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伏見街道もそろそろクライマックスになってきた。
立派なカトリック教会のすぐ隣には聖母学園という女子大がある。もちろん、この教会に併設されている学校だが、この校舎こそは戦前の陸軍第十六師団本部なのである。軍人の拠点がキリスト教系の学校になったのだから、運命というものは人間であれ建物であれ分らないものである。
現代でも昔の小学校がマンガミュージアムになったり芸術センターになったりしているが、こうやって再利用していくのも京都の伝統かもしれない。
よく見れば地面には「陸軍用地」の痕跡も残っているし、伏見街道の西側の道はそのものズバリ師団街道である。第一軍道というのも残っている。
堂々たる威容を誇るキリシタン・スポットを過ぎれば、軒先を店にしている八百屋さんがある。これはプロの八百屋さんではなく、普通の人が自分の家の前で売っているのだろうか。ひょっとして、家庭菜園?
いや、今は農地を貸し出すビジネスもあるので、そういうところで作った自家製野菜かもしれない。
まあ、確かなところは分らないが、値段は安いなあと思いながら歩を進めると町家がある。
「町家キルト工房」
伏見街道というのはクリエイターが住む場所でもあったのだ。
ただ、ここは一般公開している工房ではないので見学とかはない。前を見るだけで先に進むと、またもや焼き芋屋が。
豆腐屋も2軒合ったが焼き芋屋まで2軒あるのだ。ここも伏見稲荷を挟んであっちとこっちなので棲み分けが出来ているのだろう。
いもやを過ぎれば何とそこには軍人湯が。
こんなお風呂屋さんが健在なのである。
お風呂に入ることもなく歩き続ければ小さいながらも由緒のありそうなお寺に遭遇する。
「親鸞聖人御旧跡」
「玉日姫君御廟所」
「九条関白兼実公遺跡」
三本立てである。昔の祇園会館みたいだ。(ちょっと楽屋落ちだったかな?)
しかし、それにしても流石は京都というべきか、この伏見街道にもお寺が多い。
誠心寺というらしい(石に書いてあった文字を一所懸命読んだ)このお寺。本堂で法会や色々な集会をやっているようだが、この日のお知らせの貼り紙には「終了後、副住職によるマンドリン演奏があります」と記してあった。
21世紀である。
さらに歩を進めると現代的な店に歴史的な看板の掛かった酒屋がある。うっかりするとこの看板は見過ごしてしまうだろう。どこからみても現代的なお店にこんなレトロな看板がそのままになっているなんて、誰が想像するか。
この街道の最初には店構えそのものを残している酒屋が2軒あったが、店は建替えてもシンボルとしての看板は残している店もあるのだ。
そのまま進めば今度は大きすぎて見過ごしそうな看板だ。大女としか言いようがない。
歴史的なものがつついた中でこんなものがドンと出るというのも京都である。
さらに進めば「ふしぎ堂」がある。何が不思議なのかは知らないが、多分「不思議なほど安い」のだろう。いや、私の勝手な想像だけど。
そしてその先には伏見稲荷と並ぶ「大物」である藤森神社がある。
ここの境内には「不二の水」という名水が湧いている。近辺の人たちがよく汲みに来ているようだ。
競馬で有名な神社だけあって、絵馬堂にはナリタブライアンとかの、往年の名馬の絵馬が奉納されている。
伏見稲荷は観光客で賑わっているがここはそうでもない。
しかし、神社というものは本来ここのように静謐なものではないだろうか。
近年、パワースポットが流行っているが、ブームで人に溢れてしまい、ガシャガシャと騒がしい「パワースポット」などが有り得るのだろうかと思う。
藤森神社の近くにはこれまた大看板のお米屋さん。「百寿米・胚芽米」と右から左に書いてある。
さて皆さん、伏見街道はまだまだ続くのだが、ここから先は「見所」がほとんどないので私はここで歩くのをやめ、京阪の墨染駅でゴールインする。
興味のある方はそのまま京阪電車で伏見桃山まで行ってもらえば伏見街道の行き着く先、大手筋通りと御香宮神社を見ることが出来る。近辺には酒蔵もあり、坂本龍馬ゆかりの寺田屋も徒歩圏内である。
5回に渡って伏見街道を巡ってみたが、伏見という土地はまだまだ語りつくせるものではない。
稲荷・酒蔵・寺田屋の三題噺だけが伏見ではないのである。
これは京都に限ったことではない。他府県の皆さん、皆さんの周りにも良く見れば意外な「お宝」が残っているのではありませんか。
地元の人にとっては「あたりまえ」のことでも、外部のものが見れば「えーっ!」と思うことがいっぱいある。
他地域の成功例をそのまま真似したりせず、東京基準の発想しかない経営コンサルに頼らず、身近な「資源」を再評価してみては如何ですか。
立派なカトリック教会のすぐ隣には聖母学園という女子大がある。もちろん、この教会に併設されている学校だが、この校舎こそは戦前の陸軍第十六師団本部なのである。軍人の拠点がキリスト教系の学校になったのだから、運命というものは人間であれ建物であれ分らないものである。
現代でも昔の小学校がマンガミュージアムになったり芸術センターになったりしているが、こうやって再利用していくのも京都の伝統かもしれない。
よく見れば地面には「陸軍用地」の痕跡も残っているし、伏見街道の西側の道はそのものズバリ師団街道である。第一軍道というのも残っている。
堂々たる威容を誇るキリシタン・スポットを過ぎれば、軒先を店にしている八百屋さんがある。これはプロの八百屋さんではなく、普通の人が自分の家の前で売っているのだろうか。ひょっとして、家庭菜園?
いや、今は農地を貸し出すビジネスもあるので、そういうところで作った自家製野菜かもしれない。
まあ、確かなところは分らないが、値段は安いなあと思いながら歩を進めると町家がある。
「町家キルト工房」
伏見街道というのはクリエイターが住む場所でもあったのだ。
ただ、ここは一般公開している工房ではないので見学とかはない。前を見るだけで先に進むと、またもや焼き芋屋が。
豆腐屋も2軒合ったが焼き芋屋まで2軒あるのだ。ここも伏見稲荷を挟んであっちとこっちなので棲み分けが出来ているのだろう。
いもやを過ぎれば何とそこには軍人湯が。
こんなお風呂屋さんが健在なのである。
お風呂に入ることもなく歩き続ければ小さいながらも由緒のありそうなお寺に遭遇する。
「親鸞聖人御旧跡」
「玉日姫君御廟所」
「九条関白兼実公遺跡」
三本立てである。昔の祇園会館みたいだ。(ちょっと楽屋落ちだったかな?)
しかし、それにしても流石は京都というべきか、この伏見街道にもお寺が多い。
誠心寺というらしい(石に書いてあった文字を一所懸命読んだ)このお寺。本堂で法会や色々な集会をやっているようだが、この日のお知らせの貼り紙には「終了後、副住職によるマンドリン演奏があります」と記してあった。
21世紀である。
さらに歩を進めると現代的な店に歴史的な看板の掛かった酒屋がある。うっかりするとこの看板は見過ごしてしまうだろう。どこからみても現代的なお店にこんなレトロな看板がそのままになっているなんて、誰が想像するか。
この街道の最初には店構えそのものを残している酒屋が2軒あったが、店は建替えてもシンボルとしての看板は残している店もあるのだ。
そのまま進めば今度は大きすぎて見過ごしそうな看板だ。大女としか言いようがない。
歴史的なものがつついた中でこんなものがドンと出るというのも京都である。
さらに進めば「ふしぎ堂」がある。何が不思議なのかは知らないが、多分「不思議なほど安い」のだろう。いや、私の勝手な想像だけど。
そしてその先には伏見稲荷と並ぶ「大物」である藤森神社がある。
ここの境内には「不二の水」という名水が湧いている。近辺の人たちがよく汲みに来ているようだ。
競馬で有名な神社だけあって、絵馬堂にはナリタブライアンとかの、往年の名馬の絵馬が奉納されている。
伏見稲荷は観光客で賑わっているがここはそうでもない。
しかし、神社というものは本来ここのように静謐なものではないだろうか。
近年、パワースポットが流行っているが、ブームで人に溢れてしまい、ガシャガシャと騒がしい「パワースポット」などが有り得るのだろうかと思う。
藤森神社の近くにはこれまた大看板のお米屋さん。「百寿米・胚芽米」と右から左に書いてある。
さて皆さん、伏見街道はまだまだ続くのだが、ここから先は「見所」がほとんどないので私はここで歩くのをやめ、京阪の墨染駅でゴールインする。
興味のある方はそのまま京阪電車で伏見桃山まで行ってもらえば伏見街道の行き着く先、大手筋通りと御香宮神社を見ることが出来る。近辺には酒蔵もあり、坂本龍馬ゆかりの寺田屋も徒歩圏内である。
5回に渡って伏見街道を巡ってみたが、伏見という土地はまだまだ語りつくせるものではない。
稲荷・酒蔵・寺田屋の三題噺だけが伏見ではないのである。
これは京都に限ったことではない。他府県の皆さん、皆さんの周りにも良く見れば意外な「お宝」が残っているのではありませんか。
地元の人にとっては「あたりまえ」のことでも、外部のものが見れば「えーっ!」と思うことがいっぱいある。
他地域の成功例をそのまま真似したりせず、東京基準の発想しかない経営コンサルに頼らず、身近な「資源」を再評価してみては如何ですか。
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