写真は「瀧尾神社のおんな神輿」のポスター、
「平野神社の祭りに参加する外国人女性」、
「霊山観音で奉納をするフラダンス」だ。
どこか違和感を感じるのはなんでだろう。
もう何年前になるのだろうか。平成女鉾の新聞記事を初めて見たとき残念に思ったのは「何故、鉾ではなく山にしなかったのか」という事だった。山なら「女人禁制云々」は簡単にクリアできるはずだったから。だって、山には元々そんな禁制は無いのだし。
山鉾は女人禁制と言っても本来は鉾だけである。鉾というのは基本的には「戦車」なので女は乗せない。しかし山にはそんな規制は無く、鉾が女人禁制なので何となく山も禁制になっているだけなのである。
だから「平成女鉾」ではなく「〇〇山」で根回しをすれば早くに巡行参加の可能性が出たのでは? と思った次第。
最初に「平成女鉾」という名前があってそこからスタートしたからか、あるいは、やはり祭の中から出てきた変革ではないので「盛り上げよう」という一方的な善意に凝り固まっていたからか。いずれにしても祇園祭が神事であることが分かっていなかったのではないかという気になってしまう。
神事であるという基本を押えた上での話し合いではなく、「女人禁制なんか無い」とか「今どき古い」などと相手を論破しようとする姿勢には時間や労力を奉仕して祇園祭を支え続けてきた人たちに対する敬意も尊敬も感じられないのである。
かつてあったとされる「巡行の一番最後でもいいから参加させて欲しい」発言にもそれがある。
神事であることを忘れ観光面でしか物事を見ることが出来ない人たちからは、「巡行が11月に行われたこともある」という事実を指摘して「7月17日の巡行もその日にこだわる必要は無い」との趣旨の「上から目線」の発言が出たこともある。
したり顔で「山鉾の巡行が11月に行われたこともあるんですよお〜」と言う有識者のどこが悪いかというと、「巡行が11月に行われた」と言いながら「何故そうなったのか」という理由を隠しているからである。
確かに、明治12年(1890)の巡行は11月7日と13日に行われた。これはその年の夏、京都でコレラが発生したため祇園祭が延期になったからである。「想定外」の特殊な事情により祇園祭全体の延期を余儀なくされたのであった。この事実を隠して「巡行が11月に行われた」という事実だけを指摘することにより、今現在の巡行の日も17日にこだわるほどの事ではないという方向にミスリードしようとするのは、いささか姑息ではなかろうか。
たとえば、行政の都合で巡行を日曜日にしてほしいから有識者の口を借りて
「伝統と言いましてもね、巡行が11月に行われたこともあるんですよ。決して7月17日と決まっていたわけじゃないんです」
と事実を隠した説明をされれば、聞いた方は「なるほど、巡行を日曜にしてくれという行政の意見にも理があるのか」と思うだろう。
しかし正直に、
「伝統と言いましてもね、コレラが発生したために巡行が11月に行われたこともあるんですよ。決して7月17日と決まっていたわけじゃないんです」
と言ってもらえれば聞いた人は「そりゃ、今度またコレラが発生すれば11月にやればいい」と思うだけだろう。それでは困るから「コレラ発生」という事実を隠して恬として恥じない「有識者」に、祭の内容に介入する発言をする資格があるのだろうか。
しかしまあ、コレラによる延期があったにせよ巡行は行われたのであるから、その年の巡行は正に祇園祭の原点に立ち返る「疫病退散」のためのものであったといえよう。
それとも、「かつて巡行が11月に行われたように」現代でも日を変えるというのは、またコレラを発生させるつもりなのであろうか。
何はともあれ、汗を流して祇園祭を支えている多くの人を説得するのに、エアコンの利いた部屋でご高説を述べる有識者など不要ではないかと思うときがある。
それはそれとして、平成26年に予定されている後祭復活に合わせて平成女鉾が巡行に参加する可能性はあるだろう。
後祭の「目玉商品」として京都市も支援するに違いない。
しかし間違っても後祭でもいいから巡行に参加させて欲しいなどと言わないことである。前回でも書いたように後祭は還幸祭と一体になった重要な巡行なのである。
さらに巡行だけが祇園祭ではない。1ヶ月すべての行事に参画できるのか。ときたま巡行だけが祇園祭だと思ったり、「巡行がハイライトだ」として他を軽視したりする「有識者」がいる。そんな態度で山鉾連合会と交渉しても物事は進まない。祇園祭全体の中での巡行の位置づけ(クライマックスでもハイライトでもない)を抑えておいて欲しい。
そして晴れて巡行に参加するときには、女人禁制の鉾があるように、こちらは男子禁制を貫いてもらいたいものである。それが公平というものである。そのためにも「女人禁制なんて無かった」などという屁理屈は引っ込めてもらわねば。
それならどのような根回しが必要なのだろうか。
「祭」とか「祭への参加」というのは本来は地味な作業の積み重ね。ゆっくりと確実にやって行く。でも、チャンスが来たら、すぐに食いつく敏捷性も必要になる。
私ならまず平成女鉾の名を〇〇山に改めさせる。長刀鉾とか菊水鉾とか、南観音山とか蟷螂山とか、優雅な名前が並ぶ山鉾の中にあって「平成女鉾」ではあまりに即物的でセンスが無いのではないか。まあ、これも上からの発案だったのなら仕方が無い。
とにかく山鉾町からの意見・希望を収集する。こうして出来上がったロードマップをもとに、地元の人たちと一体となって祭の歴史、民俗、記憶を辿るようなプログラムを立ち上げる。こういった根回しが必要である。
一部の有識者の方が理解できていないのは「祭の行事に意味のないものは無い」「祭の流れは不可逆で、いっぺん壊れたもんはそう簡単に元に戻らない」「地元の人間を上手く巻き込まないと遅かれ早かれ『お祭り騒ぎ』で終わる」ということ。そして「祭を形作っていくのはコンセプターや行政や有識者ではない」ということだ。
それぞれの山鉾には、それぞれに異なる歴史と伝承と文化がある。部外者がトップダウンでマスタープランを構築するのではなく、山鉾町の意見に基づき文化を尊重する創生をする事。大きな鉾や小さな山だけではなく、小さな鉾や大きな山もあり、全てに来歴がある。全て平等である。
創生や変革の対象とする山鉾町の歴史、風土を知る努力もせず、起業塾みたいな机上の空論や、過去の成功事例を待ち出したり、盛り上げようという無邪気な善意で祭は変わらない。
「伝統と言ってもそんなことはない」と主張する夜郎自大、「自分たちで盛り上げる」という自己陶酔、「頑なで分ってくれない」という被害妄想、これらすべては変革の足を引っ張る。
祇園祭に限らず京都の祭が各地の行政が主導してやってるイベントよりも求心力があるのは、地元の人間が根本的な地元愛を背景に行っているからである。業者がお金のためだけにやっていたり、行政が観光客数を増やすためにやっているのとは違う真剣さがそこにはある。有識者のご託宣にはない共同体的連帯感がある。
どんなに観光化された祭であったとしても、そこには神事としての尊厳が今なお存在する。平成女鉾が巡行に参加する日、ジャーナリズムや設立に参画した「お上」に連なる人たちははしゃいで小躍りするだろうが、実際に祭に加わる女性たちにはムードに流されることなく、神事の新たな伝統を作ってもらいたいと願う。多分、出来ると思う。
「平野神社の祭りに参加する外国人女性」、
「霊山観音で奉納をするフラダンス」だ。
どこか違和感を感じるのはなんでだろう。
もう何年前になるのだろうか。平成女鉾の新聞記事を初めて見たとき残念に思ったのは「何故、鉾ではなく山にしなかったのか」という事だった。山なら「女人禁制云々」は簡単にクリアできるはずだったから。だって、山には元々そんな禁制は無いのだし。
山鉾は女人禁制と言っても本来は鉾だけである。鉾というのは基本的には「戦車」なので女は乗せない。しかし山にはそんな規制は無く、鉾が女人禁制なので何となく山も禁制になっているだけなのである。
だから「平成女鉾」ではなく「〇〇山」で根回しをすれば早くに巡行参加の可能性が出たのでは? と思った次第。
最初に「平成女鉾」という名前があってそこからスタートしたからか、あるいは、やはり祭の中から出てきた変革ではないので「盛り上げよう」という一方的な善意に凝り固まっていたからか。いずれにしても祇園祭が神事であることが分かっていなかったのではないかという気になってしまう。
神事であるという基本を押えた上での話し合いではなく、「女人禁制なんか無い」とか「今どき古い」などと相手を論破しようとする姿勢には時間や労力を奉仕して祇園祭を支え続けてきた人たちに対する敬意も尊敬も感じられないのである。
かつてあったとされる「巡行の一番最後でもいいから参加させて欲しい」発言にもそれがある。
神事であることを忘れ観光面でしか物事を見ることが出来ない人たちからは、「巡行が11月に行われたこともある」という事実を指摘して「7月17日の巡行もその日にこだわる必要は無い」との趣旨の「上から目線」の発言が出たこともある。
したり顔で「山鉾の巡行が11月に行われたこともあるんですよお〜」と言う有識者のどこが悪いかというと、「巡行が11月に行われた」と言いながら「何故そうなったのか」という理由を隠しているからである。
確かに、明治12年(1890)の巡行は11月7日と13日に行われた。これはその年の夏、京都でコレラが発生したため祇園祭が延期になったからである。「想定外」の特殊な事情により祇園祭全体の延期を余儀なくされたのであった。この事実を隠して「巡行が11月に行われた」という事実だけを指摘することにより、今現在の巡行の日も17日にこだわるほどの事ではないという方向にミスリードしようとするのは、いささか姑息ではなかろうか。
たとえば、行政の都合で巡行を日曜日にしてほしいから有識者の口を借りて
「伝統と言いましてもね、巡行が11月に行われたこともあるんですよ。決して7月17日と決まっていたわけじゃないんです」
と事実を隠した説明をされれば、聞いた方は「なるほど、巡行を日曜にしてくれという行政の意見にも理があるのか」と思うだろう。
しかし正直に、
「伝統と言いましてもね、コレラが発生したために巡行が11月に行われたこともあるんですよ。決して7月17日と決まっていたわけじゃないんです」
と言ってもらえれば聞いた人は「そりゃ、今度またコレラが発生すれば11月にやればいい」と思うだけだろう。それでは困るから「コレラ発生」という事実を隠して恬として恥じない「有識者」に、祭の内容に介入する発言をする資格があるのだろうか。
しかしまあ、コレラによる延期があったにせよ巡行は行われたのであるから、その年の巡行は正に祇園祭の原点に立ち返る「疫病退散」のためのものであったといえよう。
それとも、「かつて巡行が11月に行われたように」現代でも日を変えるというのは、またコレラを発生させるつもりなのであろうか。
何はともあれ、汗を流して祇園祭を支えている多くの人を説得するのに、エアコンの利いた部屋でご高説を述べる有識者など不要ではないかと思うときがある。
それはそれとして、平成26年に予定されている後祭復活に合わせて平成女鉾が巡行に参加する可能性はあるだろう。
後祭の「目玉商品」として京都市も支援するに違いない。
しかし間違っても後祭でもいいから巡行に参加させて欲しいなどと言わないことである。前回でも書いたように後祭は還幸祭と一体になった重要な巡行なのである。
さらに巡行だけが祇園祭ではない。1ヶ月すべての行事に参画できるのか。ときたま巡行だけが祇園祭だと思ったり、「巡行がハイライトだ」として他を軽視したりする「有識者」がいる。そんな態度で山鉾連合会と交渉しても物事は進まない。祇園祭全体の中での巡行の位置づけ(クライマックスでもハイライトでもない)を抑えておいて欲しい。
そして晴れて巡行に参加するときには、女人禁制の鉾があるように、こちらは男子禁制を貫いてもらいたいものである。それが公平というものである。そのためにも「女人禁制なんて無かった」などという屁理屈は引っ込めてもらわねば。
それならどのような根回しが必要なのだろうか。
「祭」とか「祭への参加」というのは本来は地味な作業の積み重ね。ゆっくりと確実にやって行く。でも、チャンスが来たら、すぐに食いつく敏捷性も必要になる。
私ならまず平成女鉾の名を〇〇山に改めさせる。長刀鉾とか菊水鉾とか、南観音山とか蟷螂山とか、優雅な名前が並ぶ山鉾の中にあって「平成女鉾」ではあまりに即物的でセンスが無いのではないか。まあ、これも上からの発案だったのなら仕方が無い。
とにかく山鉾町からの意見・希望を収集する。こうして出来上がったロードマップをもとに、地元の人たちと一体となって祭の歴史、民俗、記憶を辿るようなプログラムを立ち上げる。こういった根回しが必要である。
一部の有識者の方が理解できていないのは「祭の行事に意味のないものは無い」「祭の流れは不可逆で、いっぺん壊れたもんはそう簡単に元に戻らない」「地元の人間を上手く巻き込まないと遅かれ早かれ『お祭り騒ぎ』で終わる」ということ。そして「祭を形作っていくのはコンセプターや行政や有識者ではない」ということだ。
それぞれの山鉾には、それぞれに異なる歴史と伝承と文化がある。部外者がトップダウンでマスタープランを構築するのではなく、山鉾町の意見に基づき文化を尊重する創生をする事。大きな鉾や小さな山だけではなく、小さな鉾や大きな山もあり、全てに来歴がある。全て平等である。
創生や変革の対象とする山鉾町の歴史、風土を知る努力もせず、起業塾みたいな机上の空論や、過去の成功事例を待ち出したり、盛り上げようという無邪気な善意で祭は変わらない。
「伝統と言ってもそんなことはない」と主張する夜郎自大、「自分たちで盛り上げる」という自己陶酔、「頑なで分ってくれない」という被害妄想、これらすべては変革の足を引っ張る。
祇園祭に限らず京都の祭が各地の行政が主導してやってるイベントよりも求心力があるのは、地元の人間が根本的な地元愛を背景に行っているからである。業者がお金のためだけにやっていたり、行政が観光客数を増やすためにやっているのとは違う真剣さがそこにはある。有識者のご託宣にはない共同体的連帯感がある。
どんなに観光化された祭であったとしても、そこには神事としての尊厳が今なお存在する。平成女鉾が巡行に参加する日、ジャーナリズムや設立に参画した「お上」に連なる人たちははしゃいで小躍りするだろうが、実際に祭に加わる女性たちにはムードに流されることなく、神事の新たな伝統を作ってもらいたいと願う。多分、出来ると思う。
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