京都の町家には、いたるところにお札が貼ってある。
一度お札が貼られると、そこは不浄を避け神聖化され、粗末に扱われることがない。たとえ神棚などを設けたりせずとも、盛り塩をしたりし、崇められている。
お札が災難を除け、ご利益をもたらすという信仰が、生活の中で生き始めるのである。
小生宅で、お札の貼ってある場所をあげてみると、まず玄関外の祇園祭の粽には「蘇民将来之子孫也」の札があり、玄関を入ると疫病など魔厄けの「角大師」に、泥棒除けなど災厄けの「五大力」、厄除招福の「立春大吉」などがある。
あまりに多く貼ると、強い厄除けの力同士が反発しあい、ご利益がないという話も聞くが、お札は増えてゆく一方である。
寝室の枕もとには小生の守護仏の御影の札、台所には愛宕さんの「火廼要慎(ひのようじん)」のお札、北東にある部屋の鬼門の天井近くには「城南宮方除御札」、その床には「清めの砂」を、おのおの施している。
まだあった。裏鬼門にあたる書斎の隅には、「赤山大明神御札」が貼ってある。
お札が家の守りであるのに対し、守札は身につけ、個人的に神仏のご利益を願うものであるが、小生の鞄や財布には「お守り」も入っている。
こうして見ると、日常において、無意識のうちに護符に頼っていることがわかる。
護符を授かるということは、呪術的に力が付与されたものを信仰している証である。
神話の伝承や、堅苦しい仏教の教典などは、難解で容易に解らぬものであるが、民衆が諸尊のお札に求めてきた信仰の歴史は古く、今も理屈抜きに崇められている事実は否定できない。
お札は神仏多種にわたるが、紙片などに記された文字や図柄に祈祷が施されて呪符や護符となる文化は、原始宗教にまで遡る伝統と、その多彩さが伺える。
そして、先人の想像力の豊かさを示しているように思う。
さて、2月23日には「五大力尊法要」が営まれる。玄関の五大力さんのお札を外し、新しいお札を授かりに参らねばならない。法要のあと、この日限りの分身御影のお札の授与が行われる。
京都では、そのお札が聖護院塔頭の積善院準提堂と醍醐寺の五大堂などで授かることができる。
五大力さんとは、不動明王を筆頭に、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の五つの明王の総称で、主に密教や修験道等の最高神として崇められている。
京都で五大明王の全像が安置されているのは、東寺・大覚寺・醍醐寺の三ヶ寺である。
五つの明王とは、大日如来・阿閃如来(※あしゅく)・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の五如来夫々の憤怒された化身である。
如来様が仏法そのものの姿であるのに対して、明王は、通常の教え方では救い難い衆生に対し、ひどく怒られた形相と姿をして煩悩を断ち、教え導くという働きをされているらしい。
特に不動明王は、その鋭い眼光で世の邪悪に対する怒りを現し、その背後の激しい炎で怨敵を焼き尽くし、その法剣で邪悪なものを切り裂き、その縄で悪を捕縛し調伏され、邪悪なものを懲らしめ、凡人を助けられるとされている。
密教の隆盛を見た平安時代には、五大明王の呪法が国家鎮守の秘法として、為政者に用いられた。
「平 将門の乱」「元寇」などの歴史舞台の中で、敵を追い返し、国家を守る仏として活用され、信仰を広めた。
やがて時代が下るにつれて、修験者達の病気治療の加持の護摩を焚くなどの活躍により、そのご本尊不動明王の存在と霊験は広く世間の知るところとなった。
今も五大力さんの行事には山伏の姿がつきものである。
明王の力を授かるための醍醐寺五大力尊仁王会(にんのうえ)では、金堂前広場に巨大な紅白の鏡餅がいくつも奉納されており、山伏のほら貝の音が鳴り響くと、「奉納五大力餅上げ」が行われる。男子で150キロ、女子で90キロの重さの鏡餅である。
マイクで当日参加者の案内が流れる。
「よいしょ よいしょ 」の声援に、歯を食い縛り持ち上げると、「わぁー」とどよめき、拍手が起きる。持ち堪えられる時間を競うのである。
同じ特設舞台では「五大力太鼓奉納」も楽しめ、大般若経の読経が聞こえる中、護摩壇では護摩木が焚かれる。
五大力さんのお札の授与を受けたいなら、先に引換券を求めておき、金堂前の授与所の長蛇の列に並ぶ。
その授かった御影を、小生は護摩壇の近くにいる山伏に、護摩供の火に炙って貰うよう手渡している。不動明王像の前の護摩火に炙られたお札は有難さが倍増する気がして不思議である。
醍醐寺一山の僧侶によって、七日間祈願されたお札を授かりに来る崇敬者は、毎年十万人を越える。
千百年の歴史に培われた信仰は侮れない。
この日限りの五大力さんのお札は京都の旧家で見ないことがない。
如何に住宅事情が変わろうと、ステッカーでは摩訶不思議な力は出るまい。
世界遺産 京都 醍醐寺
http://www.daigoji.or.jp/
聖護院門跡
http://www.shogoin.or.jp/
※正しくは「門」に「やねへん」と「人人」で「しゅく」。
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
一度お札が貼られると、そこは不浄を避け神聖化され、粗末に扱われることがない。たとえ神棚などを設けたりせずとも、盛り塩をしたりし、崇められている。
お札が災難を除け、ご利益をもたらすという信仰が、生活の中で生き始めるのである。
小生宅で、お札の貼ってある場所をあげてみると、まず玄関外の祇園祭の粽には「蘇民将来之子孫也」の札があり、玄関を入ると疫病など魔厄けの「角大師」に、泥棒除けなど災厄けの「五大力」、厄除招福の「立春大吉」などがある。
あまりに多く貼ると、強い厄除けの力同士が反発しあい、ご利益がないという話も聞くが、お札は増えてゆく一方である。
寝室の枕もとには小生の守護仏の御影の札、台所には愛宕さんの「火廼要慎(ひのようじん)」のお札、北東にある部屋の鬼門の天井近くには「城南宮方除御札」、その床には「清めの砂」を、おのおの施している。
まだあった。裏鬼門にあたる書斎の隅には、「赤山大明神御札」が貼ってある。
お札が家の守りであるのに対し、守札は身につけ、個人的に神仏のご利益を願うものであるが、小生の鞄や財布には「お守り」も入っている。
こうして見ると、日常において、無意識のうちに護符に頼っていることがわかる。
護符を授かるということは、呪術的に力が付与されたものを信仰している証である。
神話の伝承や、堅苦しい仏教の教典などは、難解で容易に解らぬものであるが、民衆が諸尊のお札に求めてきた信仰の歴史は古く、今も理屈抜きに崇められている事実は否定できない。
お札は神仏多種にわたるが、紙片などに記された文字や図柄に祈祷が施されて呪符や護符となる文化は、原始宗教にまで遡る伝統と、その多彩さが伺える。
そして、先人の想像力の豊かさを示しているように思う。
さて、2月23日には「五大力尊法要」が営まれる。玄関の五大力さんのお札を外し、新しいお札を授かりに参らねばならない。法要のあと、この日限りの分身御影のお札の授与が行われる。
京都では、そのお札が聖護院塔頭の積善院準提堂と醍醐寺の五大堂などで授かることができる。
五大力さんとは、不動明王を筆頭に、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の五つの明王の総称で、主に密教や修験道等の最高神として崇められている。
京都で五大明王の全像が安置されているのは、東寺・大覚寺・醍醐寺の三ヶ寺である。
五つの明王とは、大日如来・阿閃如来(※あしゅく)・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来の五如来夫々の憤怒された化身である。
如来様が仏法そのものの姿であるのに対して、明王は、通常の教え方では救い難い衆生に対し、ひどく怒られた形相と姿をして煩悩を断ち、教え導くという働きをされているらしい。
特に不動明王は、その鋭い眼光で世の邪悪に対する怒りを現し、その背後の激しい炎で怨敵を焼き尽くし、その法剣で邪悪なものを切り裂き、その縄で悪を捕縛し調伏され、邪悪なものを懲らしめ、凡人を助けられるとされている。
密教の隆盛を見た平安時代には、五大明王の呪法が国家鎮守の秘法として、為政者に用いられた。
「平 将門の乱」「元寇」などの歴史舞台の中で、敵を追い返し、国家を守る仏として活用され、信仰を広めた。
やがて時代が下るにつれて、修験者達の病気治療の加持の護摩を焚くなどの活躍により、そのご本尊不動明王の存在と霊験は広く世間の知るところとなった。
今も五大力さんの行事には山伏の姿がつきものである。
明王の力を授かるための醍醐寺五大力尊仁王会(にんのうえ)では、金堂前広場に巨大な紅白の鏡餅がいくつも奉納されており、山伏のほら貝の音が鳴り響くと、「奉納五大力餅上げ」が行われる。男子で150キロ、女子で90キロの重さの鏡餅である。
マイクで当日参加者の案内が流れる。
「よいしょ よいしょ 」の声援に、歯を食い縛り持ち上げると、「わぁー」とどよめき、拍手が起きる。持ち堪えられる時間を競うのである。
同じ特設舞台では「五大力太鼓奉納」も楽しめ、大般若経の読経が聞こえる中、護摩壇では護摩木が焚かれる。
五大力さんのお札の授与を受けたいなら、先に引換券を求めておき、金堂前の授与所の長蛇の列に並ぶ。
その授かった御影を、小生は護摩壇の近くにいる山伏に、護摩供の火に炙って貰うよう手渡している。不動明王像の前の護摩火に炙られたお札は有難さが倍増する気がして不思議である。
醍醐寺一山の僧侶によって、七日間祈願されたお札を授かりに来る崇敬者は、毎年十万人を越える。
千百年の歴史に培われた信仰は侮れない。
この日限りの五大力さんのお札は京都の旧家で見ないことがない。
如何に住宅事情が変わろうと、ステッカーでは摩訶不思議な力は出るまい。
世界遺産 京都 醍醐寺
http://www.daigoji.or.jp/
聖護院門跡
http://www.shogoin.or.jp/
※正しくは「門」に「やねへん」と「人人」で「しゅく」。
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
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