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御用納めの28日は師走の縁日の最後となる終い不動に出向いた。
「謹んで不動明王に告げん・・・」と云々、僧侶が唱える。護摩木の焚かれる炎を見つめながら一年を振り返り、今あることに感謝を申し上げてきた。
狸谷山不動院を下山したその足で、お正月の買出しに出かけることにした。
四条通を行き交う人の誰を見ても足早に感じ、狸谷山のおおらかな時間軸とはまるで別世界である。
その四条通を一筋北へ上ると、寺町通から高倉通の間が錦小路商店街である。
誰もが略して「錦(にしき)」と呼ぶ。「ちょっと 錦にいってくるわ」という風に使う。
それを聞くと、「おはようお帰り」と返す。
特段叱っているわけでもなく、命じられているわけでもない。そういう挨拶なのである。従って、言葉どおりに気ぜわしく買い物を済ませて帰る必要もない。
また、正月準備の買出しであるから、早く帰れるはずもない。
錦の雑踏にもまれながら、煌々と照らし出された生鮮品を覗き込むのは年の瀬の楽しみの一つなのかもしれない。
朱 黄 緑のアーケードに覆われた石畳の商店街は、隙間なく軒を連ねた狭い小路の市場である。ここには心温まる下町風情がある。
高倉通にある「錦」と大書された垂れ幕の前に立ち、手に握り締めたメモを見る。
威勢の良い呼び込みの声が響いている。心が弾む。いざ出陣の面持ちとなる。
押すな押すなと歩けないくらいの賑わいは、「いらっしやい !」の飛び交う声に更に増幅され、買わないではいられない狂喜の沙汰に陥ってしまう。そして年の瀬だと感じる。
メモを見直す。
書き出しは、柳箸・おこぶ(だし用・鏡餅用)・丸餅・花かつお、とある。
どうやらお雑煮用である。白味噌は本田味噌本店の大吟醸西京白味噌を予約して取り置きしてもらっているからメモにはないのだと分かった。
錦に入って早々に焼牡蠣とサザエのつぼ焼きのいい香りに誘われる。「大安」のオイスターバーである。
今日は立ち寄るわけには行かないと諦め、東二軒隣の手作り箸工房「遊膳」で、まず柳箸を探した。ところが塗り箸ばかりで柳箸は置いてなかった。いくら高価な塗り箸とて格は柳箸のはるか下である。
柳箸は両端が削られ細くなっている箸である。正月に箸が折れてしまっては縁起が悪いと、文字通り折れにくい柳の木で作られ、その丈夫さと白い木肌の清浄さが生かされている。正月三が日だけ使うのが習わしの箸である。だから、毎年新しいものを使う。
両細になっているのは、お正月に迎える歳神様とお雑煮やおせち料理を共にいただくと考えたもので、片方が歳神様、片方は自分が使うためのものであった。
元来、取り箸として使うために両方を削ったものではない。重箱には、取り分け用に「組重」と書かれた箸紙が別についていることからもわかる。
お正月の食事は、あらたまったハレの場であり、神聖な儀式だったのである。
堺町通の南西角は鍋焼きうどんの美味い「冨美屋」である。
店先に持ち帰りのうどん蕎麦が並んでいる。「にしん蕎麦」が目に留まった。にしん姿煮・青ねぎ・生そば玉・おだしがセットされ、冷蔵で4日間は大丈夫とのことだったので買うことにした。京都の年越し蕎麦はにしん蕎麦が定番で、出あいものとしてにしんの旨みが一番良い食し方である。
堺町通を過ぎ柳馬場通手前北側にあるのが老舗のおこぶ屋さん、「京こんぶ 千波(ちなみ) 」だ。
おぼろこぶや刻みこぶ、とろろこぶ、細工昆布などか店先に並べられている。つい、摘まんで試食してしまいたくなる。奥には、利尻昆布、尾札部昆布、羅臼昆布など出し昆布だけでも何種類もあって、どれにして良いやら・・・。
御幸町通東の包丁の「有次」の筋向いにも京昆布の「若狭屋高橋」があるが、随分と離れているので往復するわけにもいかずと、迷っているのを見透かされたのか、声を掛けられた。
こんぶ玉も欲しかったので、千波さんで出し用の羅臼昆布を買うことに決めた。
さて、いよいよお餅である。柳馬場通を東へ富小路との真ん中あたりの南側、「錦 もちつき屋」と決めていた。
普段から、おやつ代わりにつきたての餅を店内で食べているからである。
焼餅は、にぎり寿司のような姿で、焼かれた餅に白味噌・磯巻き・亀山・甘辛・あべ川やチーズ・ピーナッツバター・明太子・梅かつお・大根がのせられていて、一味づつが楽しめる。
また、つきたて大根というのは、杵つきの餅におろし大根を絡め、ポン酢かだし醤油をかけて食べるのである。どれも納得のゆく美味さなのである。
更に、お雑煮もメニューにある。白味噌仕立てに丸餅を入れ、小芋・大根・にんじんに削り鰹をいれ、三つ葉が添えられている。大吟醸白味噌仕立てには敵わないが、まずまずといったところである。
正月に出前をしてくれると助かるのだが、それはメニューにない。だから、丸餅を買いにくるのである。石臼と杵で搗かれたきめ細かく伸びのある食感が忘れられないのである。
「もちつき屋」を出ると、香ばしい焼き魚のにおいがしてきた。
筋向いの焼き魚専門店「魚力」である。頭と尾ひれが反りあがった祝鯛が所狭しと並べられている。見るからに景気の良いめでたさを感じる。
メモの続きを見てみたが、にらみ鯛は書いていなかった。
その代わりでもないのだろうが、ロース肉のブロックとあった。このブロックはロースとビーフ用で、小生宅のサイドメニューの定番である。むら瀬精肉店には大きなブロックがいつもあるので立ち寄りカットしてもらった。
買い物袋がずっしりと重くなる。かしら芋など野菜を数点買いながら、寺町通に辿り着いた。新京極にある錦天満宮にお参りしてから帰ることにした。
あったッ! 錦天満宮に柳箸があった。正真正銘の柳である。商店街にあったのものの檜だったので買わずにいた。最後の最後に立ち寄った天満宮で授かれるとは・・・。
有難いことである。きっと来年はいいことがあるだろうと思った。
丑年もあと2日を残すばかりである。
京都の台所錦市場
http://www.kyoto-nishiki.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
「謹んで不動明王に告げん・・・」と云々、僧侶が唱える。護摩木の焚かれる炎を見つめながら一年を振り返り、今あることに感謝を申し上げてきた。
狸谷山不動院を下山したその足で、お正月の買出しに出かけることにした。
四条通を行き交う人の誰を見ても足早に感じ、狸谷山のおおらかな時間軸とはまるで別世界である。
その四条通を一筋北へ上ると、寺町通から高倉通の間が錦小路商店街である。
誰もが略して「錦(にしき)」と呼ぶ。「ちょっと 錦にいってくるわ」という風に使う。
それを聞くと、「おはようお帰り」と返す。
特段叱っているわけでもなく、命じられているわけでもない。そういう挨拶なのである。従って、言葉どおりに気ぜわしく買い物を済ませて帰る必要もない。
また、正月準備の買出しであるから、早く帰れるはずもない。
錦の雑踏にもまれながら、煌々と照らし出された生鮮品を覗き込むのは年の瀬の楽しみの一つなのかもしれない。
朱 黄 緑のアーケードに覆われた石畳の商店街は、隙間なく軒を連ねた狭い小路の市場である。ここには心温まる下町風情がある。
高倉通にある「錦」と大書された垂れ幕の前に立ち、手に握り締めたメモを見る。
威勢の良い呼び込みの声が響いている。心が弾む。いざ出陣の面持ちとなる。
押すな押すなと歩けないくらいの賑わいは、「いらっしやい !」の飛び交う声に更に増幅され、買わないではいられない狂喜の沙汰に陥ってしまう。そして年の瀬だと感じる。
メモを見直す。
書き出しは、柳箸・おこぶ(だし用・鏡餅用)・丸餅・花かつお、とある。
どうやらお雑煮用である。白味噌は本田味噌本店の大吟醸西京白味噌を予約して取り置きしてもらっているからメモにはないのだと分かった。
錦に入って早々に焼牡蠣とサザエのつぼ焼きのいい香りに誘われる。「大安」のオイスターバーである。
今日は立ち寄るわけには行かないと諦め、東二軒隣の手作り箸工房「遊膳」で、まず柳箸を探した。ところが塗り箸ばかりで柳箸は置いてなかった。いくら高価な塗り箸とて格は柳箸のはるか下である。
柳箸は両端が削られ細くなっている箸である。正月に箸が折れてしまっては縁起が悪いと、文字通り折れにくい柳の木で作られ、その丈夫さと白い木肌の清浄さが生かされている。正月三が日だけ使うのが習わしの箸である。だから、毎年新しいものを使う。
両細になっているのは、お正月に迎える歳神様とお雑煮やおせち料理を共にいただくと考えたもので、片方が歳神様、片方は自分が使うためのものであった。
元来、取り箸として使うために両方を削ったものではない。重箱には、取り分け用に「組重」と書かれた箸紙が別についていることからもわかる。
お正月の食事は、あらたまったハレの場であり、神聖な儀式だったのである。
堺町通の南西角は鍋焼きうどんの美味い「冨美屋」である。
店先に持ち帰りのうどん蕎麦が並んでいる。「にしん蕎麦」が目に留まった。にしん姿煮・青ねぎ・生そば玉・おだしがセットされ、冷蔵で4日間は大丈夫とのことだったので買うことにした。京都の年越し蕎麦はにしん蕎麦が定番で、出あいものとしてにしんの旨みが一番良い食し方である。
堺町通を過ぎ柳馬場通手前北側にあるのが老舗のおこぶ屋さん、「京こんぶ 千波(ちなみ) 」だ。
おぼろこぶや刻みこぶ、とろろこぶ、細工昆布などか店先に並べられている。つい、摘まんで試食してしまいたくなる。奥には、利尻昆布、尾札部昆布、羅臼昆布など出し昆布だけでも何種類もあって、どれにして良いやら・・・。
御幸町通東の包丁の「有次」の筋向いにも京昆布の「若狭屋高橋」があるが、随分と離れているので往復するわけにもいかずと、迷っているのを見透かされたのか、声を掛けられた。
こんぶ玉も欲しかったので、千波さんで出し用の羅臼昆布を買うことに決めた。
さて、いよいよお餅である。柳馬場通を東へ富小路との真ん中あたりの南側、「錦 もちつき屋」と決めていた。
普段から、おやつ代わりにつきたての餅を店内で食べているからである。
焼餅は、にぎり寿司のような姿で、焼かれた餅に白味噌・磯巻き・亀山・甘辛・あべ川やチーズ・ピーナッツバター・明太子・梅かつお・大根がのせられていて、一味づつが楽しめる。
また、つきたて大根というのは、杵つきの餅におろし大根を絡め、ポン酢かだし醤油をかけて食べるのである。どれも納得のゆく美味さなのである。
更に、お雑煮もメニューにある。白味噌仕立てに丸餅を入れ、小芋・大根・にんじんに削り鰹をいれ、三つ葉が添えられている。大吟醸白味噌仕立てには敵わないが、まずまずといったところである。
正月に出前をしてくれると助かるのだが、それはメニューにない。だから、丸餅を買いにくるのである。石臼と杵で搗かれたきめ細かく伸びのある食感が忘れられないのである。
「もちつき屋」を出ると、香ばしい焼き魚のにおいがしてきた。
筋向いの焼き魚専門店「魚力」である。頭と尾ひれが反りあがった祝鯛が所狭しと並べられている。見るからに景気の良いめでたさを感じる。
メモの続きを見てみたが、にらみ鯛は書いていなかった。
その代わりでもないのだろうが、ロース肉のブロックとあった。このブロックはロースとビーフ用で、小生宅のサイドメニューの定番である。むら瀬精肉店には大きなブロックがいつもあるので立ち寄りカットしてもらった。
買い物袋がずっしりと重くなる。かしら芋など野菜を数点買いながら、寺町通に辿り着いた。新京極にある錦天満宮にお参りしてから帰ることにした。
あったッ! 錦天満宮に柳箸があった。正真正銘の柳である。商店街にあったのものの檜だったので買わずにいた。最後の最後に立ち寄った天満宮で授かれるとは・・・。
有難いことである。きっと来年はいいことがあるだろうと思った。
丑年もあと2日を残すばかりである。
京都の台所錦市場
http://www.kyoto-nishiki.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5265-091229-12月
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