京の盆地で舟遊びとは。
モーターボートや、水中翼船の似合う街でないことは言うまでもない。
まずは、嵐山渡月橋上流や高尾、宝ヶ池で貸ボートに乗ることが思い浮かぶ。
しかし、これでは遊園地と変わりなく、どこの街にもあり、少々風情に欠ける気もする。
大宮人は、邸内の池に舟を浮かべ、四季折々に管弦の宴を催したというが、それほどに優雅な粋人気分にさせてくれるところがない。
往時の面影を残しているのは、大堰川(渡月橋上流)の三船祭か、はたまた京都迎賓館の池に設けられた船着場と一隻の和舟ぐらいであろうか。
これとて、見学するもので、おいそれとその舟には乗り込めない。
京の乗合船というと、やはり和舟が相応しく思う。
嵐山でなら、「嵐峡の屋形船」での湯豆腐御膳の昼食や、「保津川下り」の下船前に近寄ってくる茶店屋形船の売込みに応え、物を買い求めるのも、優雅さとは程遠いが、新緑の舟遊びとしては行楽気分に趣がある。
この「保津川下り」といえば、豊富な丹波の物資を京都に運ぶことを考えた京の豪商角倉了以の保津川開削事業(1606年)によって、生まれ始まったものである。
京の水運では、あまりにも有名な運河高瀬川の開発(1613年)も、京都大阪間の物資流通を構想した角倉了以によるものだ。木屋町二条から伏見にかけての約10キロの運河は、大正時代まで京の流通の大動脈となっていた。
今は、「高瀬川一之船入跡」の石碑と一艘の「高瀬舟」を見るに留まり、「高瀬川下り」というのはない。
もしあれば、木屋町沿いに伏見まで、そして、淀川を下り大坂天満橋八軒家船着場まで船旅ができることになる。ならば、水路周辺の環境は今とは随分違った開発になっていたのだろうか。
数年前より、伏見の地で「十石舟」が復活した。景色風情は「高瀬舟」の名残を感じさせてくれる舟遊びではないだろうか。
「十石舟」は江戸から明治末期にかけて伏見と大阪を往来していた和船のことで、酒や米を運搬していた。桂枝雀の古典落語「三十石夢の通い路」に登場する「三十石船」が、同航路の乗合船の情景を舞台にしていることでご存知の方は多いだろう。
この時代さながらに、十石舟が1時間ほどの乗合遊覧として運航している。
運航エリアは大倉酒造の酒蔵や柳並木など情緒ある界隈が残されているところである。
このほか「十石舟」でいうと、「岡崎桜回廊十石舟めぐり」というのが、平成15年「第3回世界水フォーラム」を機に毎年運航している。南禅寺舟溜り(琵琶湖疏水記念館前)から夷川ダム迄の疎水往復3kmを、和船で40分間かけての遊覧である。
更に、平成27年春試運転された「琵琶湖疎水クルーズ」という観光船(琵琶湖疎水船)の復活が楽しみだ。
琵琶湖?山科?蹴上と続く7.8kmで、約60分かけて下る。途中はトンネルなどもある水を引くための水路で、かつて旅客や荷物運搬などの船が通っていた。1951年に鉄道開通と共に、琵琶湖疏水船は廃止されたのだが、琵琶湖疏水竣工125周年事業として復活をみた。
こうして挙げてみると、縁遠いと思っていた京にあっても、舟遊びするところがあるものである。梅雨入りの前に是非とも楽しんでおきたい。
そして、梅雨が明ければ、宇治、嵐山での「鵜飼舟」ということになる。
三船祭 (車折神社)
http://www.kurumazakijinja.or.jp/mifunemathuri2.html
京都迎賓館 和舟 (京都新聞社)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/education/geihinkan/060605.html
嵐山の屋形船(嵐山通船)
http://arashiyama-yakatabune.com/
保津川下り
http://www.hozugawakudari.jp/
保津川/歴史 (保津川遊船企業組合)
http://www.hozugawakudari.jp/history
高瀬川 (都市史 22)
http://www.city.kyoto.jp/html/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi22.html
東高瀬川 (Agua)
http://agua.jpn.org/yodo/higasitakase/higasitakase.html
十石舟・三十石船のご案内(京都伏見観光連携協議会)
http://kyoto-fushimi-kanko.jp/news21.html
淀川三十石船 (高槻市発 -大王の国から)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/daiou/08.html
「琵琶湖疏水通船復活」試行事業 (京都上下水道局)
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000179030.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
モーターボートや、水中翼船の似合う街でないことは言うまでもない。
まずは、嵐山渡月橋上流や高尾、宝ヶ池で貸ボートに乗ることが思い浮かぶ。
しかし、これでは遊園地と変わりなく、どこの街にもあり、少々風情に欠ける気もする。
大宮人は、邸内の池に舟を浮かべ、四季折々に管弦の宴を催したというが、それほどに優雅な粋人気分にさせてくれるところがない。
往時の面影を残しているのは、大堰川(渡月橋上流)の三船祭か、はたまた京都迎賓館の池に設けられた船着場と一隻の和舟ぐらいであろうか。
これとて、見学するもので、おいそれとその舟には乗り込めない。
京の乗合船というと、やはり和舟が相応しく思う。
嵐山でなら、「嵐峡の屋形船」での湯豆腐御膳の昼食や、「保津川下り」の下船前に近寄ってくる茶店屋形船の売込みに応え、物を買い求めるのも、優雅さとは程遠いが、新緑の舟遊びとしては行楽気分に趣がある。
この「保津川下り」といえば、豊富な丹波の物資を京都に運ぶことを考えた京の豪商角倉了以の保津川開削事業(1606年)によって、生まれ始まったものである。
京の水運では、あまりにも有名な運河高瀬川の開発(1613年)も、京都大阪間の物資流通を構想した角倉了以によるものだ。木屋町二条から伏見にかけての約10キロの運河は、大正時代まで京の流通の大動脈となっていた。
今は、「高瀬川一之船入跡」の石碑と一艘の「高瀬舟」を見るに留まり、「高瀬川下り」というのはない。
もしあれば、木屋町沿いに伏見まで、そして、淀川を下り大坂天満橋八軒家船着場まで船旅ができることになる。ならば、水路周辺の環境は今とは随分違った開発になっていたのだろうか。
数年前より、伏見の地で「十石舟」が復活した。景色風情は「高瀬舟」の名残を感じさせてくれる舟遊びではないだろうか。
「十石舟」は江戸から明治末期にかけて伏見と大阪を往来していた和船のことで、酒や米を運搬していた。桂枝雀の古典落語「三十石夢の通い路」に登場する「三十石船」が、同航路の乗合船の情景を舞台にしていることでご存知の方は多いだろう。
この時代さながらに、十石舟が1時間ほどの乗合遊覧として運航している。
運航エリアは大倉酒造の酒蔵や柳並木など情緒ある界隈が残されているところである。
このほか「十石舟」でいうと、「岡崎桜回廊十石舟めぐり」というのが、平成15年「第3回世界水フォーラム」を機に毎年運航している。南禅寺舟溜り(琵琶湖疏水記念館前)から夷川ダム迄の疎水往復3kmを、和船で40分間かけての遊覧である。
更に、平成27年春試運転された「琵琶湖疎水クルーズ」という観光船(琵琶湖疎水船)の復活が楽しみだ。
琵琶湖?山科?蹴上と続く7.8kmで、約60分かけて下る。途中はトンネルなどもある水を引くための水路で、かつて旅客や荷物運搬などの船が通っていた。1951年に鉄道開通と共に、琵琶湖疏水船は廃止されたのだが、琵琶湖疏水竣工125周年事業として復活をみた。
こうして挙げてみると、縁遠いと思っていた京にあっても、舟遊びするところがあるものである。梅雨入りの前に是非とも楽しんでおきたい。
そして、梅雨が明ければ、宇治、嵐山での「鵜飼舟」ということになる。
三船祭 (車折神社)
http://www.kurumazakijinja.or.jp/mifunemathuri2.html
京都迎賓館 和舟 (京都新聞社)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/education/geihinkan/060605.html
嵐山の屋形船(嵐山通船)
http://arashiyama-yakatabune.com/
保津川下り
http://www.hozugawakudari.jp/
保津川/歴史 (保津川遊船企業組合)
http://www.hozugawakudari.jp/history
高瀬川 (都市史 22)
http://www.city.kyoto.jp/html/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi22.html
東高瀬川 (Agua)
http://agua.jpn.org/yodo/higasitakase/higasitakase.html
十石舟・三十石船のご案内(京都伏見観光連携協議会)
http://kyoto-fushimi-kanko.jp/news21.html
淀川三十石船 (高槻市発 -大王の国から)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/daiou/08.html
「琵琶湖疏水通船復活」試行事業 (京都上下水道局)
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000179030.html
【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5091-150507-5月
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