立秋とは秋に入る日のことを指すが、暦の上ではこの日が暑さの頂点となる日で、翌日から徐々に暑さが和らぎ、地蔵盆頃を指す処暑までの時候の挨拶文には、「残暑お見舞い申し上げます」と、書くように習った。
毎年8月7日頃がその立秋であるが、地球温暖化の所為か、亜熱帯気候化している日々を送る中、これらの常識も非常識呼ばわりされても可笑しくないようで、自然の様子を見ながら定型句も使わなければならないようである。
この頃になると、変わらずやってくるのは「お精霊さん迎え」だが、迎え火や迎え鐘でご先祖様をお呼びし、お盆を一緒に過ごす盂蘭盆会の習わしである。
迎え鐘を撞きに「六道まいり」をする人は多く、毎年、六道珍皇寺の迎え鐘を撞く人の長蛇の列は途絶えない。
その珍皇寺の門前の松原通を西へ下ると、「六道の辻」の石碑が角にある三叉路がある。その三叉路に面して、「幽霊子育飴」と書かれた古ぼけた看板と真っ赤な幟が置かれている。
そこは飴を売っている店である。
飴屋の看板をよく眺めると、「京名物 幽霊子育飴 みなとや幽霊子育飴本舗」と書かれている。去年と同じ看板だ。京名物とあるから年中売られているのだろうが、小生にとっては年に一度の六道まいりの時に立ち寄る飴屋さんである。
麦芽糖で作られた琥珀色の飴に、どうしてこのような妙な名前がついたのか。
「子育飴」だけなら馴染みやすいが、「幽霊」と冠がつくと、勢い興味を持ってしまう。
日本民話「子育て幽霊」や落語「飴買い幽霊」をつい思い浮かべる。この怪談話をあらためて書き残しておきたい。
みなとや幽霊子育飴本舗の菓子袋に入っている由来書には、こう記されている。
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣く声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜なよな飴を買いにくる婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来たらざるなりと。この児八歳にて僧となり修業怠らず、成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八歳にて遷化し給う。
さればこの家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育て飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上にこの家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。 らんすい
つまり、江村氏婦人が土葬された日から、夜ごと近所の飴屋に飴を買いにくる婦人がいて、墓地の土中から赤ん坊の声がするので掘り起こすと、赤ん坊が掘り出され、その後飴を買いにこなくなり、江村氏の妻は土葬されても幽霊になって飴を買い、赤ん坊を育てていた、と云うことになっている。
桂米朝の幽霊飴(米朝ばなし上方落語地図/講談社文庫)では更に具体的に語られている。
六道珍皇寺の門前に一軒の飴屋があり、毎夜六日間続けて表の戸を叩き、一文銭を出して飴を買っていく、この世の者とは思えない青白い女がいた。
七日目の晩も、やはり女は飴を買いにやってきた。
「実は今日はおアシがございませんが、アメをひとつ・・・」
「よろしい」と、主人は銭なしで飴を与えて、そっと女の後をつけた。
飴屋の主人は、文無しでやってくることを予測していたのである。
「あれは、ただもんではない。明日銭持ってきたら人間やけど持ってこなんだら、人間やないで」
「なんでですねん」
「人間、死ぬときには、六道銭というて三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。それを持ってきたんやないかと思う」と。
二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓地へ入っていくと、一つの塔婆の前でかき消すように女の姿が消えた。
そこはお腹に子を宿したまま死んだ女の墓。中で子が生まれ、母親の一念で、飴で子を育てていたのである。
その子は飴屋の主人が引き取り、後に高台寺の坊さんになったと言う。
オチは、
母親の一念で一文銭を持ってアメを買うてきて、子どもを育てていた。
それもそのはず、場所が「コオダイジ(子を大事=高台寺)。
という話である。
言い伝えには、この子は六道珍皇寺の僧侶になったという話もあり、日蓮宗立本寺(上京区中立売七本松下る)にも子育て飴伝説があり、寺伝によると、墓所の壷で生まれたのが日審上人であるという。
市内には、この類の赤子塚伝説は伏見の大黒寺や千本北大路の十二坊など、いくつかあるようだ。
六道の辻で袋を開け幽霊子育飴をなめてみた。黄金糖のように甘かった。
黄金糖よりは自然な滑らかさで素朴な甘さである。
生まれたての赤ん坊が、どうしてこんなに固い飴をなめたのだろうと思い、みなとやの奥さんに聞いてみた。
幽霊子育飴は元々は水飴だったという。
これで赤ん坊に食べさせたという逸話と辻褄が合った。
昨今の嬰児殺害や幼児虐待の報道に接する度に、幽霊子育飴の母親の一念を思うばかりである。逸話を聞く時代は戻って来ないのだろうか。
毎年8月7日頃がその立秋であるが、地球温暖化の所為か、亜熱帯気候化している日々を送る中、これらの常識も非常識呼ばわりされても可笑しくないようで、自然の様子を見ながら定型句も使わなければならないようである。
この頃になると、変わらずやってくるのは「お精霊さん迎え」だが、迎え火や迎え鐘でご先祖様をお呼びし、お盆を一緒に過ごす盂蘭盆会の習わしである。
迎え鐘を撞きに「六道まいり」をする人は多く、毎年、六道珍皇寺の迎え鐘を撞く人の長蛇の列は途絶えない。
その珍皇寺の門前の松原通を西へ下ると、「六道の辻」の石碑が角にある三叉路がある。その三叉路に面して、「幽霊子育飴」と書かれた古ぼけた看板と真っ赤な幟が置かれている。
そこは飴を売っている店である。
飴屋の看板をよく眺めると、「京名物 幽霊子育飴 みなとや幽霊子育飴本舗」と書かれている。去年と同じ看板だ。京名物とあるから年中売られているのだろうが、小生にとっては年に一度の六道まいりの時に立ち寄る飴屋さんである。
麦芽糖で作られた琥珀色の飴に、どうしてこのような妙な名前がついたのか。
「子育飴」だけなら馴染みやすいが、「幽霊」と冠がつくと、勢い興味を持ってしまう。
日本民話「子育て幽霊」や落語「飴買い幽霊」をつい思い浮かべる。この怪談話をあらためて書き残しておきたい。
みなとや幽霊子育飴本舗の菓子袋に入っている由来書には、こう記されている。
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣く声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜なよな飴を買いにくる婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来たらざるなりと。この児八歳にて僧となり修業怠らず、成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八歳にて遷化し給う。
さればこの家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育て飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上にこの家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。 らんすい
つまり、江村氏婦人が土葬された日から、夜ごと近所の飴屋に飴を買いにくる婦人がいて、墓地の土中から赤ん坊の声がするので掘り起こすと、赤ん坊が掘り出され、その後飴を買いにこなくなり、江村氏の妻は土葬されても幽霊になって飴を買い、赤ん坊を育てていた、と云うことになっている。
桂米朝の幽霊飴(米朝ばなし上方落語地図/講談社文庫)では更に具体的に語られている。
六道珍皇寺の門前に一軒の飴屋があり、毎夜六日間続けて表の戸を叩き、一文銭を出して飴を買っていく、この世の者とは思えない青白い女がいた。
七日目の晩も、やはり女は飴を買いにやってきた。
「実は今日はおアシがございませんが、アメをひとつ・・・」
「よろしい」と、主人は銭なしで飴を与えて、そっと女の後をつけた。
飴屋の主人は、文無しでやってくることを予測していたのである。
「あれは、ただもんではない。明日銭持ってきたら人間やけど持ってこなんだら、人間やないで」
「なんでですねん」
「人間、死ぬときには、六道銭というて三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。それを持ってきたんやないかと思う」と。
二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓地へ入っていくと、一つの塔婆の前でかき消すように女の姿が消えた。
そこはお腹に子を宿したまま死んだ女の墓。中で子が生まれ、母親の一念で、飴で子を育てていたのである。
その子は飴屋の主人が引き取り、後に高台寺の坊さんになったと言う。
オチは、
母親の一念で一文銭を持ってアメを買うてきて、子どもを育てていた。
それもそのはず、場所が「コオダイジ(子を大事=高台寺)。
という話である。
言い伝えには、この子は六道珍皇寺の僧侶になったという話もあり、日蓮宗立本寺(上京区中立売七本松下る)にも子育て飴伝説があり、寺伝によると、墓所の壷で生まれたのが日審上人であるという。
市内には、この類の赤子塚伝説は伏見の大黒寺や千本北大路の十二坊など、いくつかあるようだ。
六道の辻で袋を開け幽霊子育飴をなめてみた。黄金糖のように甘かった。
黄金糖よりは自然な滑らかさで素朴な甘さである。
生まれたての赤ん坊が、どうしてこんなに固い飴をなめたのだろうと思い、みなとやの奥さんに聞いてみた。
幽霊子育飴は元々は水飴だったという。
これで赤ん坊に食べさせたという逸話と辻褄が合った。
昨今の嬰児殺害や幼児虐待の報道に接する度に、幽霊子育飴の母親の一念を思うばかりである。逸話を聞く時代は戻って来ないのだろうか。
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