祇園祭 鴨川を神輿は渡り 山鉾は渡らず

祇園祭と鴨川 by 五所光一郎

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祇園祭の10日といえば、鉾町での「鉾建て」と鴨川四条での「神輿洗いの神事」の日である。


神輿洗い」とは、八坂神社本殿前で点火された大松明により、四条大橋までの四条通が祓い清められた後、神輿蔵から出され舞殿に飾られた神輿が四条大橋まで、「ホイト ホイト」の掛け声で担ぎ出される。そして、四条大橋では鴨川から汲み上げられた水に榊が浸され、神輿が清められるのだ。

17日の神幸祭を控えて「中御座(なかござ)」の神輿を清めておく神事である。
「中御座」の神輿は「三若(さんわか)」の氏子で担がれるのだが、「神輿洗い」に限っては何故か「東御座」の氏子「四若(しわか)」が担ぎ、仕切っている不思議がある。

三若」「四若」など祇園祭の詳細は、発売中の「京都CF!」8月号をご参照いただきたい。
さて、神輿洗いの行われている四条大橋が、大橋となったのは幕末である。それまで四条大橋は四条橋と呼ばれていた。

その頃の公儀の橋といえば、三条大橋と五条大橋(石橋)であり、他の橋はどれも簡易な板橋であった。四条橋は中洲を挟んで二つあったようである。
絵図を見ると、三条大橋であっても、牛車が渡る「車道」は別に設けられ、「車石」(くるまいし)が敷かれていたことがわかる。積荷の重量と車輪とで橋の板を傷めない知恵であったのだろう。車石のへこみ跡を見ると頷ける。
すると、祇園祭の神輿渡御で鴨川を渡るには、その重量に四条橋の板橋では到底耐えられなかったのだろうか。

祇園祭となると、丸太による浮橋「四条橋」が都度架けられていたという話を耳にした。

丸太の浮橋の上を神輿を担いで渡るとは、一体どういうものだろうか。

舟の上に板を渡した浮橋の構造とはどんなものなのだろうか、(洛中洛外図屏風)
祇園祭の山鉾の巡行経路に八坂神社が入っていないのは、渡るに渡れなかったことが実情ではないだろうか。これも興味の的である。


神事用水清祓 (アルファステーション)
http://fm-kyoto.jp/topics/kyonokyo/2006/07/10/002235.html

祇園祭 神輿洗い
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/movienews/2006/digest/20060710gion_mikoshiarai.html

四条大橋界隈 (京都鴨川風光)
http://everkyoto.web.fc2.com/report7.html

【参照リンクには、現在なくなったものがあるかもしれません。順次訂正してまいりますが、ご容赦ください。】
5088-070710-7/10

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