珍無類、京都の大仏物語(その4・大仏さらに受難)
  〜大仏様の数奇な運命はどうなる?〜

【言っておきたい古都がある・20】 by 谷口 年史

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 豊臣家は滅んだものの、京都の大仏様は残った。
 ところがその3代目京都の大仏にも災難の降りかかるときが来た。

 今度は寛文2年(1662)、またもや地震で大仏様は潰れてしまったのである。

 この時は初代のような大破ではなく小破であったらしい。
 ところが、である。この時の大仏様の災難はこれだけでは済まなかった。

 何と、徳川幕府はこの時に潰れた大仏様を鋳潰して銅銭に変えてしまったのだ!

 幕府は文字通り「大仏様を金に変えた」のである。哀れ、京都の大仏寛永通宝にされてしまったのであった。
 
 で、寛永通宝というのは全部で35種類出ている。
 寛永年間に作られていたものだけではなく、時代が下がり元号が変っても「寛永通宝」という呼称は引き継がれていた。表は同じだが、裏のデザインが違う。
 その35種類ある中で、裏に「文」という字の書かれたものがあるのだが、それこそが京都の大仏様で出来た寛永通宝なのだ。写真を見ていただければ上に「文」の文字があるのが分かな。
 
 そうなると、これが大仏様で出来たお金だというのが分かっているのだから、日本中からこの寛永通宝を全部集めて溶かしたらもう一度京都の大仏様が出来るのではないか。こう考えるのが普通だが、中々実現は難しいようである。まあ、1枚残らず集めるのは不可能ですが。

 銅銭にされたものの、京都の大仏様はめでたく再建された。「大仏様で金を作るなんて、あんまりだ!」という声もあったのだろうか。
 4代目大仏がデビューしたのである。しかしここで木造になる。
 そして、もう想像がつくかもしれませんが、再建されたこの4代目の大仏様も災難に見舞われたのであった。

 銅銭にされてしまった大仏様の後をついで方広寺に再建された大仏様なのだが。。。

 今度は寛政10年(1798)、大仏殿に雷が落ちて潰れちゃった!

 雷が落ちるなんて、絶対に「想定外」ですよ。

 よくよく京都の大仏様と言うのは徳が無いのか。。。おっと、こんな事をいってはバチが当たりますね。
 
 こうしてまた大仏様はなくなってしまったのだが、江戸時代も後期に入った天保14年(1843)尾張の国から寄進する人があって、京都の大仏は木造半身像で甦った。
 5代目の大仏が登場したのである。

 そして、この5代目の大仏様なのだが、ひっひっひ、もうお分かりですね。

 その運命は来週に続く。


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