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観光バスはまだ走っていなかった。
早朝より嵐山渡月橋を横目に車を走らせ、嵯峨釈迦堂の駐車場に車を置いた。
境内に流れる読経に気持ちが清々しくなる。
お釈迦さんと阿弥陀さんに手をあわせたあと、経蔵前の池傍にある紅枝垂の下に腰を下ろし靴紐を結んだ。
石に刻まれた羅漢さんが、紅枝垂れの枝越しにこちらを見ている。
「今日の休みはどこにおでかけか。桜を追いかけるのも良いが道中気をつけるが良い。」
そう声かけられたような表情に見えた。
「西で五箇所のつもりで、夜には東の清水寺にいければと思っています。」と、心で呟いた。
腰を上げると本堂を右に、多宝塔を左にみて、鐘楼を通り越し西門に出て、嵯峨釈迦堂を後にした。
二尊院へはまっすぐに一本道である。ドッグカフェ「さかあがり」あたりで振り向くと、釈迦堂の大きいことを、その屋根が教えてくれる。
愛犬を連れて来ていれば、お昼には間はあるが思わず入るだろう。ここの抹茶ラテは案外といけるが、先を急ぐのでそれどころではない。
五分足らずで「小倉山二尊院」の大きな門札が左手にあがっている。
総門の間は額縁絵のように濃淡の桜色が現れ、その奥に桜の馬場が描かれている。
観光地にある寺院とはいえど嵐山にある寺院とは違い、一度門を潜ると、ひなびた優しさで包み込んでくれる空気が流れている場所だと小生は感じている。
二尊の御心が宿っているのか、西行法師の想いを汲んでいるのか、紅枝垂の花は他より一層に穏やかで儚いようである。
二尊を背に本堂の縁に暫く佇んでいたいが、常寂光寺の開山堂前の築山の紅枝垂れが気になりだした。
落柿舎の前の菜の花畑を通り越し、右手の坂をあがった。
常寂光寺の仁王門周辺は、この秋にも訪れたくさせるように錦秋の秋を予感させ、新芽の萌黄色を光らせている。
まだ人出は少なく静まり返り、三つ葉つつじやマンサク、石楠花にそれらの息遣いを感じながら、鐘楼下の雪柳の白に目映さを感じ散策した。
因みに仁王像は運慶作と伝えられる。
古より歌枕として名高い小倉山の地は、後に角倉了以一族の所有であったところ、豊臣秀吉建立の方広寺への不出仕を申し出た大本山本圀寺第16世日上人が隠遁地に選ばれ、角倉家の寄進により、慶長年間(1596〜1614)に開山されたのが常寂光寺である。
開山堂から多宝塔を眺め、更に紅枝垂れ越しに多宝塔を眺め、中腹より多宝塔越しに嵯峨野を眺めていると、俗世間の煩わしさを一切忘れ去ることができる。否、もめ事やこだわり事など、どうでもよくなるのである。
下山して、午前中に龍安寺に向かうことにした。
一条通を道なりに広沢池を経て、山中越えを通り越すと、車が混みだした。
福王寺の五差路で大渋滞に巻き込まれてしまう。こんなことなら予定通り大沢池へ先に行くべきだった。御室仁和寺を超えるまではのろのろ運転であったが、街道沿いの満開の桜に何とか救われた。遅咲きの御室桜が既に五分咲きで人出が大挙したようである。
仁和寺を過ぎると車はスムースに流れ出した。すぐに龍安寺に到着である。
無料駐車場の山手に枝垂桜が燃えるように狂い咲きしている。枯山水の白砂に紅枝垂など見なくてもよいくらいである。流石に京都ナンバーの車は二台しかなかった。
山門までの庭にも枝垂桜は咲き、山門前には牡丹桜が枝を伸ばしている。
そこを潜ると、鏡容池縁にソメイヨシノが待ち構えている。振り向いてソメイの枝から山門の甍を見るも良い。
龍安寺垣に沿って参道を進むごとに景色は変わり右手が明るく広がっている。
正面に大きなハの字に見えるのが庫裏の屋根である。紅枝垂が簾になって青もみじの前に垂れている。その後ろの簡素で重厚な木組みと白壁の構成が、更にその色彩を際立たせている。
寺の台所となる庫裏も、禅宗寺院では玄関となっていることが多い。
この先が拝観料エリアである。世界遺産登録大雲山龍安寺の石庭(方丈庭園)との対面となる。
五・二・三・二・三からなる十五個の石が全て見える場所を探す余裕などない。
白砂に紅枝垂れがお似合いの角度を探すのに、小生の頭はいっぱいなのである。
禅の極めた空間美が未だに解らずにいるが、幅25m奥行き10mに囲まれた75坪の枯山水を眺めていると、方丈の縁を歩く観光客のざわめきも気にならなくなった。
表に出て勅使門に向かって左を向き、土塀づたいに紅枝垂れを見るのも乙なアングルである。
方丈からみるのが正面なら、裏から眺めることになるのだが。
正午を過ぎてしまった。
嵯峨に戻り、甘春堂の筋向いにある宿場料理「染屋宗兵衛」で昼食を済ませることにした。
観光地にしてはリーズナブルで、味の誤魔化しがなく体裁よく盛り付けられ、旬のものを数多くいただけるところである。花見弁当と焼きさば寿司を注文した。
さて、腹ごしらえが出来たところで、目指すは旧嵯峨御所大覚寺の大沢池である。
釈迦堂から畑が残る住宅街を散策して10分のところである。
採りたての野菜を買って帰ることも出来る。無人なので箱にお代を入れておけば良い。
門前に着いた。嵯峨天皇奉献華道祭が行われていた。
平安絵巻さながらといわれる華供養塔・嵯峨天皇奉献華法会や舞楽奉納などには間に合わなかったのは残念だったが、嵯峨御流お家元のいけばなが宸殿に華席として設けられていたのを拝見した。
勅使門の傍にある紅枝垂桜のところに牛車が飾られていたのは、華法会のためだっようである。
折角の機会なので、五大堂観月台に設けられていた茶席に立ち寄り、観月台から大沢池の花見をさせてもらった。
大沢池を見ると龍頭鷁首舟が浮かび、船席での茶席も用意されていた。
実にいい日にめぐり合ったものだ。
来年は奉献華法会や舞楽奉納なども是非観覧したいと思いながら、多宝塔から名古曾の滝址までの池淵の花見を楽しんだ。
名古曾の滝の落ちるみず音に耳を澄まし、紅枝垂れ越しに大沢池の桜並木を眺める頃には、陽が西に落ち始めていた。
ウテナとさくらの花びらが大沢池から落ちる水路の溜まりに漂っている。
水面に浮かんでいた鴨はどこへ帰ったのだろうか。
今宵、清水寺の夜間拝観で夜桜見物と思っていたが、家路について翌日出直すことにした。春爛漫は未だ続いている。
清涼寺
http://jodo.or.jp/footprint/07/index.html
二尊院
http://www.aba-pon.net/nisonin.html
常寂光寺
http://www.jojakko-ji.or.jp/history.html
龍安寺
http://www.ryoanji.jp/
大覚寺
http://www.daikakuji.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
早朝より嵐山渡月橋を横目に車を走らせ、嵯峨釈迦堂の駐車場に車を置いた。
境内に流れる読経に気持ちが清々しくなる。
お釈迦さんと阿弥陀さんに手をあわせたあと、経蔵前の池傍にある紅枝垂の下に腰を下ろし靴紐を結んだ。
石に刻まれた羅漢さんが、紅枝垂れの枝越しにこちらを見ている。
「今日の休みはどこにおでかけか。桜を追いかけるのも良いが道中気をつけるが良い。」
そう声かけられたような表情に見えた。
「西で五箇所のつもりで、夜には東の清水寺にいければと思っています。」と、心で呟いた。
腰を上げると本堂を右に、多宝塔を左にみて、鐘楼を通り越し西門に出て、嵯峨釈迦堂を後にした。
二尊院へはまっすぐに一本道である。ドッグカフェ「さかあがり」あたりで振り向くと、釈迦堂の大きいことを、その屋根が教えてくれる。
愛犬を連れて来ていれば、お昼には間はあるが思わず入るだろう。ここの抹茶ラテは案外といけるが、先を急ぐのでそれどころではない。
五分足らずで「小倉山二尊院」の大きな門札が左手にあがっている。
総門の間は額縁絵のように濃淡の桜色が現れ、その奥に桜の馬場が描かれている。
観光地にある寺院とはいえど嵐山にある寺院とは違い、一度門を潜ると、ひなびた優しさで包み込んでくれる空気が流れている場所だと小生は感じている。
二尊の御心が宿っているのか、西行法師の想いを汲んでいるのか、紅枝垂の花は他より一層に穏やかで儚いようである。
二尊を背に本堂の縁に暫く佇んでいたいが、常寂光寺の開山堂前の築山の紅枝垂れが気になりだした。
落柿舎の前の菜の花畑を通り越し、右手の坂をあがった。
常寂光寺の仁王門周辺は、この秋にも訪れたくさせるように錦秋の秋を予感させ、新芽の萌黄色を光らせている。
まだ人出は少なく静まり返り、三つ葉つつじやマンサク、石楠花にそれらの息遣いを感じながら、鐘楼下の雪柳の白に目映さを感じ散策した。
因みに仁王像は運慶作と伝えられる。
古より歌枕として名高い小倉山の地は、後に角倉了以一族の所有であったところ、豊臣秀吉建立の方広寺への不出仕を申し出た大本山本圀寺第16世日上人が隠遁地に選ばれ、角倉家の寄進により、慶長年間(1596〜1614)に開山されたのが常寂光寺である。
開山堂から多宝塔を眺め、更に紅枝垂れ越しに多宝塔を眺め、中腹より多宝塔越しに嵯峨野を眺めていると、俗世間の煩わしさを一切忘れ去ることができる。否、もめ事やこだわり事など、どうでもよくなるのである。
下山して、午前中に龍安寺に向かうことにした。
一条通を道なりに広沢池を経て、山中越えを通り越すと、車が混みだした。
福王寺の五差路で大渋滞に巻き込まれてしまう。こんなことなら予定通り大沢池へ先に行くべきだった。御室仁和寺を超えるまではのろのろ運転であったが、街道沿いの満開の桜に何とか救われた。遅咲きの御室桜が既に五分咲きで人出が大挙したようである。
仁和寺を過ぎると車はスムースに流れ出した。すぐに龍安寺に到着である。
無料駐車場の山手に枝垂桜が燃えるように狂い咲きしている。枯山水の白砂に紅枝垂など見なくてもよいくらいである。流石に京都ナンバーの車は二台しかなかった。
山門までの庭にも枝垂桜は咲き、山門前には牡丹桜が枝を伸ばしている。
そこを潜ると、鏡容池縁にソメイヨシノが待ち構えている。振り向いてソメイの枝から山門の甍を見るも良い。
龍安寺垣に沿って参道を進むごとに景色は変わり右手が明るく広がっている。
正面に大きなハの字に見えるのが庫裏の屋根である。紅枝垂が簾になって青もみじの前に垂れている。その後ろの簡素で重厚な木組みと白壁の構成が、更にその色彩を際立たせている。
寺の台所となる庫裏も、禅宗寺院では玄関となっていることが多い。
この先が拝観料エリアである。世界遺産登録大雲山龍安寺の石庭(方丈庭園)との対面となる。
五・二・三・二・三からなる十五個の石が全て見える場所を探す余裕などない。
白砂に紅枝垂れがお似合いの角度を探すのに、小生の頭はいっぱいなのである。
禅の極めた空間美が未だに解らずにいるが、幅25m奥行き10mに囲まれた75坪の枯山水を眺めていると、方丈の縁を歩く観光客のざわめきも気にならなくなった。
表に出て勅使門に向かって左を向き、土塀づたいに紅枝垂れを見るのも乙なアングルである。
方丈からみるのが正面なら、裏から眺めることになるのだが。
正午を過ぎてしまった。
嵯峨に戻り、甘春堂の筋向いにある宿場料理「染屋宗兵衛」で昼食を済ませることにした。
観光地にしてはリーズナブルで、味の誤魔化しがなく体裁よく盛り付けられ、旬のものを数多くいただけるところである。花見弁当と焼きさば寿司を注文した。
さて、腹ごしらえが出来たところで、目指すは旧嵯峨御所大覚寺の大沢池である。
釈迦堂から畑が残る住宅街を散策して10分のところである。
採りたての野菜を買って帰ることも出来る。無人なので箱にお代を入れておけば良い。
門前に着いた。嵯峨天皇奉献華道祭が行われていた。
平安絵巻さながらといわれる華供養塔・嵯峨天皇奉献華法会や舞楽奉納などには間に合わなかったのは残念だったが、嵯峨御流お家元のいけばなが宸殿に華席として設けられていたのを拝見した。
勅使門の傍にある紅枝垂桜のところに牛車が飾られていたのは、華法会のためだっようである。
折角の機会なので、五大堂観月台に設けられていた茶席に立ち寄り、観月台から大沢池の花見をさせてもらった。
大沢池を見ると龍頭鷁首舟が浮かび、船席での茶席も用意されていた。
実にいい日にめぐり合ったものだ。
来年は奉献華法会や舞楽奉納なども是非観覧したいと思いながら、多宝塔から名古曾の滝址までの池淵の花見を楽しんだ。
名古曾の滝の落ちるみず音に耳を澄まし、紅枝垂れ越しに大沢池の桜並木を眺める頃には、陽が西に落ち始めていた。
ウテナとさくらの花びらが大沢池から落ちる水路の溜まりに漂っている。
水面に浮かんでいた鴨はどこへ帰ったのだろうか。
今宵、清水寺の夜間拝観で夜桜見物と思っていたが、家路について翌日出直すことにした。春爛漫は未だ続いている。
清涼寺
http://jodo.or.jp/footprint/07/index.html
二尊院
http://www.aba-pon.net/nisonin.html
常寂光寺
http://www.jojakko-ji.or.jp/history.html
龍安寺
http://www.ryoanji.jp/
大覚寺
http://www.daikakuji.or.jp/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5308-140410-4月
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