新春祇園めぐり(その2)
   〜ドラマや映画でもお馴染みの場所〜

【言っておきたい古都がある・31】 by 谷口 年史

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 前回、膳所藩のお殿様が屋敷の中に自前の火の見櫓を作って幕府から仰せつかった火消し役の仕事にハッスルしていたという話をした。
 ところが「ある悲劇」に見舞われたと。
 今回はその詳細から始めよう。

 膳所藩主が火の見櫓を建てたのが享保7年(1722)だが、その22年後の天明8年(1788)に起きたのが有名な天明の大火である。
 その火事は団栗橋、つまり四条大橋のひとつ南にある橋の、南東詰めの民家から火が出て、それが鴨川を越えて飛び火した。
 その飛び火したのが一気に燃え広がり、二日二晩燃え続けてようやく鎮火した時には火の手が鞍馬山の麓にまで達していたという。
 もう京都を丸焼けにしたのである。

 さて、膳所藩の火の見櫓はこの団栗橋からそんなに遠いわけではない。
 むしろ近い。
 なのに膳所藩は大火を防げなかったのか。

 どんなに殿様がハッスルしても、66年もたつとタガが緩むというか、平和ボケしてしまうのかな。
 せっかくの活躍のチャンスに、自分たちまで丸焼けになってしまった。
 お気の毒としか言いようがない。

 余談はさておき、我々は足を辰巳大明神へと向けよう。
 このあたりは映画やドラマでお馴染みの場所である。もうこの辺を撮っておけば「京都」という感じになる。定番と言えば定番、安易と言えば安易である。

 ここは「辰巳稲荷」とも言われたりするが、本当に祀られていたのはタヌキなのだそうである。キツネではない。

 かつてこの界隈にイタズラ好きなタヌキがいた。
 祇園でお酒を飲んで家に帰ろうとした人が巽橋を渡ろうとして足を踏み出すと、あるはずの橋が無く、川にドボンとはまってしまった。
 タヌキに幻覚を見せられて、橋ではないところに踏み出してしまったのだ。

 この「事件」が相次ぎ、このタヌキを何とかせねばならないと、捕まえようとしたものの、いつも逃げられてまう。
 それでとうとう捕まえるのを諦め、逆に神様として祀ったのである。

「これからは神様ですから大人しくして下さい」と。

 まあ、懐柔策に出たのですね。
 タヌキの方もわけが分らなかっただろうが、「神様と言われたら神様らしくしないかんかな」と大人しくなってしまった。

 それだけなら良いのだが、歳月がたつとみんなタヌキの事を忘れてしまったのか、何時の頃からかキツネの置物が置かれて「辰巳稲荷」とも言う人が現れたのである。
 神様にされてしまったかと思えば今度はキツネにされてしまい、タヌキも「さっぱりわや」である。
 ひょっとしたらお社の中で自分のアイデンテイティーについて悩んでいるかもしれない。

 ところで、昔からタヌキには「化かされる」と言い、キツネには「つままれる」と言う。
 微妙にニュアンスが違うのである。

 どうもタヌキの方がユーモラスな感じがする。
 キツネと言うと「狡賢い」というイメージ。

 「タヌキ親爺」というのは「悪い人」なのだけれども、どこか憎めない「チョイ悪オヤジ」風の人物のことではないだろうか。
 それに対して「女ギツネ」というのは、もう丸々悪女(ただし美人)である。

 「タヌキの金玉は八畳敷き」とも言われ(今でも言うのかな?)このあたりも親しみ易さの元になっている。

 さて、ここでまた歩き出すとしよう。

(来週に続く)



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