今年も早々と半分が過ぎ、暑い季節がやって来た。とにかく京都は暑い。沖縄の人が「京都の夏は厳しい」と言うぐらいである。恐らく湿度の関係だろう。ちなみに、北海道の人が「京都の冬は厳しい」と言う。これも底冷えの関係だろう。
「あ〜、暑い暑い」とみんなが言う季節。「暑いなあ〜、暑いなあ〜」と言いまくる。そして「暑い」といえば
祇園祭!
「祇園祭の時は暑い」のではない。「暑いから祇園祭」なのである。
で、今年の祇園祭を話題にするとなれば、「後の祭り」は復活するかどうかが一番ホットなテーマであろうが、私はそれはちょっと後回しにして、時々新聞に出る平成女鉾について述べさせてもらいたい。
私はこの平成女鉾というのは一般の女性陣から湧き上がってきたものだと思っていたのだが、調べてみたら間違いであった。
平成6年、平安建都千二百年事業をきっかけに「平成女鉾をつくる会」発足した。
老若男女を問わず参加できる鉾をつくり、伝統と文化を花開かせ新しい歴史を開いていこう、という構想が平安建都千二百年事業の中で持ち上がり、有識者の協力や財界の有志により「平成女鉾をつくる会」発足。
つまり上からの発案だったのである。
ちなみに発足当初は寄付も集まったのか、平成8年に完成した平成女鉾の制作費は5千万円だったという。鉾重量10t、高さ20m、幅4.5m。祭神は櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)。立派なものである。
もちろん、囃子方は女性だけの「平成女鉾清音(さやね)会」。50人ほどのメンバーが函谷鉾の囃子方の指導のもとで、祇園祭参加を目指し日々練習を重ねていて、従来の「町」単位ではなく祇園祭を愛する誰もが参加できるコミュニティで支えられている、というのが売りである。
平成女鉾はこれは平成12・13年に京都駅ビルに建てられ、平成19年には平成女鉾清音会10周年イベントとして、平成女鉾が新風館の中庭に建てられた。新風館を山鉾町に、来館者を町衆に見立てて、鉾の組み立てやお囃子を披露するというものだった。
また、平成17年まで開催されていた「京都まつり」では、鉾巡行で参加した事もある。
そこそこの実績を上げているのである。
それでも一度だけ転機があった。
平成14年6月、平成女鉾の会解散・囃子方清音会が鉾の運営を引き継ぐ。平成女鉾清音会へと転身したのである。
この経過は良く分らないが、新聞記事などから推測すると巡行参加の目処が立たないから挫折したのでは、と思えてくる。
記事で気になったのは「巡行の一番最後でいいから参加させて欲しい」という頼み方をしたらしい(あくまでも推測である)。
事実ならば頓珍漢な頼み方をしたものだ、と記事を読んだ当時は思った。
巡行の一番最後はくじ取らずで南観音山と決まっている(今年は変わる。この話は次回に)。一番最後、つまり巡行そのものを締めくくる重要なポジションを「寄こせ」と言ったのでは参加などさせてもらえるはずが無い。
女鉾の会のメンバーでもこの程度の認識だったかと苦笑したのだが、創立の経過をおさらいしてみると「巡行の最後でも」という言葉は女鉾の会からではなく、最初に構想を出した平安建都千二百年事業の中の有識者や財界から出たのでは、という気がしてきたのである。
だとすればお気の毒としか言いようがない。「有識者」の類はたまにこういうことをやらかす。
女鉾の会の初代の会長は表舞台から去ったものの、二代目の会長は新聞のインタビューに「私が70歳になる頃に巡行に参加させてもらえたら」と答えている。
このぐらいのスパンで見ることが出来るということは、巡行参加の実現が見えてくるということ。恐らく、70歳まで待つことは無いだろう。
(現在、平成女鉾清音会は、毎年祇園祭の期間中の7月下旬頃八坂神社へお囃子を奉納しています。平成24年は7月29日(日)14時半〜15時頃)
「あ〜、暑い暑い」とみんなが言う季節。「暑いなあ〜、暑いなあ〜」と言いまくる。そして「暑い」といえば
祇園祭!
「祇園祭の時は暑い」のではない。「暑いから祇園祭」なのである。
で、今年の祇園祭を話題にするとなれば、「後の祭り」は復活するかどうかが一番ホットなテーマであろうが、私はそれはちょっと後回しにして、時々新聞に出る平成女鉾について述べさせてもらいたい。
私はこの平成女鉾というのは一般の女性陣から湧き上がってきたものだと思っていたのだが、調べてみたら間違いであった。
平成6年、平安建都千二百年事業をきっかけに「平成女鉾をつくる会」発足した。
老若男女を問わず参加できる鉾をつくり、伝統と文化を花開かせ新しい歴史を開いていこう、という構想が平安建都千二百年事業の中で持ち上がり、有識者の協力や財界の有志により「平成女鉾をつくる会」発足。
つまり上からの発案だったのである。
ちなみに発足当初は寄付も集まったのか、平成8年に完成した平成女鉾の制作費は5千万円だったという。鉾重量10t、高さ20m、幅4.5m。祭神は櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)。立派なものである。
もちろん、囃子方は女性だけの「平成女鉾清音(さやね)会」。50人ほどのメンバーが函谷鉾の囃子方の指導のもとで、祇園祭参加を目指し日々練習を重ねていて、従来の「町」単位ではなく祇園祭を愛する誰もが参加できるコミュニティで支えられている、というのが売りである。
平成女鉾はこれは平成12・13年に京都駅ビルに建てられ、平成19年には平成女鉾清音会10周年イベントとして、平成女鉾が新風館の中庭に建てられた。新風館を山鉾町に、来館者を町衆に見立てて、鉾の組み立てやお囃子を披露するというものだった。
また、平成17年まで開催されていた「京都まつり」では、鉾巡行で参加した事もある。
そこそこの実績を上げているのである。
それでも一度だけ転機があった。
平成14年6月、平成女鉾の会解散・囃子方清音会が鉾の運営を引き継ぐ。平成女鉾清音会へと転身したのである。
この経過は良く分らないが、新聞記事などから推測すると巡行参加の目処が立たないから挫折したのでは、と思えてくる。
記事で気になったのは「巡行の一番最後でいいから参加させて欲しい」という頼み方をしたらしい(あくまでも推測である)。
事実ならば頓珍漢な頼み方をしたものだ、と記事を読んだ当時は思った。
巡行の一番最後はくじ取らずで南観音山と決まっている(今年は変わる。この話は次回に)。一番最後、つまり巡行そのものを締めくくる重要なポジションを「寄こせ」と言ったのでは参加などさせてもらえるはずが無い。
女鉾の会のメンバーでもこの程度の認識だったかと苦笑したのだが、創立の経過をおさらいしてみると「巡行の最後でも」という言葉は女鉾の会からではなく、最初に構想を出した平安建都千二百年事業の中の有識者や財界から出たのでは、という気がしてきたのである。
だとすればお気の毒としか言いようがない。「有識者」の類はたまにこういうことをやらかす。
女鉾の会の初代の会長は表舞台から去ったものの、二代目の会長は新聞のインタビューに「私が70歳になる頃に巡行に参加させてもらえたら」と答えている。
このぐらいのスパンで見ることが出来るということは、巡行参加の実現が見えてくるということ。恐らく、70歳まで待つことは無いだろう。
(現在、平成女鉾清音会は、毎年祇園祭の期間中の7月下旬頃八坂神社へお囃子を奉納しています。平成24年は7月29日(日)14時半〜15時頃)
5464-240710-
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