京都の料理職人達 vol.12
 【山の辺料理 比良山荘】 伊藤剛治

自然を味方につけ
邪道を正道にした料理人

 少年時代は、川で鮎を釣っては塩焼きにして食べた。山菜や地元の野菜を使った料理が食卓に並ぶのは、馴染みの夕餉の光景だった。暑さ寒さを共に耐えた生命を食べて育った[山の辺料理 比良山荘]の現当主・伊藤剛治氏が、山・川のものを使った料理を供するようになったのは、自然の流れかもしれない。
 春は山菜、夏は鮎、秋は松茸、冬は猪や熊。「山菜やあしらいは、自分で採りに行くんです。『あんたのところは食材がタダでいいね』って言われるんですけど、市場で買えないから大変なんですよ」と伊藤氏は苦笑するが、そうして、労力を費やして調達した食材を惜しみなく振舞うのが、この店のやり方だ。

 たとえば「鮎食べコース」では、鮎の珍味や熟れ寿司のほか、塩焼きを7匹、さらには、鮎の出汁と素焼きした鮎で炊き上げた鮎飯を出す、といった具合である。素朴にして豪快。しかし、このスタイルを確立するまでは、京料理人としての誇りが邪魔をした。「以前は、同じ鮎尽くしのコースでも、趣向を凝らした料理をお出ししていたんです。ところが『塩焼きをどんどん持ってきて』とおっしゃるお客様がいらしてね。屈辱でした。加工した料理はいらない、ということですからね」。塩焼きばかりを供するのは、料理人にとって邪道だという。
しかし逡巡の末、「塩焼きこそ正道だ」と達観した。それは、多くの客がそれを求めて訪れ、美味そうに頬張る姿を目の当たりにしたからだった。

 お客様に喜んでもらいたい。その思いは、山・川の幸を、野生が匂い立つ “山の辺料理”へと昇華させていった。傍目から見れば、京料理の心技を封印したかに見えただろう。しかし「お客様に納得してもらえる料理をつくることこそ、料理の根幹を成す」という考えが腹にストン、と落ちたのは、斯界の素地があったからにほかならない。  「お客様の声に耳を傾け、この風土に合う食事をお出しすることが、最高のおもてなし。今はそれを誇りに思っています」と伊藤氏。品書きには、元々、リクエストに応えて作った裏メニューが名を連ねている。そこに、彼の料理人としての誇りを垣間見たような気がした。

 「済んだ空気とせせらぎ、風を楽しんでほしい」と、夏でもクーラーはつけず、窓を開け放すのが習わしだ。随所に注がれる気遣いが、美味しさとあいまって頬を緩ませる。料理を味わいながら、風に揺れる鮎飯の湯気に目を遊ばせる。いや、揺れているのは湯気ではない。食べる者の心だ。
伊藤剛治 氏 いとう たけじ
'70年、滋賀県大津市生まれ。料理学校で勉強した後、京都で修行を積む。その後、家業に戻り'98年、父の後を継いで三代目の当主に。京料理の技と心、そして「人間の足で歩ける範囲にある食材」を使うことを基本に、山間の風土に合う素朴で野趣溢れる料理を供する。その傍ら、日本料理アカデミーの一員として、日本料理を世界に広めるべく活動中。

地の利を活かした
自然の味を丸ごと食す

旧鯖街道沿いの比良山麓にある同店は、1959年創業。当初は登山宿だったが、先代から料理にも力を入れるようになった。山水を引いた店先の水路では水車が回り、ビールやお茶が冷やされている。一昔前のような光景は、日本人に共通する風景だ 。
秋のオチ鮎を干したものから取った出汁で炊き上げた鮎飯は、鮎の味が驚くほど濃厚。鮎の身をほぐして、ご飯と混ぜていただく
。おまかせ会席13650円~、鮎食べコース12600円~(予約制)。宿泊可能(1泊2食付)。

匂い立つ、季節 健やかに育まれた天然の味

美味、躍る 味蕾をくすぐる山川の幸

」
ズイキやイタドリ、鮒の子などを盛り付けた冷し鉢は「いかに“山の辺料理屋”らしくするかがテーマ」。塩漬けしたイタドリを塩抜きする際は、店先の水路を利用する
仕入れた鮎は、一度、山から引いた“不動明王の湧き水”と呼ばれる水を湛える水槽に放つ。そうすることで、さらに美味になるという。食材・技を同じくしても、この地でしか叶わない味の秘密がここにある

鮎の塩焼きは、基本的に3匹、2匹、2匹、と分けて供する。調理に使うのは、塩と火だけ、と単純だが「これがおいしくなかったら、終わり」と伊藤氏。鮎のいい匂いとは裏腹に、調理場は常に緊張感に包まれている


山の辺料理 比良山荘

■滋賀県大津市葛川坊村町94
 077・599・2058
 11:30~14:00
 17:00~19:00(いずれも入店)
 火曜休(8月は隔週)
 予約制
2006年9月号掲載
※当時の記事の為金額等に変更がありますのでご確認下さい。

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