秋祭りとともに、秋の特別公開、特別拝観が真っ盛りである。
春秋に行われている公開・拝観であるが、市内の各寺院を合わせると、到底回りきれるものではない。
おりしも紅葉シーズンであり、紅葉狩との間合いも考えると、仕事を放り投げてもワンシーズンでは無理なことである。
選定する折に頼りにするのは、「特別」という二文字となるが、これを逆手に「特別」と冠する寺院ばかりではないか。
観光客動員に躍起になるのは分らなくない。
しかし、寺院たるものが、一般観光客、小市民を相手に、流石に不実ではないが紛らわしいキャッチフレーズを使うのはいかがなものなのか、仏教界はこれをテーマにあげ、小市民目線で論じて貰いたいものだ。
因みに、京都御所が春と秋に年二回公開されるのは、いずれも「一般公開」と称されている。
10月下旬頃から始まり11月初旬の1週間程度の会期で公開されるのが、京都古文化保存協会の行う「京都非公開文化財特別公開」である。
そして、各寺院が主催者となり、紅葉を愛でながら、庭園や文化財、寺宝を鑑賞できるよう行っている「特別拝観」が、会期1ヶ月あまりで11月初旬から始まる。
「特別拝観」とほぼ同時期に行われる京都市観光協会が主催する「特別公開」たるものもあり、各寺院の行う「秋の特別公開」もある。
それぞれに公開、拝観がされているが、その定義は小生には理解できない。
中には、その複数を冠するところもあったし、ひとつが閉幕すると新たな冠で継続している寺院もあった。
更に、大方が閉幕するや、12月上旬より引き続いて夜の特別拝観「○○ライトアップ」と称して更なる拝観を促す寺院まである。
頭の回転の速くない小生には、全く以って難解である。
年中拝観させているなら、宝物を一つづつ小出しに公開しているのであって、寺院の特別公開ではなく、それは宝物の特別公開なのだから、錯誤を起こすものの不勉強と、切り捨てるのは乱暴であろう。
観光客誘致に積極的で町が活性化するのは、誠に結構なことである。
ならば、「特別」と「限定」という単語に弱い人間に、優しい寺院と町であって貰いたいと小生は願うのである。
今や、京都は年中、到るところに「特別○○」が蔓延しているではないか。
そんな中、目に留まったのは「秋の定期拝観」と冠した寺院であった。
普段は非公開寺院である大徳寺芳春院である。他寺院に準じて言うなら、毎年行われている「秋の特別公開」なのだが、「特別公開」などと冠せず「定期拝観」と一線を画した表現にされている。
この謙虚さに打たれた。どこもかしこも「特別」と関している中で、「特別」じゃないのか、「定期」なのかとは思わなかった。
一際その「定期公開」の文字に釘付けにされた。
未だ行ったことがない大徳寺の塔頭だったので、定期公開さえいけてなかったのだと思い、友を誘い紅葉狩を兼ね呑湖閣などを見学すべく早速に出かけた。
旧大宮通(紫竹街道)の総門の前に、「大徳寺 秋の特別公開」の大きな立て看板がある。
総見院、黄梅院、興臨院、本坊・唐門の文字が大書され、芳春院の文字はなかった。
更に、大書された四箇所の公開日は、それぞれでばらばらである。
見間違いかと不安を抱きながら総門を潜り、山内図を確認し、芳春院へと向かった。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、京都でも有数の禅宗大寺院である。
仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、山内の塔頭は21ヶ寺を誇り、茶の湯との縁が深く、多くの茶人との関係を持ち、歴史の中にも度々登場する逸話をもつところである。
勅使門、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、それと平行して石畳の参道が続く。
山内の頭上は年中青々とした松葉が被い、入念に手入れされ緑を絶やさないところである。
石畳の行き着く正面が総務本所で、国宝方丈と唐門の拝観入り口となっている。
やはり、「特別公開」の看板が立てられていた。普段は公開されていないが、記憶に違いがなければ毎年公開されている筈だ。
その本坊庫裏の塀沿い左に、石畳が狭くなって続いている。行き着くところ正面が芳春院で、右に折れると、大仙院、真珠庵と建ち並んでいるところである。
「秋の定期拝観」を知らせる立て看板が山門の前に出されていた。
普段は公開されていない。いわゆる非公開寺院であるが、とりわけそれを強調する表示もされていない。芳春院の山門の奥には更に石畳が長く続き、山門の間からは色づいた楓が左右にさりげなく覗える。
「よくぞお出でなさった」と歓待を受けている気分になった。
右側手前に鮮やかな黄と深紅の葉色が競うように枝葉を伸ばしている。
その幹は塀の外であるから、隣の大仙院の庭園の楓なのだろう。
門を潜って参道を行く左手の寄りつきの庭の楓は、青、黄、橙、朱赤とグラデーションを見せ、正面に深紅の楓が待つ色模様である。
そこには、大徳寺総本山山内の持つ松の緑のイメージを一変させるかの紅葉があった。
植栽された楓の樹齢に違いはあれど、塔頭高桐院の圧巻の紅葉をはじめて見たときの意外性と、感動に相通ずるものを感じた。
芳春院は、慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ)が建立した前田家の菩提寺である。
開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったが、寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物は焼失しているそうだ。
しかし、その2年後に現在も残る客殿・庫裡・呑湖閣(どんこかく)などが再建された。
そして、明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興されたのである。
池に建つ呑湖閣(どんこかく)を配した楼閣庭園を一目観ずにはいられなかった。
元和3年(1617年)に前田利家の子・利長が小堀政一(遠州)に依頼して建てたものと伝えられる二重楼閣であるという。
その呑湖閣こそ、金閣・銀閣・飛雲閣と並ぶ「京の四閣」と称されているからである。
二つ目の門を入ると正面に庫裡があり、左手に瓦葺唐破風の玄関門がある。
その先には華灯窓を通して苔と石が覗えた。方丈へ上る前に観る中根金作作庭の枯山水で、華灯窓の右手には白砂と通用門らしきものが見えている。
これが方丈庭の最初の景色だった。
方丈庭の縁に腰を下ろし眺める庭は枯山水の白砂が眩しい。以前は桔梗が一面に咲き乱れる庭だったとの説明があった。それにしても、方丈からの眺めは実に素晴らしい。前方塀の上は木々の上方に大きく空が広がり、建物も電線も一切ないのである。境内の遥か先の周縁は北大路通ではなく、永遠の空なのだ。
方丈の縁を右に回り込むと、初めて呑湖閣の屋根が表れた。
雨漏りからの修復で、新旧の木肌の色の違いが気になった。数年後に再度訪れることを決めた。
残念ながら、落葉亭、松月軒、如是庵の三つの茶室は公開されておらず、茶会の招待に預からないと観ることはできないようだ。
呑湖閣の撮影が禁止されているのでお見せできないのが誠に残念だが、観光名所や寺院などで、その撮影禁止の理由を説明された例がないので、小生には少々不満が残る。
陽が翳り出してきた。
慌てて、芳春院を後にして、隣の大仙院の寄りつき庭の紅葉と国宝玄関前の黄葉を観た。
広い境内の石畳を歩きながら、塀から顔を出す楓を眺め、非公開としている各塔頭の山門から覗える紅葉を覗き見し、常時公開寺院の高桐院の客殿に向かった。
大徳寺で一番であろう圧巻の紅葉を眺め、お抹茶で一息いれるのである。
春秋に行われている公開・拝観であるが、市内の各寺院を合わせると、到底回りきれるものではない。
おりしも紅葉シーズンであり、紅葉狩との間合いも考えると、仕事を放り投げてもワンシーズンでは無理なことである。
選定する折に頼りにするのは、「特別」という二文字となるが、これを逆手に「特別」と冠する寺院ばかりではないか。
観光客動員に躍起になるのは分らなくない。
しかし、寺院たるものが、一般観光客、小市民を相手に、流石に不実ではないが紛らわしいキャッチフレーズを使うのはいかがなものなのか、仏教界はこれをテーマにあげ、小市民目線で論じて貰いたいものだ。
因みに、京都御所が春と秋に年二回公開されるのは、いずれも「一般公開」と称されている。
10月下旬頃から始まり11月初旬の1週間程度の会期で公開されるのが、京都古文化保存協会の行う「京都非公開文化財特別公開」である。
そして、各寺院が主催者となり、紅葉を愛でながら、庭園や文化財、寺宝を鑑賞できるよう行っている「特別拝観」が、会期1ヶ月あまりで11月初旬から始まる。
「特別拝観」とほぼ同時期に行われる京都市観光協会が主催する「特別公開」たるものもあり、各寺院の行う「秋の特別公開」もある。
それぞれに公開、拝観がされているが、その定義は小生には理解できない。
中には、その複数を冠するところもあったし、ひとつが閉幕すると新たな冠で継続している寺院もあった。
更に、大方が閉幕するや、12月上旬より引き続いて夜の特別拝観「○○ライトアップ」と称して更なる拝観を促す寺院まである。
頭の回転の速くない小生には、全く以って難解である。
年中拝観させているなら、宝物を一つづつ小出しに公開しているのであって、寺院の特別公開ではなく、それは宝物の特別公開なのだから、錯誤を起こすものの不勉強と、切り捨てるのは乱暴であろう。
観光客誘致に積極的で町が活性化するのは、誠に結構なことである。
ならば、「特別」と「限定」という単語に弱い人間に、優しい寺院と町であって貰いたいと小生は願うのである。
今や、京都は年中、到るところに「特別○○」が蔓延しているではないか。
そんな中、目に留まったのは「秋の定期拝観」と冠した寺院であった。
普段は非公開寺院である大徳寺芳春院である。他寺院に準じて言うなら、毎年行われている「秋の特別公開」なのだが、「特別公開」などと冠せず「定期拝観」と一線を画した表現にされている。
この謙虚さに打たれた。どこもかしこも「特別」と関している中で、「特別」じゃないのか、「定期」なのかとは思わなかった。
一際その「定期公開」の文字に釘付けにされた。
未だ行ったことがない大徳寺の塔頭だったので、定期公開さえいけてなかったのだと思い、友を誘い紅葉狩を兼ね呑湖閣などを見学すべく早速に出かけた。
旧大宮通(紫竹街道)の総門の前に、「大徳寺 秋の特別公開」の大きな立て看板がある。
総見院、黄梅院、興臨院、本坊・唐門の文字が大書され、芳春院の文字はなかった。
更に、大書された四箇所の公開日は、それぞれでばらばらである。
見間違いかと不安を抱きながら総門を潜り、山内図を確認し、芳春院へと向かった。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、京都でも有数の禅宗大寺院である。
仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、山内の塔頭は21ヶ寺を誇り、茶の湯との縁が深く、多くの茶人との関係を持ち、歴史の中にも度々登場する逸話をもつところである。
勅使門、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、それと平行して石畳の参道が続く。
山内の頭上は年中青々とした松葉が被い、入念に手入れされ緑を絶やさないところである。
石畳の行き着く正面が総務本所で、国宝方丈と唐門の拝観入り口となっている。
やはり、「特別公開」の看板が立てられていた。普段は公開されていないが、記憶に違いがなければ毎年公開されている筈だ。
その本坊庫裏の塀沿い左に、石畳が狭くなって続いている。行き着くところ正面が芳春院で、右に折れると、大仙院、真珠庵と建ち並んでいるところである。
「秋の定期拝観」を知らせる立て看板が山門の前に出されていた。
普段は公開されていない。いわゆる非公開寺院であるが、とりわけそれを強調する表示もされていない。芳春院の山門の奥には更に石畳が長く続き、山門の間からは色づいた楓が左右にさりげなく覗える。
「よくぞお出でなさった」と歓待を受けている気分になった。
右側手前に鮮やかな黄と深紅の葉色が競うように枝葉を伸ばしている。
その幹は塀の外であるから、隣の大仙院の庭園の楓なのだろう。
門を潜って参道を行く左手の寄りつきの庭の楓は、青、黄、橙、朱赤とグラデーションを見せ、正面に深紅の楓が待つ色模様である。
そこには、大徳寺総本山山内の持つ松の緑のイメージを一変させるかの紅葉があった。
植栽された楓の樹齢に違いはあれど、塔頭高桐院の圧巻の紅葉をはじめて見たときの意外性と、感動に相通ずるものを感じた。
芳春院は、慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ)が建立した前田家の菩提寺である。
開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったが、寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物は焼失しているそうだ。
しかし、その2年後に現在も残る客殿・庫裡・呑湖閣(どんこかく)などが再建された。
そして、明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興されたのである。
池に建つ呑湖閣(どんこかく)を配した楼閣庭園を一目観ずにはいられなかった。
元和3年(1617年)に前田利家の子・利長が小堀政一(遠州)に依頼して建てたものと伝えられる二重楼閣であるという。
その呑湖閣こそ、金閣・銀閣・飛雲閣と並ぶ「京の四閣」と称されているからである。
二つ目の門を入ると正面に庫裡があり、左手に瓦葺唐破風の玄関門がある。
その先には華灯窓を通して苔と石が覗えた。方丈へ上る前に観る中根金作作庭の枯山水で、華灯窓の右手には白砂と通用門らしきものが見えている。
これが方丈庭の最初の景色だった。
方丈庭の縁に腰を下ろし眺める庭は枯山水の白砂が眩しい。以前は桔梗が一面に咲き乱れる庭だったとの説明があった。それにしても、方丈からの眺めは実に素晴らしい。前方塀の上は木々の上方に大きく空が広がり、建物も電線も一切ないのである。境内の遥か先の周縁は北大路通ではなく、永遠の空なのだ。
方丈の縁を右に回り込むと、初めて呑湖閣の屋根が表れた。
雨漏りからの修復で、新旧の木肌の色の違いが気になった。数年後に再度訪れることを決めた。
残念ながら、落葉亭、松月軒、如是庵の三つの茶室は公開されておらず、茶会の招待に預からないと観ることはできないようだ。
呑湖閣の撮影が禁止されているのでお見せできないのが誠に残念だが、観光名所や寺院などで、その撮影禁止の理由を説明された例がないので、小生には少々不満が残る。
陽が翳り出してきた。
慌てて、芳春院を後にして、隣の大仙院の寄りつき庭の紅葉と国宝玄関前の黄葉を観た。
広い境内の石畳を歩きながら、塀から顔を出す楓を眺め、非公開としている各塔頭の山門から覗える紅葉を覗き見し、常時公開寺院の高桐院の客殿に向かった。
大徳寺で一番であろう圧巻の紅葉を眺め、お抹茶で一息いれるのである。
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