珍無類、京都の大仏物語(その5・大仏最後の受難)
  〜大仏様の数奇な運命は悲劇か喜劇か?〜

【言っておきたい古都がある・21】 by 谷口 年史

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 数々の災難を受けてきた京都の大仏様だが、次々と潰れていく割には次々と再建されて、結構しぶといのである。

 踏まれても蹴られても野に咲く花のようにたくましい。
 この「しぶとさ」が京都なのかもしれない。

 さて、天保14年(1843)再建の5代目の大仏様は木造の半身像であった。だいたい胸から上の像だったと思ってもらえばいい。

 前回までの記事を読んできて、勘のいい方はお分かりかと思うが、京都の大仏様というのは再建されるたびに小さくなっていくようである。

 さて、この天保の大仏が江戸時代が終わった後も、明治・大正・昭和と方広寺に存在した。「国家安康」の鐘の奥、今では駐車場になっている場所である。

 ところが何と、幕末から昭和までの激動の時代を耐え抜いてきたこの5代目大仏にも災難が!

 今から約30年前の昭和48年(1973)3月27日、またもや火事で燃えてしまった。嗚呼。。。

 近所の人に話を聞いたのだが、その夜、午後11時ごろに燃えたのだそうだ。
 実に良く燃えたという。
 ここまで来ると笑い飛ばすしかないか?

 こうして大仏様は無しのまま現在に至っている。
    ※
 さて、ここまで京都の大仏様が辿った数奇な運命についてみてきたが、全体を振り返ってみよう。

1.地震で潰れています。

2.落雷にも会いました。

3.火事でも燃えてます。

4.梵鐘が原因で徳川家康からいちゃもんを付けられました。
 
 地震雷火事親父。四つの災難を全て蒙っているのだ。なんというご利益のない大仏様か。。。
 
 いやいや、物は考えよう。こうやって、大仏様が京都の災難を一身に引き受けてくださったからこそ、民衆が安寧に暮らせていたのではないでしょうか。こういうプラス思考が必要ではないかと思う。
 
 ところで、ツアーのお客様から「京都の大仏様を再建する話はないのですか」と言う質問を受けたことがある。
「無いです」と答えました。
「何故ですか」と訊かれたので、
「再建したら、また何が起きるか分かりませんから」と答えたら、笑いながら納得してくださいました。

 こうして京都の大仏様は無くなった、と言ってしまうのは簡単なのだが、実はそう簡単ではないのである。

 三十三間堂の前を通ったことのある人なら、その向かい側にある交番が「大仏前交番」であることに気づかれるだろう。
 京都の大仏様は無くなっても「大仏前交番」は残っているのである。これが京都的というのだろうか。
 これが東京なら、すぐ「博物館前交番」に変りますよ、きっと。

 交番だけではない。豊国神社の前から甘春堂東店の前を通り西に行って最初の通りを右(北)に行けば郵便局がある。そこは京都大仏前郵便局なのである。大仏様は郵便局の名前としてしっかりと残っているのだ。

 もうひとつ。三十三間堂の南大門を出てすぐに関西電力の変電所がある。何を隠そう(別に誰も隠してないが)こここそ大仏変電所なのだ。ここでも大仏様は健在なのである。

 実体としての大仏様は無くなってしまった。しかしその名前は生き残っているのである。

 素晴らしき哉、この生命力。

 艱難辛苦も七難八苦もなんのその。これこそが京都なのである。そう簡単にはくたばらない。

 やはり、このしぶとさが京都ならでは、ではないだろうか。


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