京都の料理職人達 vol.1
 【京・料亭 山ばな 平八茶屋】 園部晋吾 氏

道一筋に決めた不動心で
軽やかに時代を駆け抜ける

 幼い頃から、従業員や業者から「若旦那」と呼ばれていた。小学生時代の作文には「大人になったら料理人になる」と書いた。「洗脳されたようなもんですよね」。[山ばな 平八茶屋]の二十一代目を継ぐ若主人、園部晋吾さんは苦笑する。
 物心ついた頃から料理人になるものだと思い込んでいた。が、大学卒業を控えて、決められた道に進むことに疑問を持ちはじめ、一度は社会に出たいと思った。そこで就職活動を始め、経営コンサルタントやシンクタンクを訪問した。しかし、ハタ、と気が付いた。「いずれ店を継ぐのだから、料理人の修行を積むのは早いほうがいい」。覚悟を決めた園部氏は、それから料理人への道を邁進することになる。その間、両親は黙認していたという。「そのへん、水臭いんですよ」と園部氏は言うが、店を継ぐことに反発し、一時、家を出た父には息子の気持ちがよく分かっていたのだろう。
 修行先は、大阪の料亭[花外楼]。料理人にしては遅いスタートを切った彼にとって、修行は厳しいものだった。まず、先輩が自分より年下の10代。「年上やのに、何もでけへん」と言われることもあった。勤務時間も不規則で、同期は全員辞めていった。「正直しんどかったです。でも、辞めようという発想にはなりませんでした。学ぶことが楽しかったんです」と述懐する。
迷いから抜け出し腹を決めた彼には、厳しさなどたいした問題ではなかったのだ。「お前、何も知らんな」と呆れる先輩にも「知らないので、教えてください」と食いついた。言われるより先に仕事をこなし、1年後には叱責されることはなくなった。 目に見えて成長する彼の姿に、[花外楼]の主人は育て甲斐を感じていたことだろう。「後で聞いたのですが、親父さんが怒らなかったのは私だけだったそうです」。
 修行を終え、[山ばな 平八茶屋]に戻って12年。「改革派」を自認する園部氏は、これまでいくつかのことを行っている。まず、料理の要である出汁を取る際の湯の温度や時間を細かく決め、同店の味を確立した。また、麦飯とろろ汁に使う米を、こしひかりから朝日米に変えた。創業以来400年以上親しまれてきた麦飯とろろ汁の味を、移ろうものではなく確固たるものにしたかったのだ。
 園部氏は言う。「今のうちの名物は麦飯とろろ汁とぐじの向付。私の代でもう一品、名物をつくりたいですね」。約430年の歴史を背負いながらも、現代を軽やかに駆け抜ける。そんな姿勢が今後の[山ばな 平八茶屋]の歴史を築いていくのだろう。

園部晋吾 氏(そのべ しんご)
1970年、京都生まれ。[山ばな 平八茶屋]の二十一代目を継ぐ若主人。「人なくして店の繁栄なし」と、従業員や職人との関係を何より大切に考えている。歴史と伝統を重んじ革新的な父親に対して、園部晋吾氏は改革派。現在は、“料理を科学する”ことを目的とした「日本料理研鑚会」に入り、[菊の井]、[たん熊]、[瓢亭]の主人らとともに料理の知識と技術の向上に努めている。

若狭街道沿いにある歴史を重ねた静かな邸

 天正年間(1576年)に創業した、若狭街道沿いにある歴史ある料亭。日本海で獲れた鯖の塩まわりが同店の辺りで一番美味になることから、当時の食通は同店に集い、都に入る前の上質な鯖を食していたという。懐石などに付く麦飯とろろ汁は「洛北、山鼻といえば平八、平八といえば山鼻」と壬生狂言で演じられた創業以来の名物。かつて旅人は、この料理で小腹を満たしたといわれている。麦飯とろろ膳(昼)3150円~、昼懐石(昼)8400円、若狭懐石10500円~、本膳料理21000円。



京・料亭 山ばな 平八茶屋(へいはちぢゃや)

■京都市左京区山端川岸町8-1
■075・781・5008
■11:30~21:30(昼11:30~15:00)
 【宿泊】 チェックイン16:00 チェックアウト10:00
■水曜休
2008年6月号掲載
※当時の記事の為金額等に変更のおそれがありますのでご確認下さい。

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