと運ぶ。神官といえど宮司以外は、この御神霊を目にすることはないと聞いている。
ビデオに映したいものだが、これは不義とし、神事中の撮影は一切禁じられている。その旨がマイク放送されると、一斉に消灯された
漆黒の闇の中、境内に聞こえるのは、 和琴の低く鈍い弦の音が「ブン ボロン」と、神職の警蹕(けいひつ)が「ヲーーーウッ」と、繰り返し聞こえるだけである。
蝋燭の灯火がぼんやりと白布をうかがわせ、神職の動く影がなんとか判じられる。その気配が舞殿の神輿の前に進み、謎めいた揺らめきがあった。
蝋燭の灯火に先導された宮司が舞殿から本殿へと辿り着くや、境内は一斉に点灯された
こうして、御神霊遷が滞りなく執り行われた祇園祭の三座の神輿に、改めて神事関係者の参拝が行われている。その参詣が済むなり、我先にと、一般参詣者が拝殿の前へと流れ込んだ。
祗園の神様牛頭天王が、間近の神輿の中に居られるからには、いち早く祈りを捧げ、願いを叶えて貰おうというのだろうか。
暗転となって、左から右へと闇に浮かぶ白布が揺らめいた空間を、あらためてしげしげと眺めた。
「ヲーーーウッ」の声とともに、神の通られた道である。
けいひつ(警蹕)とは・・・先払の声のことで、天皇が公式の席で,着座,起座の際,行幸時に殿舎等の出入りの際,天皇に食膳を供える際などに,まわりを戒め先払をする側近者の発する声であるという。古代中国皇帝が外出時に,道行く人を止め,また道を清めさせた風習が日本に移入されたもののことである。
その響きは、間違いなく厳かな空気を創りだしていた。
然しながら、神職の執行する厳粛な祭典を除けば、神様は賑わい好きのようである。
出御され町においでになるまでも、おいでになっておかえりになるまで、町をあげての歓待の奉納行事が行われる
御神霊遷の日の伝統芸能奉納や生間流による式庖丁の奉納に始まり、翌16日の夕刻には、歩行者天国とした祗園石段下に「宵宮神賑奉納」の仮説舞台をこさえ、八坂神社にゆかりのある団体による鷺踊や京舞など様々な芸能の奉納が繰り広げられる。更に境内では、石見神楽による素戔嗚尊の大蛇退治の舞で歓待奉納の山場を迎える。
17日の午前中の山鉾巡行を終え鉾町に山鉾が戻ると、手早く山鉾は解体され格納される。これで祇園祭が終わったわけではない。これからが始まりなのである。
同日午後4時、祇園祭神幸祭の神事が八坂神社で執り行われ、寺町四条お旅所までの神宝列・神輿渡御の出発となるのだ。
山鉾巡行を終え、町に祇園祭の祭神をおいでいただく準備が整ったところなのである。
祇園祭は終わったわけではない。これからこそが始まりである。
祇園石段下が人垣に包まれている頃、境内では神幸祭と渡御の準備が行われ、
舞殿の周りを神輿は一回りし南楼門から出御、中御座・東御座は元祇園を折り返し東大路に出て、右、北に進み西楼門前(祇園石段下)に三基は出揃う。
石段下には中御座、東御座、東若御座、西御座が入り、「差し回し」が行われる。
祭りコミュニティの結束は固い。どの男達の顔も誇らしげである。
観光イベントにはない、熱が伝わってくるではないか。
気力のない現代の特効薬がここにはある。
そう感じたのは小生だけではあるまい。
神輿渡御出発式に登壇した市長・知事の挨拶が行われた。市長らは何を感じ取ったであろうか。
そして、粛々とお祓いが行われた。
左・右・左(さ・う・さ)の作法に、神輿担ぎ達の頭は自然に下った。
いざ 出御!
中御座・西御座は四条通を東へ、
東御座・東若御座は東大路を北へ進み、祇園町を通り、各々氏子町の所定コースを練り歩く。
四条寺町のお旅所前に着くと、町にお迎えした興奮は鳴り止まず、神輿は練りに練られる。三座が駐輦(ちゅうれん)され終える頃には、日付が変わる。
17日は、素戔嗚尊一行が洛中においでになる七日間の、疫病退散の始まりの初日である。
祇園祭 神幸祭神輿渡御 いかはりませんか。
5512-130711-
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