京都の料理職人達 vol.11
 【京料理・仕出し 菱岩】 川村 岩松 氏

原点の味を軸に
様々な料理が螺旋を描く

 老舗が老舗であり続けるためには、守るばかりではなく、守らないことも潔し、とすることも必要なのだろう。何やら禅問答のようだが、祇園で創業した[菱岩]は、変わることで暖簾を守ってきた京料理・仕出しの老舗である。創業は天保元年(1830)。祭りや慶弔事の仕出しや、近所のご主人の夕飯を2~3品作るなどを主な生業とし、「庶民の台所」として町人に親しまれていた。しかし、時代が変われば人々の営みも変わる。事あるごとに仕出し料理を取る慣わしは、次第に外食産業に取って変わられるようになった。
 食文化の変化の過渡期において、[菱岩]の新たな地平を拓いたのは、5代目に当たる現当主、川村岩松氏である。有名料亭で修行を積んだ後、実家に戻り店の厨房で仕出しや弁当を粛々と作っていた。「晩まで注文、受けんとけ」というのが先代である父の考えだったが、「晩に遊んでるようではあかん。夜の料理もしてみはったら」と界隈のお茶屋に背中を押され、祇園町や先斗町のお茶屋に料理を運ぶようになった。「庶民の台所」から「祇園の台所」へ。店の位置付けは変わったが、決して譲れない信条があるという。それは「京都人が好む、京都臭い料理を作り続けること」。
では、川村氏が考える「京都臭い料理」とは何だろう。「やはり、煮炊き物ですね。これが一番、京都らしいと思いませんか?」実に単純明快だ。難しい講釈もなければ、理屈もない。ただ、京都で生まれ育った料理人が、細胞レベルでそう感じているのである。そして、ここで作られる全ての料理が、この感覚のもとに繰り出されている。 。
 とはいえ、料理の構成は極めて綿密に計算されている。特に何十種類もの料理が詰められた花が咲いたような弁当は、「美味しいものばかりを詰めると肩が凝る」と、味の濃淡や強弱にことさら気を遣っているという。それでも、決して散漫にならないのは「私の作る弁当の基本は、出し巻と白ご飯なんです」という言葉に裏付けられているように思える。出し巻と白ご飯という日本人が飽くことのない味を軸に、様々な料理を螺旋を描くように絡めていく――。そんなイメージが、川村氏のつくる弁当にはある。変わることで発展してきた老舗だが、京都臭さ、そして日本料理の原点とも言うべき味は、頑ななまでに守られ、それが同店の料理の核となっているのだ。
けれんを求めず、奇を衒わず。地に足の着いた料理から感じられるのは、愚直なほどの一本気。これぞ170年もの長きに渡って愛される、老舗の心意気である。
川村岩松氏 かわむら いわまつ
'47年生まれ。'66年~'73年まで、有名料亭で修行を積んだ。同店では初めて外に修行に出て、他店の料理も学んだ当主である。'76年、界隈の勧めにより、お茶屋のお客の会席料理も手掛けるようになった。通常の仕出しと異なり、お客の箸の進み具合を考えながら供さなければならないため「作って運ぶタイミングが難しかった」と話すが、今は阿吽の呼吸で料理を供する。

迷いながら愉しむ
京の味、日本の心

 祇園に店を構える同店は、「ハモ切り名人」の異名を誇る3代目松之助氏の時代に評判が高まった。現在は、仕出しや会席料理を中心にお弁当も手掛ける。蓋を開けた瞬間、歓声を上げてしまいそうなほど美しく詰められた弁当は、土産の代わりに購入する人も。折詰弁当15750円(写真は3人前、1人前3150円からも有り)、松花堂弁当5250円より(写真は8400円)。いずれも要予約。

隙のない美しさ  工芸品さながらの繊細美

京趣味の絶妙  都人の粋を盛る

弁当は、ふわりと丸く焼き上げられた出し巻を主役に、色どり豊かな料理が詰められている。寿司もつくるが「寿司屋になりきらんでもええ」と、コダイの棒寿司やタイの笹巻き寿司、ハモ寿司など、料理屋らしい寿司を得意とする
松花堂弁当
松花堂弁当は、取肴と炊き合わせのほか、夏はハモの吸い物もつけられる。「吉兆の初代が、仕切りの付いた物入れを見て松花堂弁当を考案した」と川村氏は教えてくれた。ちなみに[菱岩]の3代目は、半月型の弁当箱と「入」「人」型の仕切りを使った半月弁当を考案した人物でもある



京料理・仕出し 菱岩

■京都市東山区新門前
 大和大路東入西之町213
 075・561・0413
 11:30~20:30
 日曜・最終月曜休
 要予約
2006年10月号掲載
※当時の記事の為内容等に変更の場合がありますのでご確認下さい。

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