クリックでスライドショー
紅葉を求めて入洛する人の姿が目立つ。
京都人にとっても、紅葉狩の場所探しに大変なシーズンである。
誰しも、南禅寺から哲学の道を銀閣寺に向かって、永観堂や安楽寺、法然院と訪ね、疎水縁を歩きたいものである。しかし、休日に行く気はしない。
なぜなら、その人の波は四条河原町に出かけるも同じだからである。
祭のような賑わいを求めているならいざ知らず、静寂に身を委ね借景や庭園美に浸り、紅葉の情緒を味わうとなれば至難のことである。
さりとて、人知れない深山に入ることまでは億劫となると、紅葉狩の休日を過ごすことは困難な話となる。
そこで、手の打ちどころとなる頃合なコースを考えることになる。
京福電車沿線はどこも辛いが、叡山鉄道沿線ならなくはない。出町柳から乗り、八瀬か鞍馬か、否、修学院で下車するのである。帰りは一乗寺から乗車し、戻れば無駄がない。
まず目指すは、修学院離宮の北にある赤山禅院(せきざんぜんいん)である。
市バスなら修学院離宮道で下り20分も歩けば到着する。電車よりバスの方が良かったかもしれない。
坂道を歩いてきたことを労ってくれるかのように、鳥居の背後の山が紅葉して出迎えてくれている。鳥居には赤山大明神の扁額が掛けられている。赤山大明神とは陰陽道の祖・泰山府君のことで、赤山禅院の本尊であり、天台宗の鎮守神である。
参道を進むと山門が立ち、その奥からは、色づいた森の木々がまるで手招きしているように思える。門を潜ってゆくと、その両脇から伸びた枝葉が天空を遮り、小生を包み込んでくれる。また、その可愛いく小さな掌は重なり合い、色とりどりにキラキラしている。
しばらくの間、紅葉のグラデーションの参道を行き、左手に石段を上がると、威勢良く腰を上げ、肩を下げ構える獅子に出あう。その恫喝の形相に、人の悪しき心を吹き消す勢いを感じた。
目前に拝殿が見えた。正面に皇城表鬼門と墨書された木札が掛かっている。屋根の上に、御幣と鈴を持つ瓦彫の猿が安置されていた。その猿は御所の方を向き、京都御所の鬼門守護「猿が辻」の猿と向かい合っていると聞く。 猿は逃げ出さないように、金網の中に入れられていた。24時間365日の警護は昔からあったようだ。
手水舎の屋根は仄かに色づき、庫裏の屋根に橙、神殿の前には紅、弁財天堂の上に背高く黄、道行く先の森は朱に燃え、空に広がる錦の波。
境内には、福禄寿堂、金神宮、駒滝堂、地蔵堂、雲母不動堂などが山の懐に建立されていて、到る所でモミジが楽しめた。
赤山さんは、慈覚大師円仁の遺命を受け、仁和4年(888年)天台座主安慧(あんね)により創建された、比叡山延暦寺の塔頭別院である。
神仏習合の往時の姿を残す寺院であり、紅葉見頃の毎年11月23日に行われる「数珠供養」には信者など多くの人出があり、大阿闍梨が焚く護摩は圧巻である。
「数珠供養」の頃なら、深紅のモミジを背に寒桜が薄桃色の花を咲かせ始め、紅葉狩を兼ねて出向かれれば、感動が倍増すること請け合いである。
赤山さんを後に修学院の長閑な風景を歩き、一乗寺の曼殊院門跡に向かう。
遠く北山連峰に目を休め、農地の冬支度やあぜ道に生きる雑草を横目に、時には段々畑に生る野菜を眺め、腰を下ろすのも良い。通り道の農家のお年寄りに声をかけたりするのもいいだろう。そうこうしているうちに曼殊院への道案内を見つけることになる。
帰り道のようなものなので、仮に混雑していても、夕方あるいは夜になって拝観が叶わずとも、勅使門と五本の白い筋の入った塀沿いのモミジは見ておかれても損はない。否、必ず見ておかれるべきである。
時ごとの光の変化に、辺りのモミジが応じ、まわりの様子を変えてゆく。
色と光と影が織り成す光景は、時間の経つのを忘れさせ、更に長く留まりたく思わせる。
曼殊院の門前に、これで何回通っただろうか。
大玄関の竹の間の壁紙も、孔雀の間の岸駒の描いた南風画の襖絵も、虎の間にある狩野永徳の猛々しい虎の襖絵といえども、大書院、小書院の欄間など数々の書院造りの妙も、あるいは庭園の紅葉でさえも、勅使門に広がるモミジの情景には適わないと、小生は感じている。
曼殊院からゆっくり歩いて15分ほどのところに圓光寺がある。
圓光寺といえば、2008年を最後に庭園秋の紅葉ライトアップ拝観「ライトスケープ 瑞雲の華」の休演を決断された。「大自然の摂理には勝てず、モミジの形と葉に元気がなくなってきた感じが致します、そこで暫く、樹木の疲労を回復し・・・・・」と、掲示されていたのを思い出した。
昼間の拝観をと急いだが、陽が落ちだし、残念ながら門前に立ち尽くすこととなった。
帰路に乗車予定していた一乗寺駅までに、詩仙堂と金福寺を訪ねるつもりだったが、取りやめざるを得ない。
昼食を済ませてからの思い立っての出発では欲張りすぎで、そもそも間違いであった。
いかに近隣四ヶ寺の散策といえども、朝から出発すべきことは至極当然のことである。
日程消化の駆け足バス観光旅行をしている訳ではないのだから、満足いくまでのゆとりの紅葉狩だったと、自らに言い聞かせながら、来週に出直すこととした。
今秋のノンビリ紅葉紀行は、これからが始まりで本番である。
赤山禅院
http://www.sekizanzenin.com/
曼殊院門跡
http://www.manshuinmonzeki.jp/
圓光寺
http://www.enkouji.jp/
詩仙堂
http://www.kyoto-shisendo.com/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
京都人にとっても、紅葉狩の場所探しに大変なシーズンである。
誰しも、南禅寺から哲学の道を銀閣寺に向かって、永観堂や安楽寺、法然院と訪ね、疎水縁を歩きたいものである。しかし、休日に行く気はしない。
なぜなら、その人の波は四条河原町に出かけるも同じだからである。
祭のような賑わいを求めているならいざ知らず、静寂に身を委ね借景や庭園美に浸り、紅葉の情緒を味わうとなれば至難のことである。
さりとて、人知れない深山に入ることまでは億劫となると、紅葉狩の休日を過ごすことは困難な話となる。
そこで、手の打ちどころとなる頃合なコースを考えることになる。
京福電車沿線はどこも辛いが、叡山鉄道沿線ならなくはない。出町柳から乗り、八瀬か鞍馬か、否、修学院で下車するのである。帰りは一乗寺から乗車し、戻れば無駄がない。
まず目指すは、修学院離宮の北にある赤山禅院(せきざんぜんいん)である。
市バスなら修学院離宮道で下り20分も歩けば到着する。電車よりバスの方が良かったかもしれない。
坂道を歩いてきたことを労ってくれるかのように、鳥居の背後の山が紅葉して出迎えてくれている。鳥居には赤山大明神の扁額が掛けられている。赤山大明神とは陰陽道の祖・泰山府君のことで、赤山禅院の本尊であり、天台宗の鎮守神である。
参道を進むと山門が立ち、その奥からは、色づいた森の木々がまるで手招きしているように思える。門を潜ってゆくと、その両脇から伸びた枝葉が天空を遮り、小生を包み込んでくれる。また、その可愛いく小さな掌は重なり合い、色とりどりにキラキラしている。
しばらくの間、紅葉のグラデーションの参道を行き、左手に石段を上がると、威勢良く腰を上げ、肩を下げ構える獅子に出あう。その恫喝の形相に、人の悪しき心を吹き消す勢いを感じた。
目前に拝殿が見えた。正面に皇城表鬼門と墨書された木札が掛かっている。屋根の上に、御幣と鈴を持つ瓦彫の猿が安置されていた。その猿は御所の方を向き、京都御所の鬼門守護「猿が辻」の猿と向かい合っていると聞く。 猿は逃げ出さないように、金網の中に入れられていた。24時間365日の警護は昔からあったようだ。
手水舎の屋根は仄かに色づき、庫裏の屋根に橙、神殿の前には紅、弁財天堂の上に背高く黄、道行く先の森は朱に燃え、空に広がる錦の波。
境内には、福禄寿堂、金神宮、駒滝堂、地蔵堂、雲母不動堂などが山の懐に建立されていて、到る所でモミジが楽しめた。
赤山さんは、慈覚大師円仁の遺命を受け、仁和4年(888年)天台座主安慧(あんね)により創建された、比叡山延暦寺の塔頭別院である。
神仏習合の往時の姿を残す寺院であり、紅葉見頃の毎年11月23日に行われる「数珠供養」には信者など多くの人出があり、大阿闍梨が焚く護摩は圧巻である。
「数珠供養」の頃なら、深紅のモミジを背に寒桜が薄桃色の花を咲かせ始め、紅葉狩を兼ねて出向かれれば、感動が倍増すること請け合いである。
赤山さんを後に修学院の長閑な風景を歩き、一乗寺の曼殊院門跡に向かう。
遠く北山連峰に目を休め、農地の冬支度やあぜ道に生きる雑草を横目に、時には段々畑に生る野菜を眺め、腰を下ろすのも良い。通り道の農家のお年寄りに声をかけたりするのもいいだろう。そうこうしているうちに曼殊院への道案内を見つけることになる。
帰り道のようなものなので、仮に混雑していても、夕方あるいは夜になって拝観が叶わずとも、勅使門と五本の白い筋の入った塀沿いのモミジは見ておかれても損はない。否、必ず見ておかれるべきである。
時ごとの光の変化に、辺りのモミジが応じ、まわりの様子を変えてゆく。
色と光と影が織り成す光景は、時間の経つのを忘れさせ、更に長く留まりたく思わせる。
曼殊院の門前に、これで何回通っただろうか。
大玄関の竹の間の壁紙も、孔雀の間の岸駒の描いた南風画の襖絵も、虎の間にある狩野永徳の猛々しい虎の襖絵といえども、大書院、小書院の欄間など数々の書院造りの妙も、あるいは庭園の紅葉でさえも、勅使門に広がるモミジの情景には適わないと、小生は感じている。
曼殊院からゆっくり歩いて15分ほどのところに圓光寺がある。
圓光寺といえば、2008年を最後に庭園秋の紅葉ライトアップ拝観「ライトスケープ 瑞雲の華」の休演を決断された。「大自然の摂理には勝てず、モミジの形と葉に元気がなくなってきた感じが致します、そこで暫く、樹木の疲労を回復し・・・・・」と、掲示されていたのを思い出した。
昼間の拝観をと急いだが、陽が落ちだし、残念ながら門前に立ち尽くすこととなった。
帰路に乗車予定していた一乗寺駅までに、詩仙堂と金福寺を訪ねるつもりだったが、取りやめざるを得ない。
昼食を済ませてからの思い立っての出発では欲張りすぎで、そもそも間違いであった。
いかに近隣四ヶ寺の散策といえども、朝から出発すべきことは至極当然のことである。
日程消化の駆け足バス観光旅行をしている訳ではないのだから、満足いくまでのゆとりの紅葉狩だったと、自らに言い聞かせながら、来週に出直すこととした。
今秋のノンビリ紅葉紀行は、これからが始まりで本番である。
赤山禅院
http://www.sekizanzenin.com/
曼殊院門跡
http://www.manshuinmonzeki.jp/
圓光寺
http://www.enkouji.jp/
詩仙堂
http://www.kyoto-shisendo.com/
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5259-141127-11月
写真/画像検索
関連コラム
紅葉といえば……
- 晩秋の貴船紅葉紀行
水占斎庭に赤いもみじ浮かびて秋燃ゆる - 広隆寺 聖徳太子御火焚祭
白い煙、赤い炎、青い空、色づく紅葉 - 洛外紅葉街道 ドライブ計画
紅葉狩 急がば回れ 人の行く道の裏 - 秋の物見遊山 / 大徳寺
非公開特別拝観に乗じて、門前菓子 門前料理を食する - 知られざる清水寺境内の紅葉
パワースポット京都がただのテーマパークに成り下がらぬために - 大徳寺塔頭芳春院 秋の定期拝観
京の秋は「特別」「期間限定」「撮影禁止」 - 紅葉紀行 鷹峰を訪ねて2
モミジの甘い誘いに丸窓が凡人の迷いを悟らせ - 紅葉紀行 鷹峯を訪ねて1
秋深まり、色増すもみじに歴史の血潮も見え隠れ - 色づく大路小路
人ごみに駆られず東西南北 - 京都の秋
京都人気質と行楽の心得方 - 秋の物見遊山 / 岩戸落葉神社
魅せられて 自然が織り成す黄葉、紅葉 - 高雄観楓図屏風を歩く
戦乱の最中でさえ、紅葉狩りはやめられない - 癒しの高雄・美山 山間ドライブ
近くて遠い山里も あなた次第 - 泉涌寺 紅葉の歩きかた
横道にそれ、急な下り坂で谷に下りると、そこが。 - 青蓮院大日堂 秋の将軍塚庭園とは
大将軍たちが夢の跡を見おろす