京都の料理職人達 vol.9
【祇園 おかだ】 岡田孝二
祇園の割烹のスタイルを更新する 力みを捨てた、飄々たる料理人
歌舞練場や建仁寺を擁し、格子や犬矢来を施したお茶屋や料理屋が軒を連ねる祇園、南側。「これぞ京都」というべき街並みは、日本料理を供するにはうってつけである。が、この一角に[祇園おかだ]を構える岡田孝二氏は「みなさんが『いい場所や』とおっしゃるので、そうか、いい場所なのか、と(笑)」。万事この調子である。飄々としていて、肩の力がほどよく抜けている。その姿勢に見られるのは、達観した者の鷹揚さだ。
18歳で、京都の日本料理店の門を叩いた。数ヵ月で挫折し、自動車関係の仕事に転職した。それでも胸の内には、日本料理界への憧憬がくすぶっていた。岡田氏は述懐する。「料理のことはいつも頭にありました。よく、料理の本を買って読んでましたね」。岡田青年に再び料理界への扉が開かれたのは、22歳の時のこと。「先輩から、知人が名古屋で店をするので行ってみないか、と勧められたんです」。一から出直すのなら、よその土地のほうがいい。岡田氏は日本料理人になると腹をくくり、名古屋で修行を始めた。4年のブランクは、料理への思いを温めるにはちょうどよかったのかもしれない。その後、挫折することなく腕を磨き、京都に戻ると、祇園の割烹[新山]で腕を振るうと同時に、料理長として次世代を牽引した。
実績を積むうちに、日本料理の格式張ったあり方に囚われることもなくなったのだろう。京都の象徴ともいえる祇園において、店内には琴の音色ではなくジャズを流す。上品であることをよし、とする日本料理だが「『食べ足りんから帰りにラーメン食べよ』と思われたら悲しい」と、誰もが満腹になるボリュームを心掛ける。しかも、コース料理を供することを当然とするこの町で、一品料理を豊富に用意するといった型破りっぷりである。しかし今や、この一品料理を目当てに、多くの常客が週に何度も暖簾をくぐる。食後の一杯を愉しむために、あるいは小腹を満たすために。
客の食生活を洞察するのは、料理人という職業ゆえなのか。「普段、接待でお造りや肉ばかり食べてる方が多くいらっしゃるので、うちでは野菜をたくさん食べていただきたいんです」と、品書きの一品料理の欄には、野菜の料理が名を連ねる。そして「長く来ていただくために、みなさんの健康管理をしているんですよ(笑)」と破顔一笑。その笑顔に見られるのは、策略家の狡猾さか? いや、「好きこそものの上手なれ」を地で行く、料理人の素顔だ。
実績を積むうちに、日本料理の格式張ったあり方に囚われることもなくなったのだろう。京都の象徴ともいえる祇園において、店内には琴の音色ではなくジャズを流す。上品であることをよし、とする日本料理だが「『食べ足りんから帰りにラーメン食べよ』と思われたら悲しい」と、誰もが満腹になるボリュームを心掛ける。しかも、コース料理を供することを当然とするこの町で、一品料理を豊富に用意するといった型破りっぷりである。しかし今や、この一品料理を目当てに、多くの常客が週に何度も暖簾をくぐる。食後の一杯を愉しむために、あるいは小腹を満たすために。
客の食生活を洞察するのは、料理人という職業ゆえなのか。「普段、接待でお造りや肉ばかり食べてる方が多くいらっしゃるので、うちでは野菜をたくさん食べていただきたいんです」と、品書きの一品料理の欄には、野菜の料理が名を連ねる。そして「長く来ていただくために、みなさんの健康管理をしているんですよ(笑)」と破顔一笑。その笑顔に見られるのは、策略家の狡猾さか? いや、「好きこそものの上手なれ」を地で行く、料理人の素顔だ。
岡田孝二氏 おかだこうじ
'64年、京都生まれ。18歳で日本料理界に入ったが、数ヵ月で転職。22歳の時、先輩の勧めで名古屋にオープンした料理屋で修行を再開。修行後は、京都ホテル[入舟]で腕を磨き、祇園の割烹[新山]では料理長として店を支えた。約10年後は、店を若手に譲り「引退後はうどん屋をするのが夢なんです」と話す。
贅極まれり、の一皿に 食道楽も満悦の体
慣れ親しんだ祇園・北側で物件を探していたが、期せずして南側のこの地に店を構えることになった岡田氏。「南側は、食べるのが好きで、ゆっくり食事を楽しみたい方々が来てくださいます」と料理はもちろんのこと、食材選びには心を砕く。美味を惜しみなく 容姿上品、食して豪快
冬の味覚の王者 客が求める垂涎の食材
祇園 おかだ
■京都市東山区祇園町南側570-6075・551・3200
17:00~24:00(L.O.23:30)
日曜・祝日休
予約優先
2007年2月号掲載
※当時の記事の為金額等に変更がありますのでご確認下さい。
※当時の記事の為金額等に変更がありますのでご確認下さい。